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13-ダライ・ラマ問題

 これは数年前から、我が家で問題になっている案件である。
まず4年前(2018年の7月)にFacebookに投稿した文章

 『最近うちの奥さんは、何かハードな筋トレをするライザップ的な所と、エアリアルとかいうヨガ的なところと、フラダンス教室に通っていて、週に数回僕が家に帰ってもいない日がある。それで僕は勝手にスーパーで惣菜など買って食べ、奥さんが帰って来る時には、もう眠ってしまっていることもある。それで奥さんが洗濯物を片付けたり、ゴソゴソしている物音で起きてしまい、少し話したりもするのだが、そんな状況下で今日聞いた衝撃的な話。

 それは今年の4月くらいのこと。その時奥さんが読んでいた本にダライ・ラマの話が出て来て、それがきっかけで奥さんが僕にダライ・ラマの話をして、僕が何かの返事をしたようなのだが、ちょうどその日にFacebookの「過去のこの日」に(ちなみにこの「過去のこの日」欄は、今は「思い出」という名前に変わっているが)3年前のその日にも奥さんからダライ・ラマの話をされたと僕が自分で書いていたのが再表示されてきたと言ったのだそうだ。

 僕はこの話をマルッと忘れていた。つい3ヶ月ほど前のことなのに。その日奥さんは、朝から家の掃除をしていたということなので、おそらく日曜日だったのだろう。

 掃除をしながら、いつもは掃除しないような隅の隅のような所まで掃除していて、「なんでこんな所まで掃除するんだろう?誰か偉い人でも来るのかな?」と思っていたら、ダライ・ラマ(の霊)が来たのだそうだ。

 それでダライ・ラマは、「あの時のことはもう気にしなくていいから」と僕に伝えて欲しいと言ったそうなのだ。「あの時のことって何?」「そもそもダライ・ラマとの関係は?」と、謎だらけの話なのだが、その話を全て忘れてしまっているというのも謎だ。

 なので今日の出来事さえもすぐに忘れてしまうかもしれないので、今ここに書いておくことにしたのだ。』

 これが2018年7月6日の投稿である。それから4年経って、あらためてこの文章を読むと、ところどころ憶えているが、肝心の詳細な部分がわからない。それでここからはかなり推測の部分も含まれているのだが、我が家で勝手に作ったストーリーもまじえての解釈になる。

 まず、ダライ・ラマ(さんの霊?)がなぜうちに訪ねて来たのかということなのだが、ここからして謎なのだ。僕も奥さんも、チベット密教とか、仏教とか、宗教そのものに関して特に興味がない。(ただ僕は1996年に霊能師匠の山村さんと初めて会った時に前世でチベット密教の修行僧だったとは言われている)、そしてうちの奥さんにはよくわからない霊感のようなものがあり、時々そういう意味のわからないようなことを言うのは事実だ。僕は10年以上、そういう現象と共存してきて、これは嘘とか作り話ではないだろうなと今は思っている。

 最初に奥さんがダライ・ラマについて話した時のことはなんとなく覚えている。その時には奥さんは「ダライ・ラマ」という言葉さえまともに言えていなかった。「ダマイ・マラ」みたいな感じで言い間違えていたのだ。それでこの人は本当にダライ・ラマのことは知らないで言っているんだなあとわかった。

 ウィキペディアなどで調べて、ダライ・ラマというのは、チベット密教の教祖的な存在で、お告げのようなものによる世襲制のような感じで今も続いていて、現在は第15代くらいなのだと知った。

 うちの奥さんの元を訪ねて来たのは、時代的に言ってダライ・ラマの2世か3世くらいだろうと推測した。そして本当に恐れ多い推測なのだが、その人が前世の僕で、「もう気にしなくていいよ」というのは前世の出来事についてのことだろうという推測に至った。これは全く根拠のない妄想のようなものではなく、僕には自分なりの根拠があるのだ。

 話の始まりは1995年ころになる。もう25年も前のことだ。現在は突拍子もない話になってしまっているが、最初はごく普通の話から始まって、少しずつの積み重ねで話がここまでになったのだ。

 1995年といえば現在56歳の僕がまだ30歳そこそこだった頃だ。その時は1990年に上京してCM制作会社に入社して5年ほど経ち、会社を辞めてフリーになり、結婚(一度目の結婚)して、福岡に帰って来たばかりだった。

 久し振りに再会した美容師の小出水さんの紹介で、「前世が見れる人」である山村さんに会いに行った。その山村さんが今では「霊能師匠」として僕や奥さん(今の奥さん)の師となっている。

 山村さんに初めて会った日に「あなたは前世でお坊さんだったね」と言われ、僕も納得したし僕の周りにいた人もみんな納得した。僕がいかにもそういう性格だったので。そしてこれが僕のダライ・ラマ問題の始まりだったのだ。

 今では僕は熊本に住み、山村さんは去年お亡くなりになったが、当時は多い時には週に3回くらいは山村さんの家を訪れていた。しかし僕の前世がお坊さんだったという話は最初の時に出ただけで、それ以降はあまりそのことについての話はなかった。

 その間にも色々なことはあったが、細かく書いている時間はないので、時は20年ほど飛ぶ。大雑把に書くとその20年の間に僕は最初の奥さんと離婚し、今の奥さんと結婚し、今の奥さんの実家がある熊本に移住したのである。

 そしてその結婚した今の奥さんというのが、なんと魔女だったんです。というのはテレビドラマ「奥様は魔女」のオープニングだが、本当にうちの奥さんはかつて魔女だったのだ。それで色々なことがわかりはじめた。

 どうも僕の前世は偉いお坊さんで、その時の意識が残っているので、何かにつけ上から目線で、下々の人の気持ちが理解できないため、今は一般市民として生きているにもかかわらず、周りの人とうまくやっていくことができないということらしいのだ。

 らしいのだというのは、自分自身ではまったくそのことが自覚できていないので、ただ周囲から浮いているという事実だけに苦しんでいたのである。

 そのことを解決するためのヒントとして、ダライ・ラマ(さんの霊?)が、僕の奥さんのところを訪ねてくれたのだが、それは僕に語りかけても全く通じないので、奥さんを媒介として伝えて来たらしいのだ。

 メッセージの内容は「あのことはもう気にしなくていいから」なのだが、
あのことというのは何のことか、それについては詳細はわからないのだが、
僕自身のことなので、僕が一番わかっているはずだと奥さんは言うのだが、僕にはまったく心当たりがないのである。これが我が家で今懸案となっている「ダライ・ラマ問題」なのだ。

 多分山村さんは、かなりのところまでわかっていたようだ。意識的にしているのか、無意識のままやっているのかはわからないが、僕には具体的な詳しいことはほとんど教えてくれなかった。おそらく知らない方がいいことなのか、あるいは僕が自分でたどりついた方が僕のためになるという判断からなのだと思う。

 はっきりと具体的には教えてくれないのだが、ときどき遠回しにヒントのような話をしてくれていた。それは例えばこういう話だ。「見えない世界の修行をしていた人は修行の最後の最後に観音様に会う試練があるよ。もうこれで修行が終わりだという頃に観音様が現れて『これまでつらい修行によく耐えてきたな、もう修行は終わりだ。最後に褒美として私を抱かせてあげよう』と言って、するりと衣を脱ぐ。その時に観音様を抱いてしまうと、それまでの修行がすべて台無しになってしまうんよ。」この観音様の試練の話は今までに10回くらいは聞いた。それは20年間くらいの間のことだ。

 もうひとつ「観音様を抱いてしまって、修行が台無しになったお坊さんが霊界で何になるか知ってる?鬼になるんよ」という話も聞いたことがある。この話はもしかしたら1度だけしか聞いたことがないかもしれない。

 そしてもうひとつ、僕の前世についての話。「あなたの前世はお坊さんだったね。修道院のような所で仙人を目指して修行していた。でも仙人にはなれなかった。よかったね、仙人になんかならなくて。」と言われた。

 僕はこれらの話を全部別々の話だと思っていた。そして僕に関係のある話は自分の前世についての話だけだと思っていた。そして霊能師匠と会ってから20年以上経ったある日、ふと、その全ての話がつながっているような気がしたのである。つまり大雑把にまとめるとこのようなストーリーになる。

 僕はかつて仙人を目指して修行していた。その修行の終盤に観音様が現れて、僕は観音様の試練を越えることができず、修行が成就しないまま一生を終えた。そして僕は霊界で鬼になった。霊界での修行を終えた僕は人間として今の僕に生まれて山村さんと出会った。

 この考えに至った頃にはすでに今の奥さんと一緒に暮らしていて「こんなことを思いついたんだけどどう思う?」と奥さんに聞いてみた。奥さんはとても興味を持ち、山村さんに確認してみようと言った。

 それで2人で一緒に山村さんの家を訪ねて、色々な話をしている時に、奥さんが「なにしろこの人鬼だったですから」と、なにげなく僕のことを鬼だったと言った。すると山村さんは当たり前のように「そうそう、だから厳しい考え方をするんよね」と返した。

 ということは僕が鬼だったというのは事実で、鬼になったということは、つまり観音様の試練に破れたのだということも決定した。結局山村さんが話してくれていた一連の話は全て僕についての話だったのだ。

 山村さんが「観音様の試練」の話を僕に何回もしたのは、この一連のストーリーの肝になる話だからということと、僕が何回聞いてもそれを自分のことと考えなかったという理由からである。

 おそらくこの出来事は僕にとってはあまりにもショックな出来事で、自分でも無意識のうちに拒絶していたのだろう。しかしこのことに気付かない限りは僕は一歩も先には進めないので、長い時間をかけて、僕が気付くまで何回も同じ話をしてくれたのだろう。それでさすがの僕も、半信半疑ではあるが、なんとなくそうなのかなと思い始めたのだ。

 ここから先はうちの奥さんの解釈が主になる。その前世で修行していたお坊さんというのが、ダライ・ラマの何世だかは知らないが、おそらくダライ・ラマだったんじゃないかと言い始めたのはうちの奥さんだ。

 このことも山村さんのところに確認しに行ったが、はっきりとは確認できなかった。「あなたはご本人(ダライ・ラマ)に会って直接聞いたの?」「死んだ人より生きてる人と話す方がいいでしょ?」というような、曖昧な答えであった。

 結局山村さんから直接確認できた事実は、僕が前世で修行僧だったということと、霊界で鬼をやっていたということの2つのみで、その他の、その修行僧はダライ・ラマの何世かだったのではないかということと、修行中に観音様の試練を乗り越えることができず、修行を成就することはできなかっただろうということは、僕と奥さんが補足して付け足した情報である。

このようにして、僕のルーツと問題点は
とりあえずひとつの仮説に到達した。
それを乗り越えられるかはまた別の話だ。

 とりあえず今のところの仮説は、
①僕は過去世でチベット密教の修行僧だった。
②そして修行の最期に「観音様の試練」をクリアできなかった。
③どうやら僕はそのことをかなり悔やんでいるらしい。
④そのため僕は自分の能力を封印しているらしい。
⑤そういう僕に対してダライ・ラマさんが、あのこと(観音様のこと)はもう気にしなくていいんだよと言いに来てくれた。
⑥もしかしたらそれは僕の過去世の人だったのかもしれない。

こういうところです。今後の展開を乞うご期待。

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