連載小説|恋するシカク 第15話『転機』
作:元樹伸
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第15話 転機
翌日、美術室に行くと手嶋さんと安西さんがいた。二人は隣同士で並んで座り、同じヘルメス像を描いていた。安西さんの絵はいつも通り繊細で、手嶋さんの絵は不器用だけど力強かった。
「その顔、どうしたんですか?」
安西さんが口元の絆創膏を見て驚いた。昨日、手嶋さんが貼ってくれたものだ。
「ヘンなのに絡まれちゃってさ」
本当はヘンな自分が林原に絡んだからだけど、事情を知る手嶋さんが口をはさむ様子はなかった。
「ところで脚本は読んでもらえた?」
「あ、はい」
じつは昨日、僕は怒りで頭がいっぱいになって、出力した脚本を安西さんの部屋に置きっぱなしにしていた。それで昨晩、安西さんから連絡が来てそのことに気づいたのだ。
「考えたんだけど、やっぱり安西さんにはヒロイン役を演じてもらいたくて」
だからこれで断られたとしても後悔はなかった。でも安西さんは言った。
「わかりました。うまくできないかもしれないけど、頑張ってみていいですか?」
「じゃあやってくれるの?」
「不束者ですがよろしくお願いします」
こうして僕たちは満を持して安西さんを迎え入れ、映画の撮影を開始した。撮影中、カメラ前の安西さんはいつもの控えめな彼女とは一変。四角いファインダーの中でヒロイン役を活き活きと演じてくれた。また手嶋さんにも協力してもらえることになり、殺人鬼に襲われる学生の役をお願いした。
撮影はみんなの努力に支えられて順調に進み、ついにワンシーンを残すのみとなった。殺人鬼を倒した主人公が安西さんの胸の中で息絶えるという、映画のラストを飾る重要な場面だ。
演技とはいえ主人公の自分と安西さんが抱き合うことになる。徹夜明けで感情が高ぶっている時に書いた場面だったので、改めて読むとかなり気恥ずかしい内容だ。だからずっと安西さんからクレームが入ると思っていたのに、蓋を開けて見れば何も起こらないまま撮影の当日を迎えていた。
「このシーン、本当にこれで大丈夫かな?」
僕は改めてみんなに意見を求めた。何を隠そう、この件で一番ビビっていたのは脚本を書いた自分自身だった。
「何か問題があるんですか?」
安西さんが台本を確認しながら聞いた。
「文化祭の出し物で生徒同士が抱き合うシーンを入れるのは、コンプライアンス的にどうなのかな、と思って」
「でもその方が盛り上がりますよね。売りになっていいと思いますけど」
やはり安西さんは、あまり気にしていないようだった。
「だけど映画を観た人が、先輩たちが本当に付き合っているんじゃないかって思うかも」
代わりに手嶋さんが横から口を出すと、安西さんは笑って言った。
「もしそうなったら、私の演技もまんざらじゃないってことですよね」
かくして抱擁シーンは予定通りに撮影され、映画は無事にクランクアップした。
「河野先輩、みんな待ってますよ」
誰もいない美術室で帰り支度をしていると、安西さんが来て僕を呼んだ。映画制作も後は編集を残すのみとなり、その日はみんなで簡単な打ち上げをすることになっていた。
「すぐ行くよ」
「映画、面白くなりそうですね」
「みんなが頑張ってくれたからね。本当にありがとう」
「お礼を言うのは私の方です。先輩のおかげで彼とのこともふっきれました」
ふっきれたというのは、別れた林原のことだろう。
「僕は君を映画に誘っただけだけど」
「でも先輩はあの日、本当は林原くんに殴られたんですよね」
「あの日?」
「先輩がお見舞いに来てくれた日です。手嶋さんが教えてくれました」
そうか、手嶋さんはあの日のことを安西さんに話していたんだ。でも安西さんはいつから知っていたんだろうか。
「ごめん。じつはあの日、林原と揉めちゃったんだ」
「でもそれって、私が泣いていたから怒ってくれたんですよね?」
暮れなずむ美術室の中で、安西さんが僕の制服の袖をそっと握った。それから上目遣いで僕の顔を覗き込み、「もしかして先輩は……私のことが好きですか?」と聞いた。
「うん、ずっと前から……君のことが好きでした」
安西さんの目を見て、本当の気持ちを告白した。しかし彼女はそれには応えず、「さぁみんな待ってますよ、早く行きましょう」と言って、美術室から出て行ってしまった。
聞かれて答えたのに、とその時は思った。だけど僕のような恋愛初心者に、彼女の真意などわかるはずもなかった。
つづく