自身の遡り・野球を通じて

さて、野球に興味のない方でも、何かに応用できる要素があるかもしれないので、一応読んでみてください。

1回目の記事で自分の過去である鳥羽一郎マネージャー時代の思い出を書きましたけど、今回はもっと遡って野球を通じて学んだことを書いてみようかと。野球をやるにあたり、決して恵まれた体型ではない私のプレースタイルを中心にね。

茨城県の名門と呼ばれる常総学院という高校の野球部で、自分は春の選抜だけだけど一応甲子園に出場したことは結果的に今も財産になっている。どこで話してもインパクトのある話題として、自分を覚えてもらえる大きな要素になっていたし。鳥羽一郎さんについていた20代前半の頃は、イメージが直結しやすくするために、たまに坊主にすることもあった。

中学校の時、県内外からそれなりの数の高校からお誘いは来ていたんだけど、高校進学の目的が100%甲子園、つまり甲子園に行くために高校を選ぼうと思っていたので、同じ力量なら下の学年の人を試合に出す、というスタイルの常総学院を選んだ。だから、自分と同じような意識で学校を選んだのに、最後の年がコロナで中止になった今年の3年生のことを想うと、本当に胸が苦しくなる。


高校1年の春に背番号4番をもらい、将来の夢はプロ野球選手!って思っていた私のその夢は、神奈川県の桐蔭学園と練習試合をした時に、当時3年生でショートを守っていた、後にプロでも活躍する平野恵一選手のプレーを目の当たりにした6月に、脆くも崩れ去る。あ〜、俺はどんなに頑張ってもここまでは届かないや、、、という絶望感。その身体能力、反射神経は、鍛えてどうにかなるものでもない、って思った。それに、総合力で勝ち上がるタイプのチームだったけど、中には能力の高い選手はいて、同じことをやってても差が出てきて、元々の野球選手の素材として自分が劣ることは感じていたし。そこから私の裏方人生というか、チームの中での主役を諦め、脇役になることが始まったような気もする。プロは無理でも、甲子園に出るために高校を選んだんだから、一員として試合に出てチームに貢献した結果、出場したいと。

自分の欲望のための打席ではなく、打線として後を打つ人たちのこと、点を取るための最善と、チームが勝つために自分ができる最善を尽くす。世界一のバッターであるイチロー選手だって、10回打って4回ヒットにできた年はないくらい、失敗の方が多いスポーツの中で、打つ以外でできることも考える。打つために毎日素振りしてるわけで、欲求的には毎打席打ちたいと思って打席に入るけど、打ちたい球なのに打たないということも増えるけどね。

まぁ、送りバントなんかはいい例だけど、それだけじゃなくてね。おそらく、フォローしてこれを読んでくれている人はエンタメ好きな人なはずで、技術的な意味でマニアックな野球好きはそうはいないだろうから描写と比喩は抽象的にしてるけど、ちょっと踏み込んだ話もしてみるね。

守備の話。例えば、身体も小さいし、大きな人と同じことをやっても叶わない。具体的に言うと、背が低けりゃ手も短いわけで、同じく打球でも手の長い人は捕球できても自分は届かない、という現象が起きる。じゃ、どうするか。予め打球が飛んでくる方向に移動しておくしかない。ではどっちに移動しようか、という順番で考えると、どんなバットの振り方をする人はどんな球をどんな風に打ちがち、というような視線で見るようになる。こういうタイプはこんな場面ではこんなことをしがちだよね、とか。場面による統計とバッターのタイプ別思考というか。

これを色んなことに紐付けていくと、相手の嫌がることというのは、相手が喜ぶことの逆を考える。それを導くのは、自分ならこのタイミングで何をやられたら嫌なのかを考える。つまり、結果的に、相手の気持ちになって考えるってことなんだなぁと。将棋とかもそうだけど、たまに将棋盤を反転させてみて、自分ならこうやられたら嫌だという視点でも考えることで次の一手を決めたりもする。人を活かす術を知っているお医者さんは、殺す術も知っている。

走塁では、例えば1アウト2塁の場面。どのポジションの人がどの辺に守っていて、微妙なフライが上がった時に捕れるのか捕れないのかを判断する。その判断材料のために事前のシートノックで各ポジションの足の速さ、肩の強さを把握しておく必要がある。状況把握と状況判断。判断する時に、極めて正確な情報がたくさんあった方が、正しい判断をすることができるだろうし、自信をもって早いタイミングで判断することができる。この場合、打球が落ちるか落ちないのか一瞬の判断の違いで一気にホームに返れるのか3塁までしかいかないのか、はたまたスタートをきったのに捕球されてしまった場合はアウトを2つ重ねることになる。ちなみに次の打者の確率・点数差・残りのイニング・試合全体の流れなども判断材料に含まれるし、ゴロだった場合の内野手の間を抜けるのか、抜けなくても進塁できるのかどうかの判断をするために、三遊間やピッチャーがセンターラインにゴロが飛んだ場合の打球の強さ、後ろにいるショートの動きを背中で感じつつ、判断する。アウトになるかもしれない、という状況でもギャンブル気味にスタートを切るべき状況も有り得るし。

このケースに限らず、その時に起きたことに対応するだけでなく、この場面でこんなことが起きたらこうしよう、ここまでこうなったらこうしよう、という予備の想定をしているかしていないかでとても大事な1歩に遅れてしまうことになるのは、仕事も同じだなぁと。ただ、私にとっては予期せぬことがたくさん起きるし、まだまだ全然できていないことだらけなんだけども、野球経験から紐づくものの考え方というのは、社会人になってからも通ずることがたくさんあるので、甲子園という結果のみならず、メンタルの部分でもとても有益な財産になっていると思う。根本の体力・根性論も含めてね。

じゃあ、最後に、もしキャッチャーをやってる人が人がいたら、その人に一言。スクイズを外すのは、サイン出してる監督を見ててもダメだからね。見るべきはサインを受けた時の三塁ランナーだからね。うわっ!スクイズのサイン来た!っていうドキドキが表に出やすいのは、バッターより、ランナーなの。