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カナダで出会った沢山の男の子

恋愛感情を抱き始めたのはいったい 幾つの頃からだろう。幼稚園や小学校なんかのスポーツ万能系男子に惹かれてから中学校になり爽やかで勉強のできる男子を好きになり高校では女子校に通いながら体育の新任教師にポーッとしたりして。

結局のところ18歳まで何にもなかった。カナダに住み始めたのもこの年だった。とてもとても寒い田舎町。今になって18歳の自分を思い返すと何て子どもだったんだろう よく1人で渡ってきたなと思うんだけれど、その不安定さと恋愛初心者が相まって沢山の男の子たちと18歳から25歳まで恋愛ごっこをしてきた。

最初のボーイフレンドは日本語ができる香港人。頭も良くてスポーツもできる 美味しい炒飯もつくれて英語をとても上手に話す。ルービックキューブだって全面揃えられるし エミネムの高速ラップだってできる 力強くハグすることだって手を繋ぐことだって得意だった。なのに彼は私の気持ちを汲み取る事だけは苦手だったのだ。プラス、ゲーマー。

20歳。バイト掛け持ち車持ち、8割が外食の台湾人ボーイフレンド。彼はお洒落で髪を真っ白に染めていた。ラーメン屋に行った時に餃子を3個くれる。彼は2個食べる。無表情で餃子を3個くれる。なんかそれが愛おしかった。でもわたし、外食文化にはついていけなかったなぁ。台湾の屋台はいいよね。ルームメイトと浮気され破却。ふーん。結構傷ついたよ。

やれやれ。台湾ボーイとルームメイト達が出て行き新しい男の子が引っ越してきた。山東省、青島(チンタオ)出身の背の高い色白なお兄さん。彼は私より4つ上の24歳だった。白いアウディのsuvを運転していてかっこいい時計をしてる。彼が連れてくる男の子達はみんな背が高くてみんな山東省の人。地元が一緒な大男達が女の子抜きでつるんでるってなんか良いなぁ。彼は3ヶ月後に他の町に引っ越すらしく、いつも山東男たちと中国のお酒を楽しそうに大量に飲んでいた。きっと方言で話していたのかな。夜中に倒れている彼にお水をあげたら、起きてきて寒い中お庭で一緒にタバコを吸った。頭をポンポンっとされてもう寝なさいと言う。優しい山東兄さんに今日私の誕生日だよと言ってみたら、苺を薔薇の形に切ってくれた。寝れなくてソファーで歌っていたら一緒に歌ってくれた。中国語の歌詞を英語に訳してくれた。私の事を15歳くらい歳の離れた妹のように接してくるのはとてもずるい。別れる前日の夜、大男達が私を仲間に入れてくれた。お酒は呑まないんだね、君に1つ中国語を教えるよ、山東大漢(シャントンダーハン) which means big Shandong guy (山東省の大きい男) 僕たちは背が高くて器もでかいんだ、you should remember it(覚えておいてね) もう寝なさい, it's late, good night. もう4年も前のこと。"山東大漢", yes I remember.  

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山東省の大男が街から引っ越した。私は喪失感とか悲しみとかいろいろな物に襲われてた21歳から次は金髪で青い目のウクライナの男の子と付き合ってみたりした。彼は車好きで湾岸ミッドナイトを見て育って、私も車が好きになったりした。ポルシェの911を見かけると今でも青い目といつも買ってきてくれたコーヒーを思い出したりする。

それから私はその街から引っ越して都会に住み始めた。dv気質の北京の年上会社員(のちに彼は年齢詐称をしていた事に気づく) や 日本の和彫りが全身に入っている華僑系フィリピン人のレクサス兄貴(親方と呼んでいる) など。都会の風景と忙しそうな男たちと24歳の私。

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私はいったい誰が好きだったんだろう。優しい男の人、お金持ちの男、顔が良い男の子、多趣味な男子、どんな人をこれから好きになるんだろう。25歳になった。出産する先輩、実家に帰る人。不倫する人、浮気する人。別れる人、結婚する友達。25歳の私。誰かを好きになってきたけれど私は本当に自分が好きだろうか。通りすがりのお兄さんは筋肉質のエリートみたい。でも私は今自分を見てみる。恋に恋していたら私は自分の中の文化を失っていた。自分の軸なんて放ったらかして誰かのステータスにすがっている疑似恋愛をしてきた女子校出身の恋愛初心者はアラサーになって本当の自分を取り戻す。

ホンサンス映画を一緒に見ようよ。初デートにラルフローレンのセーターを着たら?素敵だな。私は食器を洗うから浴槽を掃除してほしい。少し落ち込んでるから、私は散歩してくる。帰りに好きなコーヒー豆を買ってこよう。カナダはもう寒い。温かいお湯を張ろう、少しラベンダーオイルをたらして髪を丁寧に洗って乾かす。私は自分のことを精一杯可愛がってあげる。隣に誰かがいなくっても。私は強くて可愛いから、お風呂掃除だってできる。





不束なる物ですが…🙏