ダビデの嘆きの詩篇 前編
2024年7月28日 礼拝
詩篇55章1-11節
指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール
55:1 神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。
55:2 私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
55:3 それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
55:4 私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。
55:5 恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。
55:6 そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。
55:7 ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。 セラ
55:8 あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」
55:9 主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。私はこの町の中に暴虐と争いを見ています。
55:10 彼らは昼も夜も、町の城壁の上を歩き回り、町の真ん中には、罪悪と害毒があります。
55:11 破滅は町の真ん中にあり、虐待と詐欺とは、その市場から離れません。
新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)
タイトル画像:Ben KerckxによるPixabayからの画像
はじめに
今回、私たちは聖書の中でも特に心に響く詩篇55篇の前半を紐解いていきます。この詩は、人生の苦難と信仰の力強さが交錯する壮大なドラマを展開しています。
古代イスラエルの偉大な王ダビデの魂の叫びとされるこの詩篇は、深い悲しみと裏切りの痛みに苛まれながらも、なお神への信頼を失わない人間の姿を鮮やかに描き出しています。
今回は、ダビデの内なる世界を見ていきます。そこには、私たち自身の人生にも通じる、信仰と感情と理想が葛藤する現実に生きる姿が込められています。親しい者からの裏切り、深い孤独感、そして絶望の淵から立ち上がろうとする魂の強さ。これらすべてが、この詩の言葉の中に息づいています。
詩篇55篇の前半を読み進めるにつれ、私たちは自らの人生の試練や苦難を思い起こすかもしれません。しかし同時に、この詩が示す神への揺るぎない信頼は、私たちに希望と勇気を与えてくれるでしょう。
さあ、ダビデの心の奥底へと降り立ち、その魂の叫びに耳を傾けましょう。この旅を通して、私たちは自身の信仰を見つめ直し、人生の荒波の中でも揺るがない心の平安を見出すヒントを得ることができるかもしれません。
それでは、詩篇55篇の世界へと、共に歩みを進めていきましょう。
55篇の背景となるもの
詩篇55篇は、深い苦悩と裏切りの痛みを経験した人物の心情を鮮明に描き出しています。多くの聖書学者は、この詩篇がダビデ王の経験に基づいて書かれたと考えています。特に、その背景としてアブシャロムの謀反と考えられています。
アブシャロムの謀反は、ダビデ王の人生における最も苦難に満ちた出来事の一つでした。この反乱の中で、ダビデは最も信頼していた助言者アヒトフェルにも裏切られます。アヒトフェルは卓越した知恵で知られ、その助言は「神のお告げを聞くのと同様」と評されるほどでした(Ⅱサムエル記16:23)。
この反乱の間、ダビデは自らの息子に追われ、エルサレムから逃げ出さざるを得ませんでした。彼は、かつて自分が建て上げた都から追放され、親しい友人や助言者たちに裏切られるという苦い経験をしたのです。
詩篇55篇の言葉は、このような状況下にあるダビデの心情をよく表しています。特に、「まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。...そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。」(詩篇55:12-13)という箇所は、アヒトフェルの裏切りを想起させます。
また、この詩篇にはエルサレムの腐敗や暴力への言及があり、これはアブシャロムの反乱時のエルサレムの状況を反映しているとも考えられます。
では、なぜ、このような嘆きの詩篇をダビデはしたためなければならなったのでしょうか。それは、ダビデの人生を知らなければ理解することはできません。
ダビデの王位確立
ダビデは、先王サウルに仕え、幾多の戦いで数々の武勲を挙げた人物でした。その卓越した能力は、彼の深い信仰と神の加護によるものでした。
ダビデの名声は日に日に高まり、やがてサウル王の妬みを買うほどになりました。その結果、サウル王はダビデが自分の王位を狙っているのではないかという疑念を抱くようになり、ついにはダビデの命を狙うまでに至りました。
しかし、こうした逆境にあってもダビデは、主君に対する忠誠心を決して忘れることはありませんでした。ある時、洞窟の中で用を足すサウルを至近距離から狙うことができるという千載一遇の機会に遭遇しました。しかし、ダビデは神が立てた器としてのサウルの生命を奪うことはできないと考え、その機会を逃しました(Ⅰサムエル記24:1-7)。
サウルがイズレエル平野の南東端に位置するギルボア山での、ペリシテ軍との戦いにおいて激しい攻防の末、サウルが自害を遂げるまで、ダビデは主君として敬い従い通しました。
ダビデは、サウルが自然な形で王位を去るまで、決して王位を狙うことはありませんでした。この高潔な態度は、後のダビデの王としての統治の基盤となり、彼をイスラエル史上最も偉大な王の一人たらしめる要因となったのです。
その後、ダビデはサウルの死後、王に即位し、イスラエルとユダを統一した後、エルサレムを首都とするために、このエブス人の要塞都市を攻略しました(Ⅱサムエル記 5章6ー7節)。
この戦いの後、ダビデはエルサレムを占領し、それをイスラエル王国の首都としました。さらなる戦いの果てにエルサレムを陥落し、そこをイスラエルの首都とし、絶対的な権力を手中に治めます。
バテ・シェバとの不倫
こうして、名実ともにイスラエルの王として人に認められ、もはや前線で直接戦闘に加わらずとも、王宮から軍への司令を行えるようになり、すなわち権力の絶頂の時でした。
ダビデ王の人生における最も厳しい試練の一つは、バテ・シェバとの不義の関係から始まりました。Ⅱサムエル記11章に記されているこの出来事は、ダビデの人間性の弱さを露呈させました。
王は屋上から美しいバテ・シェバを目にし、彼女を召し出して関係を持ちました。その結果、バテ・シェバは妊娠しました。ダビデは自らの過ちを隠そうと、バテ・シェバの夫ウリヤを戦地から呼び戻し、夫婦の関係を持たせる機会を与え、罪の隠蔽を図りましたが、忠実なウリヤは妻のもとに戻ることを拒否しました。
窮地に陥ったダビデは、ウリヤを戦場で死なせるよう命じ、その後バテ・シェバを妻として迎えました。しかし、神はこの行為を見過ごさず、預言者ナタンを遣わしてダビデを諭しました。ダビデは深く悔い改めましたが、その罪の結果として生まれた子は亡くなりました。さらに、ナタンの預言通り、ダビデの家には長く不和が続きました。
家庭不和の原因
ダビデは王位を持つことで、多くの王妃や側室を抱えることになります。
古代の王が多くの妻と子供を持つことは一般的でした。これは王朝の継続と政治的同盟を確保するための戦略でもありました。
ところで、ダビデには多くの子供が存在していたことが聖書に記録されています。その総数は不明ですが、Ⅱサムエル記3:2-5によると、ダビデがヘブロンにいた間に6人の息子が生まれました。さらにⅡサムエル記5:14-16には、エルサレムで生まれた13人の子供たちが確認できます。さらに、タマルを始めとする娘たちや、多くの子供が存在していたことが伺えます。
このように、明確な総数は記されていませんが、上記の情報から少なくとも19人の息子と1人の娘がいたことがわかります。そばめたちの子を含めると、さらに多くの子供がいた可能性があります。
ダビデ王は、政治と軍事において卓越した手腕を発揮しましたが、その一方で、私生活、特に家庭の運営においては課題を抱えていたと考えられます。多くの妃やそばめを抱える王宮では、ダビデの時間と注意が国事や公務に集中せざるを得ず、家庭生活は二の次になっていたことが推察されます。
毎夜の宴会への出席が求められる中、家族との時間は限られていたでしょう。妻たちに対しては、愛情表現よりも物質的な豊かさで応えていたのかもしれません。しかし、妻たちが真に求めていたのは、一人の夫としての愛情と親密さであったと想像されます。贅沢な暮らしや宝飾品に囲まれながらも、心の満たされない日々を送っていたかもしれません。
このような環境で育った子どもたちの父親に対する感情は、複雑なものであったことでしょう。物質的には恵まれていても、父親の存在感や愛情が希薄な家庭で育つことは、子どもたちの心に深い影響を与えたと考えられます。
息子アブシャロムの母マアカ
クーデーターを企てた息子アブシャロムの母マアカは、ゲルシュの王タルマイの娘と記されています。聖書の中では、Ⅱサムエル3:2-3、Ⅰ歴代誌3:1-2に記されているだけです。まずは、ゲシュルという土地を見ていきますとゲシュルはガリラヤ湖の東岸に沿って広がり、南はヤルムーク川まで達する地域とされ、現在ゴラン高原と呼ばれている地域になります。
ダビデ王のイスラエル統治時代、ゲシュルは独立したアラム王国でした。歴史の断片から浮かび上がるのは、ダビデとマアカの結婚が純粋な愛情に基づくものではなく、政略的な意図を持っていたという事実です。
マアカの美貌は、後の息子アブシャロムや娘タマルの記述からも推察されますが、ダビデの彼女との結婚は、自国の安全保障と隣国との同盟関係強化を目的としたものでした。この婚姻の提案は、マアカの父タルマイから持ちかけられた可能性もあります。
しかし、国政や軍事、そして他の妃たちへの対応に追われるダビデは、次第にマアカとの関係が疎遠になっていったと考えられます。愛情の欠如は、夫婦間の不和を生み、ダビデはマアカとの接触を避けるようになったかもしれません。
このような夫婦関係の冷却は、必然的に子どもたちへの影響をもたらしました。マアカは、息子アブシャロムに対して、ダビデへの不満を漏らしていた可能性があります。父親の愛情と存在感が希薄な家庭環境で育ったアブシャロムは、父への敬意や愛着を育む機会を失い、不満と孤独感を募らせながら青年期を過ごしたと推察されます。
アブシャロムの謀反
ダビデ王の家庭に降りかかった悲劇は、人間の脆弱さと権力の複雑さを如実に示す物語として、今なお私たちの心に深い余韻を残します。
美貌の妹タマルが異母兄アムノンに凌辱された事件は、家族の絆を根底から揺るがしました。当時の厳格な倫理観の下、タマルの将来は一瞬にして閉ざされ、兄アブシャロムの心に深い怒りの種を蒔きました。二年の歳月を経て、アブシャロムはアムノンの命を奪い、その後の逃亡生活を経て、ついに父ダビデへの反乱へと至ります。
アブシャロムの政治的手腕は見事なものでした。民心を掌握し、自らを王と宣言した彼は、一時的にエルサレムを制圧します。そして、父の側室たちと関係を持つという象徴的行為によって、王位簒奪の決定的な一手を打ちました。この行為は、単なる肉欲の発露ではなく、古代社会における権力の象徴的移譲を意味する、極めて政治的な行動でした。
しかし、この事態は同時に、預言者ナタンが予言した神の裁きの成就でもありました。ダビデのウリヤとバテシェバに対する罪の結果が、このような形で現実となったのです。ここに、家庭を御言葉に従って治めることの重要性が、痛烈に示されています。
ダビデ王の苦悩は、権力者が直面する私生活と公務のバランスの難しさを浮き彫りにします。国家の繁栄と家庭の幸福の両立は、古今東西の為政者が直面してきた普遍的な課題です。そして、男女同権が進んだ現代社会においても、この課題は依然として私たちに問いかけを投げかけています。
謀反の計画
アブシャロムの謀反の計画については、聖書に具体的な期間は明記されていませんが、彼の行動から推測することができます。主にⅡサムエル記15章に記述があります。
アブシャロムの謀反の準備期間は少なくとも4年、おそらくそれ以上の期間をかけて行われたと推測されます。彼は慎重に、かつ系統的に計画を進めていったようです。人々の支持を得るための行動、有力者との関係構築、そして最終的な反乱の実行まで、相当な時間をかけて準備したと考えられます。
アブシャロムの妹タマルがアムノンに凌辱された事件(Ⅱサムエル13章)から、アブシャロムがアムノンを殺害し、ゲシュルに逃亡した期間(3年間、Ⅱサムエル13:38)、そしてエルサレムに戻ってからの期間を考慮すると、彼のクーデターの計画はさらに長い時間をかけて形成されていったと解釈できます。
このように、アブシャロムの謀反は長期にわたる周到な準備の結果であり、少なくとも4年以上、場合によってはそれ以上の期間をかけて計画され実行されていきました。こうした綿密な計画のもとにクーデターが進められていきました。
エルサレムを脱出するダビデ
このときの、エルサレムからの逃避行のときの記憶の吐露が、今回の詩篇55篇に示されています。ダビデの率直な思いを見ていきましょう。
神が選んだ都エルサレムの意味を胸に刻み、ダビデはここで、その魂の痛切なる叫びを天へと放ちます。彼は、神の御前に己の姿を隠すことなく、心身ともに平安を失いつつも、自分の苦悩を赤裸々に吐露していきます。その嘆きは単なる誤解や反対の声にとどまらず、憎悪に満ちた迫害の重圧となって王の身を焦がします。
5節で死の影におののきつつも、もはや葬送すらかなわぬ絶望する王の心は、古来のユダヤ人の死生観を鮮明に映し出しています。葬られないことは、神の民として加えられないという死後の安寧をも意味することでした。しかも、実の息子による反逆という、天罰とも思える試練に直面し、鳩のように逃避を切望しながらも、王としての重責に縛られていた彼は、荒野にて神との交わりすら叶わぬ窮地に立たされます。
暴風と怒濤のごとく荒れ狂う都の様相は、かのバベルの混沌を彷彿とさせ、神の平和の町との名を冠したエルサレムの理想からは遥かに乖離していました。「シャローム」の真髄を体現すべき聖都が、今や罪と破壊の巣窟と化す有様を目の当たりにし、ダビデ王の悲嘆は極限に達します。
しかしながら、この苦難の只中にあってもなお、神を呪うのではなく、神の御名を高らかに掲げ、主の公正なる裁きと慈悲深き救いを待ち望む信仰の勇者の姿こそ、この詩篇の核となることです。こうして、人間の脆弱さと神の絶対的主権という永遠のテーマが、ダビデの魂の叫びを通じて鮮烈に描き出されていることです。
最後に
この詩篇は、時代を超えて人々の心に深く響きます。特に、今回はダビデ自身の自業自得とも呼べるような苦難の中にあっても、神を求める者には希望を失わず、神への信頼を貫く勇気を、救い主イエス・キリストによって与え続けられるという理想が示されていることです。
人生の試練の中で、私たちは自らの過ちと神の裁きに直面することがあります。しかし、詩篇55篇が雄弁に語るように、それは決して終わりではありません。信仰を持つ者には、たとえ罰を受けるとしても、神の慈悲と哀れみが注がれるのです。この詩は、神の御前での誠実な悔い改めの重要性を私たちに示しています。
神の寛容さと偉大さは、人知を超えています。どれほど深い罪であっても、神はそれを赦す力を持っておられます。この真理は、私たちの心に深い慰めと希望をもたらします。
時として、自らの行いの結果に苦しみ、聖なる神が私たちの願いを聞き入れてくださらないのではないかと恐れることがあります。しかし、神は私たちの想像をはるかに超える存在です。神の愛と寛容さは、私たちの理解を超えて広大なのです。
たとえ自分が赦されざる存在だと感じたとしても、神の無限の慈悲は私たちを包み込みます。ダビデのように、私たちも神の御前に心を開き、正直に祈る勇気を持つべきです。そうすることで、私たちは神の驚くべき恵みと赦しを経験することができるのです。
この詩篇は、私たちに神との関係を深め、どんな状況下でも信頼し続けることの大切さを教えています。神の寛容さと愛の深さを知ることで、私たちは人生の嵐の中でも揺るがない希望を見出すことができるのです。ハレルヤ!
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