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ダビデの嘆きの詩篇――盟友の裏切り

2024年8月4日 礼拝

詩篇55章12-14節

指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール

55:12 まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
55:13 そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
55:14 私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。

新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

タイトル画像:PexelsによるPixabayからの画像


はじめに


前回に引き続き、今回は詩篇55篇の後半を深く掘り下げていきたいと思います。特に12節から14節に焦点を当てますが、まずは前半部分の1節から10節の内容を振り返ることから始めましょう。

詩篇55篇の前半では、息子アブシャロムが謀反を起こし、ダビデが深い苦悩の中にあることが描かれています。彼は恐れと震えに襲われ、死の恐怖に苛まれています。彼の叫びは切実で、この苦しみから逃れたいという思いが強く表れています。後半は、かつての親しい友が敵となり、裏切りを経験したことによる心の痛みが鮮明に描かれています。

このような背景を踏まえて、私たちは11節から14節へと進んでいきます。ここでは、ダビデの苦悩がさらに深まる原因として盟友の離反がありました。
私たちの人生にも、ダビデのような経験はないでしょうか。信頼していた人に裏切られたり、理不尽な状況に直面したりすることがあります。

なぜ、ダビデが信頼していた盟友が離れていったのでしょうか。また、そこから、何が学べるでしょうか。

では、一緒に12節から14節を読み進めながら、現代を生きる私たちへの神様のメッセージを聞いていきましょう。この箇所が、皆さんの日々の歩みに新たな光を与え、神様との関係をより深めるきっかけとなることを願っています。

信仰の友の裏切り


ダビデ王は、我が子アブシャロムの謀反に直面し、武力による対峙ではなく、エルサレムの宮城を平和裡に明け渡す道を選択しました。
実のところは、アブシャロムの用意周到な策略により、逃走以外の選択肢は王には残されていなかったことでしょう。

平和の都エルサレムが謀略の渦中に呑み込まれゆく現実を目の当たりにした時、反逆に対する憤怒と悲哀は深くダビデの心を引き裂きます。しかし、彼の魂をより一層苛んだのは別の痛みでした。

詩篇55篇12節に、

詩篇55:12 まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。

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続く13節、14節にはこう記してあります。

詩篇55:13 そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
55:14 私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。

新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

12節の「そしる者」という表現は、ヘブル語で「イェハラペニー」と呼ばれ、「刺すような言葉を用いて嘲り、痛烈なる批判を加え、人を貶め、辱めの言葉を浴びせて公にに恥辱を与える」という意味をもった言葉です。ダビデにとって、これは耐え難き苦痛であったに違いないことでしょう。しかし、彼はこうした声を真の敵とはみなさなかったのです。

彼にとっての真の敵は、かつての親友でした。昔日、「神の家」、すなわちエルサレム神殿において、共に礼拝を捧げた友が、今や裏切者と化したのです。現代に例えるならば、同じ教会に集い、共に讃美を捧げた友が背信に走るようなものです。これほどの心痛は這々の体で逃げるダビデにとって深い悲しみをもたらしたことでしょう。

アヒトフェルとは誰か


ギロの出身

ダビデ王の親友として言及される人物は、アヒトフェルであると考えられています。アヒトフェルは、かつてダビデの最も信頼された議官でありましたが、後にアブシャロムの謀反に加担することとなった人物です。

アヒトフェルという名前には興味深い意味が込められています。「私の兄弟は愚かである」あるいは「愚かな話をする兄弟」という解釈があり、この名が後の彼の行動を予言するかのような皮肉な意味合いを持っています。

彼の出身地はユダ山地にあるギロの町でした。この地理的背景は、アヒトフェルがユダ族の出身であり、おそらくダビデと同じ部族に属していたことを示唆しています。このことは、彼がダビデの側近として重用された理由の一つかもしれません。

ダビデ王の下で議官という重要な地位に就いていたアヒトフェルは、単なる助言者以上の存在でした。彼の助言は「神のお告げのように」と評されるほど高く評価され、王国の政策決定において重要な役割を果たしていました。

アヒトフェルのダビデへの影響力と、後の裏切りという劇的な展開は、聖書の中でも特に印象的な人物描写の一つとなっています。彼の物語は、人間関係の複雑さ、権力の魅力、そして信頼と裏切りというテーマを鮮明に描き出しています。

Ⅱサム15:12 アブシャロムは、いけにえをささげている間に、人をやって、ダビデの議官をしているギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。

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バテ・シェバの祖父

Ⅱサム11:3 ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか」との報告を受けた。

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Ⅱサム 23:34 マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム

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Ⅱサム11:3と23:34を総合しますと、バテ・シェバの祖父ということになります。彼の知恵や助言は天からの賜物であると評価され、ダビデにもアブシャロムにも尊重され重要視されていました(Ⅱサム16:23)。

Ⅱサム16:23 当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみな、ダビデにもアブシャロムにもそのように思われた。

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ダビデとアヒトフェルの出会いについて、聖書に明確な記述はありませんが、状況を考慮すると、バテシェバとの不倫事件の後に関係が始まった可能性が考えられます。アヒトフェルは卓越した知恵で知られており、ダビデがその才能を認めて側近に迎えた可能性は高いでしょう。

一説にアヒトフェルはバテシェバの祖父とされることから、ダビデが彼をバテシェバの後見人的立場で登用したという推測も成り立ちます。さらに、ウリヤの死に対する罪の意識から、ダビデがアヒトフェルを重用したという心理的解釈も可能かもしれません。

有能な軍師であり預言者

アヒトフェル非常に優秀な軍師であり、神の言葉を語る人物と評されていましたが、彼は、晩年にはアブシャロムの反逆に加担し、1万2千人の兵を率いてダビデを倒そうと図ります。しかし、フシャイの反対にあいます。

Ⅱサム17:7 するとフシャイはアブシャロムに言った。「このたびアヒトフェルの立てたはかりごとは良くありません。」

新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

こうして、この計画は主の御手のうちにあったことで、アヒトフェルのダビデ掃討作戦は実行されなかったのです。

Ⅱサム17:14 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。

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こうして彼は自分の計画が採用されないと見るや、アブシャロムの謀反は成功しないと判断し、自宅に退いて自殺してしまうのです。

Ⅱサム17:23 アヒトフェルは、自分のはかりごとが行われないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。

新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

アヒトフェルは、ダビデ王が深く愛したバテシェバの祖父として知られる人物でした。彼は神の言葉を語る能力に長け、その助言は神のお告げに匹敵すると高く評価されていました。また、卓越した軍師としてその才能を遺憾なく発揮し、多大な功績を残しました。

アヒトフェルの失敗

しかしながら、アヒトフェルのような選ばれし人物であっても、その優れた理性、深い知性、豊かな経験、さらには王家との親密な血縁関係といった、一見して申し分のない資質を持ち合わせていたにもかかわらず、最終的には表面的な要素のみで状況を判断してしまったことが、彼の運命を大きく狂わせる結果となってしまいました。

アヒトフェルの失敗は、まず、状況を読み誤ったことが挙げられます。 アヒトフェルは、ダビデ王の息子アブシャロムの反乱に加担しました。彼は、アブサロムの人気と勢いを過大評価し、ダビデ王の支持基盤の強さを見誤ったと思われます。

次に、視野狭窄に陥ったということです。すぐにダビデ王を追撃し打倒するという彼の助言は、短期的には効果的に思えましたが、長期的な王国の安定や民心の掌握という観点を軽視していました。

私たちも問題解決にあたって、人のことを考えずに方法論をもって、解決する手段を考えるものですが、周囲の反応や、どう人々が捉えるだろうかという視点を欠く場合がよくあります。ダビデ王を殺すことが、アブシャロムの王位安定をもたらすと判断したアヒトフェルは、民意を考慮に入れてなかったものと思えます。さらに言えば、人々の反応以上に、主に依り頼まなかったという点が致命的でありました。大事な事をなす前に、主の御心がどこにあるのかというデボーションが必要だったことでしょう。

第3点目は忠誠心の欠如がありました。 長年仕えてきたダビデ王に対する忠誠を裏切り、新たな権力者になろうとしていたアブシャロムに味方したことは、彼の判断力の致命的な欠陥を露呈しました。こうした背景には、ダビデの側近の序列もあったのではないかと思われます。

ダビデの統治期間を通じて、最も重要な右腕と呼べる人物は、ヨアブであったと考えられます。ヨアブはダビデの甥(姉妹ツェルヤの息子)であり、軍の総司令官を委ねられてました。多くの重要な戦闘で指揮を執り、ダビデの軍事的成功に大きく貢献しました。政治的にも影響力が強く、時にはダビデの意思に反する行動を取ることもありました。

一方、アヒトフェルは、ダビデの側近の中でも非常に高い地位にありました。ダビデの最も信頼された助言者の一人であり、その助言は「神のお告げのように」と評価されるほど高く重んじられていました。
軍事と政治の両面で重要な助言を行っていたわけで、軍師と呼べるような存在でした。

序列で言えば、アヒトフェルはヨアブに次ぐ、ダビデのNo.2の位置にありました。軍事面ではヨアブに及ばないものの、政治的助言者としては最上位に位置していたと言えるでしょう。彼の言葉が神のお告げに匹敵すると評価されていたことからも、その影響力の大きさがうかがえます。

しかし、アブシャロムの反乱時に彼がダビデを裏切ったことで、この地位は失われることとなりました。この出来事は、ダビデの側近たちの中でも、アヒトフェルが非常に重要な位置にいたからこそ、大きな衝撃として受け止められたのです。

アヒトフェルの年齢と心理的背景

アヒトフェルは、バテシェバの祖父という立場から、ダビデよりも相当の年長者であったと推察されます。反乱時には、すでに60歳から70歳、あるいはそれ以上の高齢であった可能性が高いと考えられます。この推測の根拠として、彼が長年にわたりダビデの側近を務め、その知恵と経験が高く評価されていたことが挙げられます。

一方、ダビデは30歳で即位し、40年間統治しました(第二サムエル記5:4)。アブシャロムの反乱がダビデの治世後半に起こったことを考慮すると、反乱時のダビデの年齢は50代後半から60代前半程度であったと推測されます。したがって、アヒトフェルはダビデより10歳から20歳ほど年上であった可能性が高いでしょう。

この年齢差は、両者の関係性に微妙な影響を及ぼしていたと考えられます。ダビデはアヒトフェルの知恵に頼る一方で、アヒトフェルはダビデを若輩と見なしていた可能性があります。

こうした心理は、現代社会にも通じるものがあります。年下の上司や経営者に対して、年長者が複雑な感情を抱くことは珍しくありません。経験や知識に対する自負が、時として傲慢さにつながることもあるでしょう。

アヒトフェルの場合、自身の知恵と経験への過信が、他の助言者、特にフシャイの意見を軽視することにつながりました。これが彼の破滅の一因となったと考えられます。

さらに、アヒトフェルの立場の複雑さも見逃せません。彼は預言者としての役割も担っていましたが、軍事面ではヨアブ将軍の下位に位置していました。この序列に対する不満や、バテシェバ事件に対する複雑な感情が、ダビデへの不信感を助長した可能性があります。

しかし、アヒトフェルの最大の過ちは、神の計画を無視したことにあります。預言者としての立場にありながら、神がダビデを王として選んだという事実を軽視し、人間的な打算のみで行動してしまったのです。

アヒトフェルの失敗は、人間の判断力の脆弱さを浮き彫りにしています。この教訓は、私たちに謙虚さの重要性、自己を客観視する能力の必要性、そして個人の利害を超えた高い倫理観の大切さを示唆しているのではないでしょうか。

この物語を通じて、私たちは自己の立場や能力を過信することなく、常に謙虚な姿勢で物事を判断することの重要性を学ぶことができるのです。

アヒトフェルの心情と、それが象徴する現代の姿


アヒトフェルの心中には、複雑な感情が渦巻いていたことでしょう。長年仕えてきたダビデ王への羨望、そしてバテシェバ事件を巡る複雑な思いが、彼の心を苛んでいたに違いありません。

王の不義な行いを知りながら、それを正す力を持たない立場。孫バテシェバへの不倫、そしてその夫ウリヤの死。これらの事実を熟知していたアヒトフェルの心は、日々重荷を背負っていたことでしょう。神から選ばれたはずの王が、このような重大な罪を犯しながらも、何事もなかったかのように統治を続ける姿。それを目の当たりにすることは、アヒトフェルにとって耐え難い試練だったのかもしれません。

この状況は、現代社会にも通じるものがあります。不正や不義を行いながらも権力の座に留まる指導者。それは何も聖書の世界だけの話ではありません。私たちの身近にも、公然と不正を行いながら高い地位に就いている人々が存在し、それを目にする度に義憤を覚えるのは自然なことです。

アヒトフェルの姿は、今日の教会や社会で仕える者たちの姿と重なり合います。正しいと信じることと、現実の不条理との間で苦悩する人々の姿がそこにあります。自分の信念と、与えられた立場との間で葛藤する。そんな経験は、多くの人々が共感できるものではないでしょうか。

しかし、聖書はこの物語を通して、私たちに大切な教訓を示しています。それは、不条理な現実の中にあっても、キリストのように仕える者となることの重要性です。目の前の不正に対して義憤を感じることは自然なことですが、同時に自らの心の内にも目を向け、謙虚さと忍耐を持って歩むことの大切さを教えてくれているのです。

この物語は、私たち一人一人に問いかけています。権力や地位、そして自己の正義感。これらに惑わされることなく、いかにして真の正義と愛を実践していくべきか。アヒトフェルの葛藤を通して、私たちは自らの内なる闘いと向き合い、より良い社会の実現に向けて歩むことができるのではないでしょうか。

聖書は、私たちのこうした内なる葛藤を理解した上で、使徒パウロを通して次のように語りかけます。

ピリピ人への手紙 2章3-9節
「何事も自己中心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい。自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。互いにこのように心がけなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿である方でしたが、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を低くして、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。それゆえ、神はキリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」

年を重ねるにつれ、人に仕えることの難しさは増していきます。しかし、そのような状況にあっても、私たちはイエス・キリストの十字架と謙遜の精神を心に留め、歩みを進めていくべきなのです。そうすることで、神の栄光が私たちを包み込み、天における豊かな祝福が約束されることを、私たちは信じて待ち望むのです。
アーメン。