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アタマのはたらき方は変化し続ける

早速ですが、質問を。

〇あなたは、文字を読んで記憶するのが得意でしょうか?それとも、耳で聞く話し言葉を記憶するのが得意でしょうか?

〇あなたは、情報を脳にインプットする方が得意でしょうか?それとも、情報を発信するアウトプットの方が得意でしょうか?

〇そのインプットやアウトプットは、文字で書く方が得意でしょうか?それとも、言葉で喋る方が得意でしょうか?

今回は、以前に書いた記憶に関する記事の続編。「僕のアタマのはたらき方は、年齢とともに変わっていった」という話について。

まあ僕の頭の中に興味がある人がいるとは思えないけど、ひょっとしたら自分のことを考えるきっかけとして興味を持ってくれる人がいるかも知れないので、臆面もなくnoteで頭の中を披露してみよう。

年齢と脳のはたらき

人は、単純に意味のない情報を記憶するには10才くらいが最高のパフォーマンスを発揮する・・と、僕が子どものころに本か何かで見た記憶がある。

たしかその情報によると、人は20才代や30才代になると、意味やストーリー性のある情報を記憶することが得意になっていくなど、脳の特性が変わっていく。そして40才代で総合的に情報を吟味して最高の判断力を発揮できるようになる、という趣旨だったと記憶している。

この記事ではそこから一歩深く考えてみて、僕は年齢別に具体的に何が得意で何が不得意だったのかについて、整理してみたい。

20才代までの脳のはたらき方

若い頃は、完全に「文字からインプット」の一辺倒だった。基本的に情報は、文字を読むことで自分のものにする。人の話を聞いても、頭に入らなかったなー。

そしてアウトプットについては、どれも得意ではなかった。特に、自分の頭の中を整理して喋り言葉でアウトプットすることはダメだった。もしプレゼンしたり話をするのなら、いったん文字に落としてからでないと話せない。インプット偏重の年代だったと思う。

でも、20才代後半のときに、仕事で「よく知らない議題について話し合われる会議に出て、議事録を書く」という作業を担当することになり、それを繰り返すことで「耳から入った情報を脳やメモに残す」という訓練になった。それが現在の「〇〇に聞いてみた」に役立つことになった気がする。

30才代の脳のはたらき方

前述のように、耳から入ってきた情報を記憶する訓練をした成果なのか、30才代になるとインプットについては文字であっても耳で聞いた情報であっても、理解して記憶できるようになってきた。

で、一方のアウトプット。

この時代は仕事の中で、自分で考えて、ポイントを整理して、文字に落とし込んでまとめる、という作業をずっとやっていた。つまり文字によるアウトプットが仕事だったので、文字によるアウトプットは徐々に上達していった。

でも、依然として話をすることは得意とは言えず、苦にならなくなってきたのはようやく30才代の終わりくらいか。

40才代前半の頭の中

この時期に、ドイツで働き始めた。

ここでようやく、インプットとアウトプットのバランスがよくなっていった。人の話を聞いて、それに対する自分の意見を伝えて。といったやり取りを繰り返した上で、その場でポイントを整理して結論までもっていくことができるようになった。

改めて考えると、これってすごく高度な脳のはたらきが要求される。だって、人の話を理解してそのポイントを見い出しつつ、並行して自分の考えもまとめて、それらを総合的に考えてどうするのが良いのかを導き出す。そのときの脳は、驚異的に複雑なはたらきをしているに違いない。

最近の若い人たちは、若いのにこういうことが上手にできてすごいなあ、と驚くことがある。いや~、おじさんは若いうちは全然できなかったよ。

因みに、これができるようになってきた理由は、ちょうどこの時期にドイツ人たちと英語で仕事をしていたことが良かったのかも。彼らは基本的にはロジックが明確で、話の主旨とポイントが理解しやすいことが多い。ディスカッションやディベートが文化として根付いている。そして英語という言語は曖昧な説明を許容しないから、論旨が明確になりがち。だから口頭での議論が成り立ちやすい面もあると思う。

40才代後半の頭の中

一方で、40才代も後半になれば、徐々に文字によるインプットが苦手になってきて、主に音声によるインプットで情報を得るようになってきた。

資料を読んで理解するよりは、口頭で説明してもらう方が頭に入る。本を読むよりも、音声配信で聞くことを好むようになった。

その原因ですぐに思いつくのは、徐々に目で文字を読むのが楽ではなくなってきたこと。昔のように一文字一文字を丁寧に目で追って読むよりも、サーッと目を流して楽な読み方をする方法を体が好むようになってきたからなのか。なんにせよ、年齢によるものですね。

もう一つ、思い当たる理由が。画像や音声によるインプットの方が人間が自然に持っている性質に適しているのではないだろうか。文字を読んでインプットするよりも。だから人々が活字離れして、マンガや映像コンテンツを好むのは自然な流れな気がする。

あと記憶の中身が少し変化してきた気がする。

昔は、人が喋ったことをそのまま記憶していた。けれどそれがだんだんと変化して、自分が頭の中で整理したことはキッチリ残っているけど、そこに至るまでに誰がどう言っていたかの記憶があいまいになりがち。

そう考えると・・。僕が更に年をとっていくと、人の話を理解しようとせずに、自分の考えに固執する道へ向かっていく予感が・・。

まとめるとこんな感じ。アウトプットの方が遅れてついてきた

50才代以降はどうなっていくのだろう?

ということで、今後50才代、60才代になっていくと、自分の脳がどう変化していくのだろうか。

そのヒントになりそうなのは、先日60才くらいの人と話をしていた時に聞いた話。

60才くらいの人
「いや~、自分が若い頃は、おっさんたちってなんで人の話を聞かずに、自分のことばっかり話すんやろって思ってた。でも、自分が年取ったら、それがよく理解できるようになったわー。

というのも、もう60才くらいになったら、人の話を聞かれへんねん。それよりも、自分が話したいことを話すだけ。人の話をじっと我慢して聞くこともできへんし、自分が喋りたいことを我慢するのもできへん。人って年取ると我慢できなくなってくるねんな~。

そして唯一、自分が話したことに対する人のリアクションだけは、ちゃんと頭に残るねん。『あ、この話は結構ウケた』とか。でもこの年になったら、もう人の話を聞くって、できへんわ~」

これって理解できる気がする。

人の話を聞くって、すごくアタマを使うし、エネルギーも使う行為。話を聞く行為はエンパシーを働かせることだと思うので、僕のケースでいえば40才代くらいならまだいけるけど、50才代になってくるとエネルギーがだんだん衰えてくるような気がする。そうなると、人の話を聞けなくなってくるんじゃないかと。

・・・あと何年かしたら、「世界の人に語ってみた」と改名している気がするけど、その節はよろしくお願いします。

まとめ

自分の頭のはたらきの変化を見ていくと、やっぱり経験や訓練とともに能力が向上していく面があるものの、年齢とともに衰える部分もある。

こういった変化につれて、情報のインプットやアウトプットに関する得意や不得意が変化していく。

やはり、こういった行為は、非常に人間らしい高度で総合的な能力が求められる。だから、いろんな能力や要素が複雑に影響していく。

つまり、人は年齢なりに変化していくもの、ということなのでしょう。それが人間やね。

脳って一番身近なものだけど、そのはたらき方はこの写真のようにモヤ~っとしていて、自分自身でも分かっているような分かっていないような

さて。みなさんの脳のはたらき方は、年齢とともにどう変化してきたでしょうか。

by 世界の人に聞いてみた

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