世界で一番愛してる人へ。 摂食障害のトリガー


私を産んでくれた母は、私がこんな風になってしまったことを望んでいるわけがない。

大切に、育ててくれた。

ぶつかることは多かった。
振り返れば壮絶な過去もある。ここがきっと私が摂食障害をいずれ発症するトリガーになっていたのだろう。

やや過保護な母、大人になった今なら冷静に思い返せる。
私たち兄弟が、自分の子供たちが大事すぎる故の心配性。
それが愛情の裏返しだということは、今なら分かる。

しかし両親に褒められた記憶はほとんど無い。
テストで良い点を取ったって、“自分のためだからね”と言われた記憶しかない。
ピアノの習い事も練習しろとばかり言われていたが、人の目につくところで努力するのが苦手だった私は親のまえで練習をするのが本当に嫌だった。


私が摂食障害になったきっかけは、この幼少期にあるのだろうか?

一時期、寛解したように思えた摂食障害。
はじめは過食から始まったように思える。

そして東京という場所が、より摂食障害を加速させたのは明らかである。
ルッキズム社会で生きているのだから、痩せて綺麗になりたい思いが無いわけがなかった。
すれ違い様にブスと吐き捨てられたことだって、何度かある。
そして、永遠に引き立て役だった。

再発させてからのまるで地獄な日々は、あるパートナーの出会いからなる。
この話は割愛するが、信じていた人の裏切りに私は相当大きなダメージを受けた。
ここから、私の過食嘔吐の地獄の日々がはじまり今に至る。


両親にもカミングアウトはしている。
けれども摂食障害というアングラな病気は理解されるわけもなく、この病のせいで抱えた莫大な問題に頭を抱えられた。

かけてくる言葉に対して思うことは
「そんなこと分かってる」
「それが出来たらとっくにどうにかなってる」

そんなことばかりだった。

私がこんな風になってしまうことを望んでいるわけが無かった。
なんだかんだ言いつつ、私を信じて愛してくれている両親。
この子は出来る子だから、と信じてくれていたのも分かる。

もっと褒められて育ったら自己肯定感がもう少しはマシに出来上がっていたのかなあとか
今更どうしようもないことを、今更ずっと考えている。

自分の子が、こんなにも壮大な量を食べて吐いてしまう化け物に育ってしまったなんて気が気でないだろう。


ごめんなさい、
いま私にはこの一言しか伝えられないのである。

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