見出し画像

次世代感覚の「知識シェア」の意味

教える技術、学ぶ技術については、すでに世の中には沢山の情報があります。そのほとんどは、個人が社会で生きていくうえで有用な知識を教えたり学んだりする観点からのものです。

その中で、単に教える学ぶを超えた、知識をシェアすることについて、とても心に響くことを言いえて妙な形で言語化されて発信されている動画をたまたま先日みました。いつも見ないジャンルの動画だったので、つい慌ててメモ📝したものをシェアさせていただきます。メモなので正確さに欠けるかもしれませんので、引用元の動画はハイパーリンクから飛べるようにしました。必要な方はご確認ください。

まず、知識を伝達する際の、意識の焦点について述べられています。

より高い意識に到達した兆候のひとつとして、個人的な利益にのみ焦点を当てるのではなく、他人を高めることに意識がシフトし、そのために知識や知恵をおしみなく共有しはじめる。単に「教える」のではなく、共感と理解を表現し、周囲の人々の成長に貢献する。

MAYA ARIKA

ここで「単に”教える”、の先の世界観」が提示されています。教える側の教える行為は、従来型の一方的な知識の伝達ではなく、共感と理解の表現という双方向型のものに基づいています。そして、情報共有の目的が<教える側―学ぶ側>の情報の<アウトプットーインプット>にとどまらず、精神的な成長への貢献となっています。そして、その情報提供をする意味合いについて次のように表現しています。

【知識を人に伝える美しい側面】
① 人に教えるとき、自分自身の日常や生き方の理解を深め、さらに多くを学ぶことになる。

② 他人が課題をクリアすることで新たな洞察をもたらす。それは、教える側・学ぶ側の双方豊かになるプロセスである。

自由に知識をシェアすることで、コミュニティとのつながり感を育む。アイディアと経験の交換を通じて、様々な視点や考え方に自分をさらすことで、人々との間につながりを築く。そして全体で発展していく。

MAYA ARIKA

ここでいう、「教える」というのは、通常の私たちの社会でイメージする教育機関や教育環境に限定されるものではなく、日常の会話なども含まれるということです。教えることで学ぶだけでなく、双方への精神的な豊かさへののつながりからコミュニティとのつながり、コミュニティの発展への寄与という視点が新鮮です。

教える技術、学ぶ技術とかは、世の中にあふれていますが、それらは所詮、教えるも学ぶもお互い「それが自分のためでしょ」という意識の世界観がベースになっていることが多い・・とあらためて認識させられました。

つまり、従来の世界観は、教えたり学んだりして、スキルを高めて、キャリアアップして、お金を稼いで、レジャーを楽しみ、より”高い”世界の人たちとつながる、それがwin-win、お互い「自分のため」。それに、まだまだ私たちの社会は、教育といえば教育機関でと思いこみがち。学ぶといえば稼ぐとかすぐに役に立つことになりがち。コミュニティ全体に貢献したいというより、自分がよりよいコミュニティに所属したいというところに主眼がいきがちではないでしょうか。

もう一歩、人類の意識が進化すると、知識のシェア・知識の伝達が、「共感と理解を表現し、周囲の人々の成長に貢献し、コミュニティのつながりを深め発展に寄与」することを皆が当然になるというのは、想像するだけでわくわくします。まぁ、今でも、この次世代型の知識シェアの要素が実行されている場面もあるかもしれませんが、まだまだ部分的であったりレアケースのように感じます。

「共感する、他人の成長に貢献、人々とのつながりを深める」。これは、情報のインストールを超えて、どれもまずは自分の心の在り方に敏感でなくてはならないわけです。そして、他人の成長を喜べるだけの心の余裕がなければならない。さらに、コミュニティとのきずなを深めることが豊かさであるという認識にいたる必要があるのです。精神的なセンサーの大切さ、豊かさの定義、コミュニティの重要性が、従来型の「教える・教わる」世界観の前提とは全く異なります。この辺がひとりひとりの課題なのかもしれません。

ただ、この一歩先の「知識シェアの形」がこのように言語化されているだけで、次がイメージしやすく、向かう方向が照らされる気がしました。備忘録としてこちらに残しておくことにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?