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ショーペンハウワー【読書について】を読んで

本について


この本に帯をつけるなら

読書は自分で考えることを阻害する?多読の時代に警鐘を鳴らす古典的名著


感想

ショーペンハウアーは、19世紀を生きたドイツの哲学者で、ニーチェやワーグナーなどに影響を与えた偉大な人物だ。
本書は、そんな著者が考える「読書」というものについて語った本である。


私は最近、もっぱら読書をしている。
なぜなら、エッセイを書く上で、知識をつけたい・文章の書き方を学びたいと思っているから。なので、「読書の仕方」や「読書について」などを題材とした本をよく読んでいる。

今回紹介するのは、そんな読書について書かれた本の中で、個人的に一番意外性があり、かつ刺さった1冊である


まず、文章全体の感想から言うと、辛辣だが爽快!
ズバズバと一般論を切っていく様は、見事としか言いようがない。辛口な言葉が並んでいて、少し胸が痛くなるものの、文章もカラッとしていて、非常に読みやすい。
常に一本芯の通った論が展開されていて、まさに明晰な頭脳を持った著者の頭の中を、覗き込んでいるかのようだった。


そしてなにより、私はこの本を読んで「読書」に対する考え方が変わった
以下の文章を読んで欲しい。

「自分の頭で考えずに鵜呑みした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。」


これは、本書の冒頭に書かれた一文である。
この一文が、本書の主軸と言っても過言ではない。

一般的に、読書をする人は博識・知的だ、と言われる。読書という行為は、世間ではポジティブに受け止められており、様々な媒体で「多読する方法」だったり「読書の仕方」など、より本を読むためのスキルへのニーズも見受けられる。もちろん私自身も、そんなハウツー本を読んだりもしている。


しかし、ショーペンハウアーは全く違う視点を提示する。
冒頭に引用した通り、読書は「自分の頭で考えずに他人から得た知識」であり、自分の考えを追い払う行為になってしまうと言う。


こう書くと、すこし面を食らってしまうかもしれない。私も最初はびっくりした。しかし、読んでいくうちに彼の文章の巧みさに、「一理あるな」と思い始めた。

なぜなら、本を読んで得た知識より、自分で考え「こうなのかな?」と結論を出したものの方が、ずっと心の中に深く根ざしているからだ。

こういうことはないだろうか。
自分なりに本を読んでいても、よくわからなかったことがある。それについて深く考えるうちに、自分なりに納得できる答えを見つけることができた。

その瞬間、読んできた本たちの知識がしっかりと自分の中で組み立てられ、刻み込まれる。多くはないが、私にはそんな経験が確かにあった。

逆に、本を読んでいて「面白そうな理論だ」と思ったものがある。いつか実行したり、もう一度理論についてしっかり考えてみようと思ったものの、月日はたち、いつの間にか自分の頭の中から抜け落ちていたなんてこと。



彼は言う。人から聞いたエピソードより、自分で経験した体験の方が記憶にしっかりと焼き付いているのと同じように、「考える経験」というのが大事なのだと。


もちろん著者は、読書自体を否定しているわけではない。本を読むだけではなく、思考することに重きを置いているのだ。本書でも「本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ。」と書いている。


私自身、最近読書にハマっており、毎日のように本を読んでいる。
ただ、「ただ読んでいる」というのが実態である。

反芻したり、じっくり考えたり、読んだ言葉の意味を自分の中に根付かせるという行為が足りていない。読み終わったら、新しい本を探し、次の読書体験へ。そんな日常を繰り返してしまっていて、過去読んだ本すらも思い出せない始末。それではダメだと気付かせてくれたのが本書である。



考えるというのは、自分が持つ地図で宝物を見つけていく行為だ
その地図を読み解く手助けを読書はしてくれるが、宝物を見つけたと勘違いしてはいけない。その手助けも、ただ読むだけでは意味がない。しっかりと自分の中で地図と照らし合わせる必要がある。


今後は「読書をする」だけではなく、読んだものをしっかりと噛み砕き、知識とし、それを肥料として、自分の頭で考えていきたい。そう思わせてくれた本である。


読書について興味がある人、逆に読書にはまったく興味がない人もオススメしたい、「自分で考えること」の大切さを改めて実感できる本である。


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