cul-cul-farm (秀夫
備忘録です
3年前、一家で1ヶ月間タイにタイ在しました。 その時、必要とする方の参考になるかもと思いブログに綴ったものをまとめました。 当時、父、母、娘(4歳)、息子(0歳8ヶ月)での旅でした
最近 ・民泊をプレオープンしました。 ・ちいさな暮らしのお店をプレオープンしました ・整体もプレオープンしました ・DIYはプライベートスペースに入りました。今は風呂場を改修しています。タイル剥がして、モルタルで隙間を埋めて、防水の羽目板を貼ったりしています。もちろん断熱も。 ・地域のまちづくりとか活性化とか、そういった類のミーティングスペースとしても利用してもらっています。今までは行政や事務局主導でバランス優先だったのですが、現在はもっと皆さん主体的に動いていて楽しそうで
車のスイッチを入れたら「電気系統故障」のメッセージが表示され、ディーラーやメーカーのサービスセンターに問い合わせをしたら、持込検査という選択肢しか提供されなかったのだけど、 SNSコミュニティに書き込んだら直ぐにドイツ人から、再起動してみた?大抵直るよ、という返信がもらえた。 トランクを開けて12Vバッテリーを外し、数分おいて、 再接続。見事に直った。 ディーラーとやり取りする時間や費用を抑えられたのも良かったのだけど、それより時代性や国柄を感じて興味深かった。 日本の技
この各地の教育長との対談シリーズは、工業化時代における要員養成の為の教育から、こどもの幸せを願った教育環境を作り出す動きが日本各地で起きていることを実感できてワクワクする。 点が面になっていきつつあると思える。まだ数は少なくても、熾きている。風は吹き始めている。バタフライ効果で広がっていることを想像できる。 シュタイナー、モンテッソーリ、イエナプラン、レッジョエミリア、サマーヒル、ダルトン、といったオルタナティブ教育的な価値観と方向性への舵取りがされている。 文科省もこ
番組の中で、カスハラのようなことがなぜ起こるのか?といった設問があって、何でだろうなあと。 してもらって当然という価値観は戦後復興期に醸成されたのでは?と仮定。対価を求める姿勢と、アサーティブではない言い方の肯定。エコノミックアニマルと揶揄されても猛進。 元々日本人に備わっている、島国故に在る物を活かし熟練させていく志向、それが工業化時代の技術革新、大戦後の復興と人口ボーナス及び右肩上がりの世界経済によってブースト。破断点を迎えてもなおバブルの幻想を追い求める。 しかし現
群馬県のこれからが楽しみになった。何が起きてどう変わっていくのか。 会話の中に「子供や先生だけじゃない、日本中が何だか窮屈そう」といった感じの発言があったのだけど、そのポリオプティコン的社会に生きやすさが生じると良いなと思った。 今の義務教育下にいる学生はポリオプティコンの中にあるパノプティコンに居るのか?と仮説。監視と管理の中では不登校が過去最多になっても不思議ではない。 平川さんのvoiceの別の回で、中学生トランペッターが紹介されていた。彼はYouTubeで独学し
子供達の要望に応えられるくらい、心身の余裕ができ始めた。そのことに感謝 引越しが決まってからは子供達に我慢させることが増えてそれだけが気掛かりだった。選択肢を与えることよりも、子供達の要望に耳を傾ける比率を上げ始めた。魅力的なイベントやワークショップを探してどれか行きたいのある?と聞くより、したいことや興味関心をこれまで以上に聞くように努め始めた。 今回は海でキャンプだった。 小学4年になった娘は、まず許可を求めることが増えた印象。○○しても良いか?どうすれば失敗しないか
とても面白かった。 声の社会科見学みたいだったし、フィールドに連れて行かれて現場の空気感を擬似体験しているかのようだった。 あの懐への入り具合は、長年関わらせてもらっている障害当事者主体の介助と通じるものがあるように思った。 主体と客体を明確にした上で主客非分離の距離感を保つような。 それは、親になった現在、子供との関係性でも思う。子育ては親育ちというモンテッソーリが謳っている視座。 ホモデウス的世の中になったとしても変わらないヒトの営み、フロムが表したヒューマニズム
とても面白かった。 ・ワークライフバランスを見直した結果 ・中小企業への効果 ・労働時間と脳の集中可能時間の関係性。脳科学の話し。 ・政権とのやりとり ・世界と日本の労働環境について ・高度経済成長と人口比率との関係性や人口構造からみた働き方について ・教育現場の働き方改革 等々、1時間があっという間な面白さだった。 note.だったら有料のような内容をこれでもかと語ってくださった印象。著書も読んでみたい。 後編は平川さんのボイシーということで教育や学校がテーマだった。先生
voicyは新たな学びの場だなあと思う。 ライブ配信の場合、お便りという形で質問が出来て直ぐに答えてもらえる。平川さんだからというのもあるかもしれないけれど。 受講するように座学的に学んで、疑問が生じたらその場でお便りを出す。対談の中でも大抵の場合直ぐに取り上げてもらえて、リスナーからの声が流れの一部になる。オンライン私塾とでもいうような感じ。 平川さんの話の中で私塾や藩校といった明治以前の公教育の在り方が度々取り上げられているから、それが無意識的に反映されている。もしく
滋賀に来てから場づくりと呼んで行ってきたことは、株式会社CNCが取り組んでいるコミュニティナース事業のようなことがしたかったんだろうなと思った。 まちづくり、という言葉の下に集まっても定義や解釈の違いに戸惑うことの方が多かった。 同じ言葉を使っていても、それがまちづくりや地域活性化だったりしても、1日1万人集まるイベントを目指す人達もいれば、コミュニティナースのように定量化出来ないものをゴールにしている人もいる。 自分の住んでいる地域で言うなら大野木の人達が目指しているもの
Finally ETH ETF 時代変革の只中にいる感じ
読みやすい内容なので、我が子たちが小学校高学年くらいになったら薦めようと思う。 第四章は、割愛。 カルトとの比較が興味深かった。 第五章 ネットの現在、という感じで、トイレの落書きがどうやって作られていくのかまとめてあった。 子供達のネット教育に参考になる章だった。 第六章 問題への対処についてまとめてあった。 取り組みが知れて良かった。 アテンションエコノミーについての記述は、ネットに限らずの問題だろうと思う。 との記述について、わかるけれど、それができない人もい
娘が友達から借りてきた漫画を読み始めた。数年前に流行った漫画だ。 1章の主な内容の一つが地動説と天動説を用いたメタファーだった。それは、立花隆さんが晩年に若い人へ向けて講演した内容とも重なった。その時立花さんは、極座標的思考からデカルト的座標への転換という言葉を使っていた。脳の構造が成長期から青年期へと変わるその境目が丁度、聴衆者である大学生くらいの年齢だと。22〜24歳位を境に、脳波が変わり、それは可塑性をもつ脳から在るものを組み合わせていく脳へと変化していく時期だと。そ
2章も強引なまとめ方で体制側寄りな印象だった。 自分はワクチン非接種者であり、それは自分なりに考え選択したと認識している。 だからか、世界を牛耳る支配者がいると信じている人たちと一緒くたにされてしまっているようで、それが何とも嫌だった。 ゆえに、十把一絡げにしてくれるなよ、という思いになるのか。 第三章は、ネットリテラシーの向上に使える道具(心理学用語やプラットフォーマーが利用している手段)を知ることができて参考になった。 例えば、認知バイアスとして確証バイアスとか、認知的
地元のウェブサイトができました。 https://kashiwabara-juku.com/ 妻がロゴデザインとマップの古民家イラストを手がけています。 貴重な機会をくださりありがとうございました。
コロナ禍って何だったのだろう?国民レベルで総括されていないと思うのだけど、どうなのだろう? そんな風にここ最近思っていて、それを考えていく参考になるかもとこの本を借りてきた。 国や官僚レベルでは総括されているだろうと思い、管轄のサイトを見に行ったのだけど、そこでも国民レベルに落とし込まれた情報は見当たらなかった。ただ単に探しようが足らないだけかもしれないけれど。 それでも少なくとも普段生活しているだけで目や耳に入ってくるまで情報が国民レベルにまで落ちてきている実感はない。