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聖書の山シリーズ15(最終回)   難攻不落と慢心 シオンの山

タイトル画像:ウィキメディア・コモンズ 

2022年11月5日 礼拝


聖書箇所 
詩 125:1
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。

第二サムエル記5章4ー9節
5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。5:5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。5:6 王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。5:7 しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。5:8 その日ダビデは、「だれでもエブス人を打とうとする者は、水汲みの地下道を抜けて、ダビデが憎む、目の見えない者、足のなえた者を打て」と言った。このため、「目の見えない者、足のなえた者は宮に入ってはならない」と言われている。5:9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。


はじめに


計15回にわたって紹介してきた聖書に登場する山々。今回で聖書の山シリーズは最終回となります。聖書に登場する山々のなかでも、特に重要な山が今回紹介するシオンの山になります。シオンの山というと、聖書を読みますとしばしば登場するのでよく知られているのですが、よく知られているということは、たくさんの学びができるということです。あまりに膨大すぎるので、今回は、ダビデのシオンの山攻略を通して、聖書が伝える意味について学んでいきたいと思います。

シオンの山


シオンの山の名称

シオンの山という用語は、(ヘブル語הַר צִיּוֹן,Har Tsiyyon)「要塞、砦、城」という意味です。ヘブライ語聖書で最初にダビデの街(サムエル記下 5:7、歴代誌上 11:5、列王記上 8:1、歴代誌下 5:2 ) に使用され、後に神殿の丘の名として使用されました。ところが、その意味は時代によって変化し、現在は古代エルサレムの西の丘の名前として使われています。広義的には、シオンという用語は「イスラエルの地」全体にも使用されることばです。
旧約聖書に152回、新約聖書に7回も使われています。

山の位置の変遷


シオンの山は、時代によってその場所が変わってきました。時代ごとの場所の移り変わりを見ていきましょう。


シオンの山の場所の変遷

ダビデの町

エルサレム陥落後~ソロモン神殿まで(紀元前10世紀)

ダビデはエブス人の要塞であったシオンをダビデの町とします。のちにダビデ王国の首都となります。(Ⅱサム5:7,Ⅰ歴11:5)
ここが最初にシオンの丘と呼ばれます(Ⅰ列8:1)。
現在はオフェルの丘と呼ばれ、エルサレム旧市街の南東に位置し、城壁の外になります。そのふもとにはギホンの泉があります。

神殿の丘を指した時代

ソロモン神殿完成~AD70年

ダビデの町の北に、モリヤの山として知られる丘ですが、このモリヤの山は、オフェルの丘に直接連なっています。

モリヤの山は、信仰の父アブラハムがその息子イサクをいけにえとして神に捧げようとした地です。詳しくは、こちらをご覧いただくとして、

このモリヤの山にソロモンが神殿を建てた時から、この神殿の丘がシオンと呼ばれるようになります。

このシオンは「神の住まい」(詩9:11)、「聖なる山」(詩2:6)などと呼ばれイスラエル人の信仰のよりどころとなっていきます。BC538年にバビロン捕囚からユダヤ人が帰還して、徹底的に破壊されたソロモン神殿の跡地に第二神殿が再建されます。ところが、AD70年にローマ軍によって破壊され、その後イスラム教の岩のドームとされています。
旧市街の東側(城壁内)に位置し、ケデロンの谷を隔ててオリーブ山と向かい合っています。

Jerusalem-2013(2)-Aerial-Temple_Mount-(south_exposure)  via commons.wikimedia  CC BY-SA 4.0

現在のシオンの山

AD400年以降

現在「シオンの山」と呼ばれる地は、旧市街の西南に位置し、城壁の外にあります。最後の晩餐が行われた家やダビデの墓、眠れるマリヤの教会などがあるので有名です。
ここをシオンと呼ぶようになったのは、AD400年頃からで、キリスト教の伝承にちなむものです。
最後の晩餐の場所を記念して建てられた教会「シオンの丘の教会」に由来するそうです。

比喩としてのシオンの山

こうして、シオンの山は、エルサレムの別称ともなり、エルサレム全体を指す象徴的なことばとして使われていきます。
さらには、終末的祝福の源泉としての、理想化されたエルサレムを指すことばとして用いられます。
新約においては理想のエルサレムの完成である、天にあるエルサレムに結びつけられ、永遠の祝福の世界を表すように用いられています。
(ヘブ12:22、黙14:1)

こうして、シオンの山は、単に場所を示すだけでなく、地上のエルサレムの象徴でもあり、キリスト教においては、天国を指すことばとして用いられていることがわかります。

ダビデの要塞攻略


シオンの山攻撃前夜

イスラエル初代の王サウルは、ペリシテ軍の前に敗れ、息子たちとともにギルボア山に追い詰められました。ヨナタンを含む息子たちは戦死し、サウルは自ら剣の上にうつ伏せになり壮絶な最期を遂げます。この報せを受けたダビデは衣を引き裂いて嘆きます。その後、ダビデはユダのヘブロンへ向かえとの神の言葉を聞き、そこで油を注がれてユダの王となりました。

 ユダの一族を率いたダビデは、サウルの後を継いだサウルの息子イシュ・ボシェテ率いるイスラエルの軍勢と戦いを交えます。イシュ・ボシェテは昼寝中に家臣に殺害され、こうしてダビデは全イスラエルの王、指導者になり、南ユダのヘブロンではイスラエル全土からすると南に偏っているということから、北のエルサレムを首都とすべく進撃していきます。

 ところが、そのエルサレムを攻略するためには、エブス人の要塞であるシオンの山を押さえなければなりません。しかも、その要塞は、断崖の上に立ち、上からの攻撃をかわすのは容易ではありません。第二サムエル記5章を見ると、エブス人と交渉を行ったダビデの臣下たちは、エブス人たちの勝ち誇った回答を報告します。

Ⅱサムエル記5:6
王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。

新改訳聖書 いのちのことば社

エルサレムは、ダビデが活躍した時代の300年ほど前に、ユダ族が攻め取った町でした(士師1:8)。しかし、ユダ族が攻め取った後も、エルサレムを掌握をできませんでした。その結果、エブス人が残留し、エルサレムを支配していたのです。

エブス人がダビデの臣下に、「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」と豪語していますが、エルサレムが、三方を山に囲まれた、いうなれば難攻不落の天然の要塞だったからです。シオンの山はエルサレムの東端にあり、そこを攻撃するには南北に深い谷を刻むキデロンの谷が行く手を拒んでいました。

町は山頂の台地に建てられているが(詩48:1‐2,ゼカ8:3),一箇所を除いてまわりは山々に囲まれている(詩125:1‐2).町は,ユダヤ高地と接している北側を除いては3方が谷に囲まれている.西と南にヒノムの谷があり,東にはキデロンの谷が南北に走り,東のオリーブ山との間を仕切っている.さらに町の中央には,チロペオンの谷が西側から弧を描いて南北に走り,町を2分し,町の東南部,オフェルの南で3つの谷が合流し深い渓谷を形成している.このように町は3方が谷に囲まれ,天然の要害を形造っている.

新聖書辞典『エルサレム』 いのちのことば社

日露戦争において、有名な激戦地ともなった203高地という戦場がありますが、ちょうど同じ条件です。敵基地が高台に存在すると、攻略するには非常に困難を伴います。敵に見つかりやすくなるばかりか、下から攻め込んでくる陣営に対して効果的に敵を狙いやすくなるからです。しかも、攻め込んでくる側からすれば、斜面を登らなければならず、速度も落ち、武器も持ってくることがより困難になるという点で、高台に要塞を建設することは理にかなったことといえましょう。

エルサレム旧市街から見たケデロンの谷
by Wilson44691 via Wikimedia Public Domain

この写真は、ダビデの町からケデロンの谷を見た風景ですが、かなりの急傾斜地であることがわかります。攻め落とすことは相当困難であったでしょう。ダビデは攻略のための突破口を見つけ出さなければなりません。エルサレムを落とすことは、天然の要塞を手に入れるだけでなく、エルサレムという土地が、戦略上にも、地政学上においても有利であると考えていました。さらに、イスラエルの真中に異教徒である異邦人の町があることは、神の民イスラエルにとって恥辱でもありましたから、なんとか陥落させたいという強い思いがありました。

突破口は意外なところから

なぜ、シオンの山の要塞は、難攻不落だったのでしょうか。要塞は典型的な山城です。山城は、地理的な要因から、防御には優れていますが、持久戦には向かない形態です。なぜなら、水の供給が非常に困難であるからです。ダビデの軍勢が、シオンの山を取り囲み、兵糧攻めにさせようと試みても、落城しないのはなぜであったのかと考えたのでしょう。その秘密は水の供給が満たされていたからです。山城が落城するのは、水や食料が尽きることです。しかし、シオンの山の要塞は水がギホンの泉の縦穴から給水されているので、落城することはありませんでした。
ダビデがエブス人のシオンの要塞を攻略し得たのは、城外から泉の地点まで岩盤を掘り抜いた縦穴トンネルの存在を知ったからでした。

1907年の聖母の泉(ギホンの泉)via wikimedia Public Domain

この竪穴をよじ上って不意打ちをかけるという戦法によってエルサレムを攻略しました。この縦穴は全長39メートル、高さが13メートルあり、1867年にウォーレンによって発見されます。1910年イギリスのパーカーによる調査で、前2000年頃に掘られたものであることが判明して、聖書の記述が正しかったことを証明しました。

私たちも立ちはだかる壁のような自分の課題を見て、難攻不落、もう無理だと諦める前に、足元を見て見る必要があるのかもしれません。意外なところに勝機があるものです。前が見えない、先が見通せない、負けが確実と悟る前に、考えてみる必要があると思います。かならず問題の解決は転がっているはずです。それを探ることをダビデだけでなく、私たちに求められていることです。

心のよりどころとしてのシオン

 こうして、ダビデはこのシオンの要塞を攻め取りました。これが俗に言う「ダビデの町」です。ダビデは、ユダのベツレヘムの出身ですので、ダビデの町とは、普通そのベツレヘムを連想しますが、この攻撃により、ダビデがエルサレムを攻め取り、そこを首都としたことから、「ダビデの町」と呼ぶようになったのです。こうして、この時からエルサレムはユダヤ人の心のよりどころとなっていきました。

 難攻不落、堅固な山々に周囲を囲まれたエルサレムはまさに、神の加護をイメージさせる場所です。深い谷は敵を寄せ付けず、自然の城壁に守られています。また決して涸れることがないギホンの泉の水は、シオンの山を潤し、そこに住む人々のいのちを守ることができました。エルサレムという町の名は、神の平和を意味します。まさに、エルサレムほど神の民に相応しい町はないでしょう。

エルサレムは長期の包囲攻撃にあい,食糧を断たれ激しい飢えに苦しんだことがある.しかし住民が水の欠乏に悩んだという記録はない.旧約時代における町のおもな水源はギホンの泉であり,それはエブス人のとりでの東のふもとにある.古代の町がこの泉に頼って建てられたことがよく分る.これは間欠泉で1日2―5回水が流れ出る.それはさらに奥にある自然の空洞に水がたまり,それがサイフォン型の穴を通って水槽にわき出てくるためである.

新聖書辞典『エルサレム』 いのちのことば社

ところで、なぜダビデは、このシオンの山を攻略できたのでしょうか。

Ⅱサムエル記5:10
ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。

新改訳聖書 いのちのことば社

ダビデがシオンの山を攻略できた理由。それは、万軍の神、主が彼とともにおられたからです。主が私たちと、ともにおられるからこそ、私たちは力強く歩めるのです。聖霊が私たちに宿っているからこそ、私たちは力強く歩んでいけるのであり、祝福が与えられているのです。

自由意志と御心

ダビデはシオンの山の要塞を陥落させ、エルサレムを彼の王国の首都としました。それと同時に、主がシロを見捨てて以来、契約の箱を安置する場所を持たなかったところへ、ダビデは契約の箱をエルサレムに安置し、首都をユダヤ教の総本山にしました。それ以来、エルサレムはユダヤ人にとって永遠の聖都となりました。

エルサレムを選んだ合理的理由
ところで、ダビデがエルサレムを首都として選んだことは、彼の軍事的や政治的な判断によるものでした。神のことばがあったわけでありません。
彼の判断によれば、エルサレムは3方を谷に囲まれた軍事的要害の地として守備に万全であり、攻めるのは難しい地です。
しかも、水の利が良い点、ユダとベニヤミンの地の境に位置していたこと。エブス人の支配地であったため、どの部族にも属しておらず統一のためにこれ以上の場所はなかったのです。
宗教的には、アブラハムがイサクを神に捧げた地でもあり、サレムの王でいと高き神の祭司メルキゼデクがかつて住んでおり、アブラハムを祝福したという宗教的にも深い関係があったということで、エルサレムを首都としたようです。

神の御言葉はなかった選択
ダビデはエルサレムを首都としたことには、神の宣託があったのではなかったのです。あくまでもダビデの判断と思考による選択であったわけです。
もちろん、彼は、攻略にあたって祈ったことでしょう。しかし、神のことばはなかった。普通は、神の導きとして、神の御言葉があると思うのです。神のことばが無いにしても、蓋然性というものに目を向けることも大事です。状況というものを的確に判断すること、その合理的判断も神の御心のうちにあるということを私たちは学ばなければなりません。
おそらく、そうした判断には、ダビデの胸中に平安があったと思います。

信仰だ、みことばだと強調して、蓋然性や、合理的判断を無視したあり方は逆に問題です。正しい、合理的判断を基準として、判断していく。そこに加えて、神の選びを信じるということがに大切です。
私たちのすべての行為は私たちが行っていても、神が行っているとも言えるのです。神はそのような者を祝福してくださいます。

高慢は滅びに先立つ

箴言  16:18
高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

新改訳聖書 いのちのことば社

一方、エブス人たちはどうだったかというと、大変傲慢でした。
ダビデがエルサレムに攻めても、目の見えない者どもや足の萎えた者どもでも追い出せると豪語したのです。
しかし、ギホンの泉のトンネルからの進軍ということを予想もしていなかったのです。蟻の一穴ということばがありますが、ギホンの泉の竪穴からの進軍はエブス人にとって、蟻の一穴でありました。

by Fathromi Ramdlon via Pixabay

どんなに巨大で揺るぎないと思われた組織でも、些細な不祥事が原因となって、組織全体を揺るがすような深刻かつ致命的な事態に陥るということがあります。このような自信過剰な傾向は大変危険であると言えます。彼らはダビデの力と知恵を侮っていました。しかし、最後はそのダビデによって滅ぼされる結果となってしまいました。いつの時代でも、神を恐れない者たちは、どんなに危険が迫っていても、傲慢で油断しています。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、この暗闇の世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。その霊の戦いにおいて勝利するために、主の御前にへりくだり、主とともに歩ませていただきましょう。万軍の神、主がともにおられることで勝利ある者とさせていただこうでありませんか。

さいごに


これまで、15座の聖書に登場する山を紹介してきましたが、その山々の持つ意味があること、こと聖書において聖書のことばの中にその土地が持つ神の御心というものを象徴しているということに気がつかれた方も多いかと思います。聖書において、カナンの地というものは非常に重要な意味をもつ地理であることです。

ユダヤ人にとって、約束の地カナンは、Holy Land(聖地)と紹介されますが、Holy Landは単なる聖地ということば以上に重要な意味合いを持つことばです。Holy Landというのは固有名詞であって、大まかに地中海とヨルダン川の東岸の間に位置する地域であり、伝統的に聖書のイスラエルの地とパレスチナの地域の両方を指す名詞です。Holy Landという用語は、通常、現在のイスラエル国と現在のパレスチナ国にほぼ対応する領土を指します。ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒はそれを神聖なものと見なしています。

単にクリスチャンが、聖書に出てくる地名やその名の由来というものを考えて読まないと、聖書のことばや神の御心の深い意味の損失にもつながることと考えて間違いないでしょう。

ユダヤ人の学者エリエゼル・シュヴァイトによると

イスラエルの地の特異性は......『地質学的』なものであり、単に気候的なものではないのです。この土地は、私たちが感覚的に知っている物理的な世界を超えたところにある存在領域である霊的な世界の入り口に面しているのです。このことが、預言と祈り、そして戒律に関して、この土地が独自な地位にあることの鍵なのです」。

Schweid, Eliezer (1985). The Land of Israel: National Home Or Land of Destiny. Translated by Deborah Greniman. Fairleigh Dickinson Univ. Press, ISBN 0-8386-3234-3, p. 56.

つまり、ユダヤ人、クリスチャン、イスラム教徒にとって、それぞれの信仰の礎となるものが、聖書地理への理解でもあるかと思われます。
その地理自体が、神の御心を示し、神の救いの予表を伝える手がかりとなっていることを私たちは学ばなければ、聖書への理解が深まらないと考えて間違いないでしょう。

世界旅行が一般的となった現代、Holy Landが身近になってきました。単なる物見遊山の旅だけでなく、その地に秘められた神の御心を知る機会として、ぜひ、この機会にHoly Landへの旅行をおすすめしたいと思います。
とはいいましても、筆者はまだ訪れたことがないのですが…。

参考文献


  • 新聖書辞典 いのちのことば社

  • 新キリスト教 いのちのことば社

  • フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)