見出し画像

命のやり取り

「私も田んぼ作りたい!」
苗代の下準備をしていると、8歳の娘が元気よくそう言った。

まだハイハイもできない頃から田んぼに連れて行っていた。
3歳ころ、私たち親は農作業がしたくてしたくてたまらなかった。
しかし、そうなると3歳の娘は広大な田んぼの中で一人ぼっちとなる。
「草花も虫もあるよ」と言ったところで、そりゃあ一人ぼっちはつまらない、というのもよくわかる。それにこけたらドロドロ、一歩足を入れたら抜けない抜けたと思ったら長靴が脱げる。それ以前に幼児用の短い長靴では既に靴の中は泥水だらけ。
「帰りたい!」と田んぼが嫌いになってしまったようだった。

娘が寂しがらないよう、楽しめるよう、人を連れてきた。
大人、外国人、何より子供。
しかし大きく変わったのは弟が生まれてからだ。
まだハイハイの頃の弟と田畑で上手に遊んでくれるようになった。
娘にとっては嫌だったであろう田んぼが、楽しい遊び場に変わった。

6歳の時に、「田んぼやってみない?」と声をかけた。
当然、自信なさげだった。何をどうすれば良いのか皆目わからないのだから当然だ。
しかも親である僕は「自分で考えて決めて。考えてもわからなかったら聞いて。手伝わない」なんて突き放す。
フラフラになりながら、全身泥だらけで苗代を作っていた姿を思い出す。
草取りは後手に回っていた。
なんとか育ち、収穫と自分で育てたお米を食べる幸せを分かち合った。

7歳。「今年もやる?」と聞いた。
「うーん、うん。やる」と、あまり前向きさは感じられなかった。
草が伸びても放ったらかしのことが多く、手入れはイマイチだった。
収穫は楽しそうにしていた。小学生になって、新しい友達と田んぼで遊ことの方が優先だったようだ。
それもまたよし、とみていた。

8歳。今日だ。
僕が苗代の下準備をしていると、向こうから娘が近づいてきた。
「私も田んぼしたい!」
力強く、なんだか楽しそうに。とてもしたそうに言ってきた。
意外で、そして嬉しかった。

娘はこれで3年目のマイ田んぼになる。
既に一歩自立したのだから、しっかりと歩けるようにサポートしていきたい。

「苗代がいる」
今年は7種類の品種を育てるので、去年まで娘に使ってもらっていた小さな苗代を2つ繋げてしまったのだ。
娘が播種するには1ヶ所作らなければならない。
「どうしたらいい?」
「まずは場所を決めなきゃね。うーん。水で濡れていないところを探して」
「わかった」

なんとか場所が見つかり、
「大きさは自分で決めて。そこをまず草刈りして」と伝えた。
「わかった!」と、気持ちの良い返事をくれ、なんだかとても張り切って草刈りをしていた。
「終わったよー」ということで、次は溝を切る必要があることを伝えた。

8歳と言ってもまだ小さな体で、26kgしかないので、大人用の大きなスコップを地面に刺して掘り返すのは中々難しい。土に刺さって行かない。
それでもめげずに続けていた。

僕は他の作業をし、娘の苗代のところへ戻ってくると、
2mほど溝ができた状態で止まっていた。
妻のところにいる娘。
「ミミズを2匹も切ってしまった。もうこうならないよう気をつけてたのに、3匹目も切ってしまった。」
と落ち込んでいた。
「もう、今日は嫌だ」

凄く貴重な体験をしていると思った。
僕も今日だけで何匹も小さな生き物を殺した。
殺して殺して、その先に米が育って、実りをいただく。
命の連鎖だ。

「そうだよね。殺したくないよね。」と共感していることを伝え、
「だけど、スーパーでお金を払って食料を手にしている人は、この命のやり取りを知らないんだよ。すごく貴重な体験で、大事なことだと思うよ」と言った。
「でも、もう今日は嫌だ」と。

その気持ちを大切にしてほしい。
胸に抱いて、向き合ってほしい。

またゆっくりとこのことについて娘と話し合いたい。

できれば、クルクルファーム アンド ラボに来てくれる子供たちにもこういう体験を一緒にしたい。
単なるお外遊びの一歩向こうを一緒に歩みたい。

田畑とアートのワークショップ cul cul farm and Labo 2023
参加者募集中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?