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モロッコで大家族制度について考えた

今回は久しぶりに「旅先で聞いてみた」シリーズを。

舞台はモロッコ。ドイツに住んでいた当時に、家族旅行で行ってみた。

僕が一人旅をする時は、だいたい旅先で現地の人から話を聞くこと自体が目的。だから現地の人と話をする時間をガッツリ取る。でも家族旅行の場合は、それほど時間を取れるわけではない。

それでも機会があったら聞いてみようと思っていたテーマは、、、

モロッコの「大家族制度」について。

なぜこのテーマなのか?

まず、モロッコは北アフリカに位置している国。

サハラ砂漠の近くにある国

モロッコは経済的にはお世辞にも裕福とは言えず、特に都市部を離れると、放牧(ヒツジ、ヤギ等)や農業で生計を立てる昔ながらの村が点在する。砂漠や土漠など乾燥したエリアが多く、自然環境は概して厳しい。

そんな土地に住む人たちは、広大な家に、おじいちゃん(長老)を中心として家族から親戚までもが一緒に住んでいる生活様式が一般的と言われている。この様式を指して「大家族制度」または「大家族制」などと呼ばれている。

典型的な村のひとつ

なお、この大家族制度はモロッコに限った話ではなく、中東から北アフリカ一帯にかけてイスラム教が広がっているアラブ文化圏では比較的一般的な特徴とされている。

この生活様式について前から興味があったので、この機会にモロッコで現地の人に聞いてみた。

なぜ大家族制度が一般的なのか


「大家族で住む理由は、コーランに書かれているから?それか文化的なもの?」

モロッコ人
「コーランの教えによるものではないなぁ。だってコーランに大家族で住むべしとは書かれていないから」

やはり、単純にイスラム教からきている特徴ではない様子。文化の特徴の原因が宗教にあると考える人は多いけれど、僕の経験ではそういうケースは稀。それよりも自然や風土からくる合理性がベースにあるケースが多いと思う。

モロッコ人
「コーランでは、たしかに親の面倒を見なければいけないと決められているよ。けれども、必ずしも一緒に住む必要はないんだ。例えば、もし自分が外国で出稼ぎしていて親の面倒をみることが困難なら、近隣の親戚へ金銭的な補助を出して親の面倒を見てもらう、とかの方法でも良いとされている」

では、なぜ大家族で住むのか?という問いについての明確な答えは得られなかった。

ただ、いろんな話をしている中で感じたことは。

結局は「田舎で放牧や農業の仕事をして子だくさんな生活をしている」場合については、多くの人が一緒に住んで助け合うという生活の形が一番合理的だから、と感じた。

なぜなら、彼ら/彼女らの日常のお仕事は、家畜の世話や農作業。これらは自然や生き物が相手なので「休めない性質のお仕事」。そんな仕事を核家族の形態で対応すると、うまく回っているときはいいけれど、ひとたび誰かが病気になったとか、ケガをしたとか、妊娠・出産したとかの状況変化が起こると、核家族ではすぐに行き詰まってしまう。

また他にも日常的に回し続ける必要のある仕事として、料理を作ったり、子どもの世話をしたり、掃除・洗濯・家のメンテナンスなどなど仕事はいくらでもある。これらも核家族であれば、やはり状況によっては継続が困難に。

だからこういった日常のたくさんのお仕事に対して、家族や親戚など多くの人数で一緒に取り組むことによって、少しでも状況変化へ対応できる確率を上げてきた、ということなんだろうと感じた。

実際に日本でも、数十年前までは多くの人が農業に従事しながら親子三代で一緒に生活して、親戚も近くに住んでいた。それを考えると、そもそも大家族で生活する社会というものが元々は自然な形態なんだろう。

ちなみに正確に言えば、必ずしも「家族や親戚」である必要はない。本質的には「一定以上の人数で生活を営むこと」つまり「共同体」で生活基盤を構築することが合理的であり意味がある。趣旨は違うけれども、イスラエルではキブツという共同社会を構築する試みも行われてきた。こういった集団で生活する様式は、人間が営む社会としてフィットする面があるものなんだろう。

急速に崩れつつある大家族制度

しかし、そのモロッコ人曰く、近年は大家族制度が急速に崩れてきているらしい。

モロッコ人
「放牧や農業など田舎での伝統的な仕事だと収入が少なくて、子供に学歴をつけるための教育費用も払えないんだよ」

なぜ学歴が重要視されるのか。モロッコも世界の大きな流れに沿って、これまでの「農村社会」から「工業化社会もしくは情報化社会」に移行しつつあるから。

モロッコ人
「だから男たちは大都市へ出稼ぎに出て、お金を稼ぐ役割を担う。そうやって家族が離れ離れになって生活するケースが、モロッコでもどんどん増えているんだ。その結果、ほら、田舎の集落はどこもかしこも、この村みたいに『引退した老人と、残された奥さん+子ども』ばかりになっちゃって」

訪れた村は、実際にお年寄りと女性や子どもばかりだった

このような「父親が出稼ぎに出て、それ以外の家族は地元で住んで、仕送りで生活する」という形態は、モロッコだけで起こっている訳ではない。むかし僕が旅行した経済状態が良くないモルドバもそうだった。国内に産業が育っておらず、金銭を得るためには家族が離れ離れになって働かざるをえない国は、世界中に多い。

モロッコ人
「それと並行して、大都市や中規模の都市においても、結婚したら大家族の家からどんどん独立していってね。急速に核家族化が進んでいるんだ」

高まる「人生における金銭の優先順位」

このような「大家族制度」から「核家族化」へのシフトとは、何を意味しているのだろうか。

現代の社会では、日常のお仕事を「外注」もしくは「外部化」で対応できるようになってきた。つまり、本来の「仕事」を自分で対処するのではなく、お金を払って他者に委ねたり、購入してきたり、機械にやってもらったりすることによって解決する。そういうサービス業やテクノロジーが発達してきたから。

言い換えると、まずはお金を稼いで、そしてそのお金を使って厄介ごとを解決する社会に移行してきたと言えるだろう。放牧や農業が中心の社会は、必ずしも金銭に頼らなくて良い社会。しかし、工業化社会もしくは情報化社会では、金銭を得なければ生活しにくい社会になっている。

となると、何はともあれ、まず最初に教育を受けて学歴をつける必要がある。だからまずは教育のお金を稼ぐために、男性が大都市へ働きに行って、そこで金銭を得て、子どもに教育を受けさせる。そして子どもたちは大都市や外国で働くことになる、という大きな変化が起こっている。それが大家族制度から核家族化への急速なシフトという形で表れている。

大都市での生活

モロッコ人
「文明化(Civilization)が進めば、こうなるのは仕方ないね」

って言ってたけれど、、、

繰り返しになるけれど、近代化が進むほど、交換可能な「金銭」を得ることがいわゆる「より良い生活」を営むために必要な社会になってきたということ。金銭を得ることの優先順位がどんどん高くなる。その結果、家族で生活することや、住みたい場所に住むことといった、それなりに多くの人々が望んでいるであろうことの優先順位の方が、下に位置づけられている。

しかし、こうやってモロッコ社会についての俯瞰した話を聞いてみると、自分の中に浮かび上がってくる焦点があった。

金銭を稼ぐことはあくまでも幸せな生活をするための手段であって、金銭を稼ぐことが目的でもなければ、人生で最も優先順位の高いことでもない。

「自分は優先順位を間違えていないだろうか?」

モロッコ社会で起こっている話を聞きながら、自分の中でこの問いかけを常に続けたいと思った。

by 世界の人に聞いてみた

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