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「おおきなかぶ」は、誰かが嘘をついている物語だ


はじめに

「ねずみの膂力が凄いかもしれない」という端緒から

私は子供の頃から「おおきなかぶ」で、最後に出てくるねずみがとんでもない力持ちである可能性を否定できない限り、物語の構成が美しくならないと思っていた。つまり、ねずみがじーさんより何倍も強かったら、ひとりで大きなかぶを抜けてしまう。その可能性を常に考えていた。

最近大人になって、もう少しこのことについて深く考える機会があった。今日はそのことを文章にしてみようと思う。

1 リズミカルであるための演技

この物語の本質は、リズミカルに同じ現象を繰り返すところにある。これに尽きると思う。

おじいさん、おばあさん、娘、犬、猫、ねずみと同じパターンが繰り返され、韻を踏んだり、同じセリフが出てきたりして、子供を楽しませる。これが物語の本質だ。

つまり、ここでの物語の美しい構成とは、同じリズム、同じ台詞回しでずんずん進んでいくそのテンポに宿っている。

さて、こうした本質をみるとき、登場人物は本当に真面目にかぶを引き抜こうとしているのだろうか? という疑問が湧いてくる。

物語の本質であるリズミカルな展開、新しい人物や動物の登場こそが大切なのだ。登場人物たちは皆ある種の共犯関係にあり、美しい構成を担保する目的に向かって振る舞っているのではないか。

すなわちリズミカルな展開になるようカブを抜けないふりをする演技をしているのではないだろうか。全員でなくとも誰かが、何人かが指揮者や演奏者として、仕組んでいるのではないか。

冷静に考えて欲しい。デカいかぶがあって、抜けないってことがあるだろうか? 

「おおきなかぶ」の物語は、デカいカブを前にしたじーさんたち登場人物たちの演技なのではないか。演技という言葉が収まりが悪ければ、神事なのではないか。たとえば神様と相撲を取る「一人相撲」みたいな。ある種祭祀に関わる演技なのではないか。

2 かぶをめぐる虚実

誰が演技をしていて、誰が真面目にカブを抜こうとしているのか。その最も面白いであろうパターンを考える。

第1章では、「おおきなかぶ」では登場人物がわざとかぶが抜けないふりをしてリズムを作って美しい構成を生み出し、子供たちを喜ばせているのではないかと書いた。

ミルクボーイのネタで考えるとわかりやすいかもしれない。

彼らはオカンの忘れてしまった遊びやお菓子や旅先を、答えとしてはおそらく持ち合わせている。オトンの回答も忘れていない。

ところがミルクボーイの漫才ではそこは重要ではない。答えにたどり着こうとするときに、「その特徴は〇〇や」「それじゃ〇〇と違うか〜」と人々を共感と共に笑わせる。そこに本質がある。この場合、答えに本質はない。

「おおきなかぶ」はこれと相似する。そのことは第1章で触れた通りだ。

さてそれでは、実際におおきなかぶの前で嘘をついているのは誰だろうか。個人的な考察をここで記しておく。

長くなるので箇条書きで。

じじい:嘘
ばばあ:嘘
娘  :真
犬  :嘘
猫  :嘘
ねずみ:真

個人的にはこの構成が一番面白いのではないかと思う。

まずじじい(おじいさん)が出花を飾る。じじいは実際かぶが抜けるのに、わざと抜けない演技をする。

次に、おばあさん(ばばあ)が登場する。じじい(おじいさん)とは連れ合って長い。じじいの演技をすぐに理解し、かつまたじじいの諧謔の狙いすなわち演技の狙いも即座に把握するだけの関係性を、二人は有してきた。

おばあさんはすぐにじじいと一緒にかぶを抜く演技を行う。

ここで我々読者は、この物語の諧謔をめぐるルールを理解する。かぶが抜けず誰か呼んでくるループに入ったのだ。

おばあさんの役割は、じじいの始めたルールを私たちにあきらかなるものとして提示するところにあるだろう。

こうした構成が生じたのち、真面目な娘が役割に参加するのが面白いのではないか。娘はこのなかで紅一点で、かわいくて素直で元気な女の子がいいだろう。じじばばのおふざけを真に受けて、一生懸命にかぶを抜こうとする。

犬は真面目な娘に連れてこられて、初めは娘に応じて真面目にかぶを抜こうとする。

ところがよく様子を見ると、じじいとおばあさんはかぶを抜く演技をしているにすぎないことを、聡明な犬は見抜く。そのため、最後には結局かぶを抜く演技をすることになる。

猫はこの状態を見て、自らも真面目さを発揮しない選択をするものの、そろそろ娘もかわいそうなので、物語を終わらせようと画策する。

猫の独自性は誰を連れてきたか? にある。絶対にかぶを抜けそうにない戦力として、ねずみを提案する。

ここで、再びじじいとばばあである。

猫のこの判断を見て、じじばばどもは最後のオチを明確にイメージする。聡明な犬もそれに即座に呼応する。娘はいずれのケースでも一生懸命にかぶを抜く。

ネズミは自分の役割を懸命に果たそうとするのが良いだろう。

じじいとおばあさんと、犬と猫は大仰にかぶを実際に抜く演技を行い、物語は大団円を迎える。

おわりに

「おおきなかぶ」をめぐる群像劇では、繰り返すリズムを守ることが重視され、キャラクターはそれぞれ演技をしている可能性を指摘した。

個人的な役割への考察を措くとしても、「おおきなかぶ」の登場人物たちは私たちを楽しませるため、嘘というか演技をしているかもしれない。そう考えると、ちょっと違った世界が見えて面白いかもしれない。

日経平均株価の歴史的な乱高下の夜にこの文章を捧げる。



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