ダバオの砂

ジョー。ジョーの事を考えると彼はいつも私とは違う次元に存在していて、彼はあちらの住人で私は時々その次元に何らかの形でワープして、時には元いた場所に戻るのに苦労したり、かと思うと彼がいる場所にたどり着く前に入口が閉じてしまい、ある一定の期間その次元が本当に’’存在’’したのかさえも疑うようになっていく。忘れかけた時に彼はこちら側にやって来る。

彼は時々トミーとも名乗っていた。彼は時々華僑系の新移民だとも名乗っていたし、あるいはベトナムのソルジャーだった。また彼は孤独だった。彼について私が確かに知っている事は14歳の頃から親元を離れ東南アジアで生活していた事。また彼はハタチの時にフィリピンの農場を買った事。4つ年の離れた年下の弟がいる事。これだけは確かな彼についてのごく僅かな情報だった。

’’あなたがフィリピンでファームをするなんて考えられないんだけど’’。我々は夏の暑い午後、日が暮れ始めた頃、バルコニーのソファーに深く腰掛けながら夕日を眺めていた。彼はいつものグラスでいつものウイスキーを飲んでいた。''Not a farm'' 農場じゃないさ。''Farm, That's what you said'' 農場だって言ったわ。太陽が沈み始め風が冷たくなって来た中、コーラはただの甘すぎる液体になり喋るのにも疲れて来た。私たちはボソボソと喋った。''セメタリーさ'', '' セメタリー?''  ''お墓だよ、広くて何も無い。ダバオの荒野、そこに骨を撒く。ジョーはもっと派手なお葬式をするかと思ったのに。メキシカンみたいに楽器なんか演奏して来世への再出発を祈るのよ。彼はふっと笑いながら話を続けた。そこには昔日系人がたくさん住んでいたんだぜ、彼らは橋を架けたり道路を整備したりしたんだ。戦争が終わってからたくさんの彼らの土地はただのだだっ広い荒野になったんだ。誰がそこに昔日本人が住んでいた何で思う? 同じ事だよ。死んだらそこで砂になる。

夕暮れ時、冷たい風が吹き始めると彼がその話をしたあの夏を思い出す。

ジョーが死んだ時、私は彼の骨をダバオに撒いたって良いんだと伝えておかなければならないと思った。

私たちは、次元の調整について話をしなければならない。 きっと彼はdimention /ダイメンション(次元)についてはよくわからないなと言うだろう。

つまりこういう事、私が北半球の森を散歩している時、あなたはサイゴンのビーチにいる。私がカナダ産のティラピアを蒸している時、あなたはオーストラリア産の牛肉を焼いているのよ。

ジョーに次会った時に言う言葉が頭の中でずっとリピート再生されると、あなたがこちら側に向かっている時が近づいているのかもしれないと想像する。そんな時間がもう随分過ぎた。もしかしたら彼は今トミーかもしれないし、ダバオに昔いたたくさんの日本人を思って彼らのセメタリーを参拝して周っているのかもしれない。そうしたら彼も自分のお墓が欲しいと思うだろうか。それとも彼は美しい砂浜の砂になりたいと思うだろうか。それともやっぱり荒野で孤独を愛し続けるのだろうか。

かれこれ彼の事は2年間見ていない。






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