02-僕の実家があるマンション

 福岡県の春日市、僕の実家があるマンション。11階建てで各階に17世帯ずつの巨大マンションである。僕はここに中学1年の途中から大学3年の途中まで、約9年間住んでいた。今でも僕の父親は一人でこのマンションに住んでいる。

 ここで僕が中学生の時、最初の飛び下り自殺があった。深夜か早朝の事で、10階か11階の廊下の柵を乗り越えて飛び下りたらしく、1階の7番の駐車場に落ちた。

 死んだのは近所に住んでいた女性だった。その頃は、近所にあまり高層の建物がなく、目立つマンションだったので、その人はここを死に場所に選んだのだろうと言われていた。マンションが建って約5年目のことだった。このマンションは1975年に建築されたもので、今でもオートロックの機能は付いておらず、通りすがりの人が誰でも自由にマンションの敷地に出入りできるし、エレベーターを操作して上の階に上がって行くこともできる。

 当時このマンションの5階に住んでいた早川さんという方のお母さまが霊能者だった。その林田のおばあちゃんが、娘の家を訪ねて来た時「このマンションにはちょっと問題があるから、このようにして『おつとめ(ここでは供養のこと)』をしなさい」と、ある指示をした。早川さんは自分の家の小さな仏壇に、言われた通りのものを供えて毎日「おつとめ」した。

 数年後、九州大学に勤務していた早川さんの旦那さんが山口大学に転勤になり、早川家はマンションから引っ越した。その年のお盆に、2人目の飛び下り自殺があったのである。「おつとめ」が途切れたからであろう。

 2人目もマンションの住人ではなかった。しかも、1人目が落ちた場所のすぐ横の8番の駐車場に落ちたのだ。距離にして数10センチの所である。マンションの住人なら1人目がどこに落ちたかは知っているが、外部の人間がそんな場所を知っているはずはない。もし知っていたとしても、そんなに正確にその場所に飛び下りられるはずもない。

 さすがにこの時はマンションの自治会が祈祷師を呼んだ。祈祷師はお祓いをし「後日、もうひとりの分のお祓いをしに来ます」と言って帰ったそうだ。どうも、1人目もまだ成仏できていなかったようである。

 1人目が自殺した時から、1階の7番駐車場の前の部屋は貸部屋になっていたが、借り手がついても、すぐに出て行ってしまうようであった。かつて近所にファミリーレストランがあり、そこの従業員の休憩所として借りられていた時もあった。僕の中学の同級生がそのファミレスでバイトしていたから知ったのだが、その部屋に泊まった人は、必ずといっていいほど、夜中に何者かが部屋を歩き回るのを見ていたという。それで調理師やウェイトレスが次々にやめるので、レストランチェーンが賃貸契約を破棄したそうだ。 

 2人目が自殺してから数年後、今度はマンションの住人が飛び下りた。この人は11階の自分の部屋から廊下に出て、そのまま目の前の柵を乗り越えて飛び下りたので、前の2人とは少し離れた場所に落ちたが、それでも駐車場5台分くらいしか離れていない場所だった。

 マンションの自治会は自警団を結成し、毎晩交代でパトロールした。高校生だった僕も何回かこのパトロールに参加したことがある。管理人も、不審な人物を見かけたら声をかけるようになった。ある日、廊下でウロウロしている見知らぬ人に管理人が声をかけたら逃げるようにいなくなったが、次の日、その人は近所のマンションで飛び下り自殺をしたそうである。管理人が柵を乗り越えようとしている人を発見し、腰にしがみついて止めたこともあった。なぜかこのマンションには人が死にに来るのである。 

 大学生になった僕は、高校の同級生の桐井とよく会っていた。彼は四国の高知大学に行っていたので休みの期間しか会えなかったのだが、彼が福岡に帰省している間は毎晩のように会っていた。ある日、うちの家族が全員出かけていたので、桐井がうちに来た。その日は、うちでしばらくテレビを見たり、そこらにあるお菓子などを食べたりして過ごした後、車でどこかに行こうという予定にしていたのだが、桐井はうちに着いて5分もしないうちにソワソワし始めて「早く出かけよう」と言いだした。

 僕はまだ出かける準備をしていなかったので、ちょっと待っててくれと言ったが、桐井はもう玄関で靴を履いていた。そして「下で車の中で待ってるから」と言って出て行ってしまった。僕はどうしたんだろうと不思議でもあったが、こちらの都合を考えずに行動する桐井に対して腹も立った。少し不機嫌な僕が車に乗り込むと、桐井が「紀川、あの家には俺と紀川以外は誰もいなかったんだよね」と聞く。「ああ、そうだけど」と答えると「実はさっき、紀川の後ろのふすまの陰から誰かの顔が覗いたんだ。もう一回あれを見たら、俺は気が狂ってしまうかもしれない。だから避難したんだ」と言うのである。

 桐井は冗談でこんな話をする男ではなかったし、冗談にしては桐井の怯えかたは異常だった。桐井は高知大学で理系の学部(生物部)に通っており、後には大手コンピューター会社(富士通)に就職した、自称「科学者」で、霊やUFOのようなオカルトの類いは徹底的に否定していた。その桐井が「見た」というのだから、本当に見たのだろう。その後も桐井とはしょっちゅう会っていたが、彼が僕の家に来ることはニ度となかった。

 更に数年後、4人目が飛び下りて死んだ。やはり外部の人間であった。その数年後に5人目、これも外部の人。その頃僕はすでにそのマンションには住んでいなかったが、両親はまだ住んでいるので、6人目が飛び下りて死んだ時に気味が悪くなり、ついに霊能師匠の山村さんに相談した。

 当時はまだ運転免許証に本籍地が記載されている頃で、僕の免許証の本籍地の欄に書かれているそのマンションの住所をしばらく見ていた山村さんは「ああ、このあたりはね、大和朝廷が日本を統一するより前に、磐井一族というのが支配していた土地なのよ」と言った。確かに、日本史の時間に「筑紫国の国営(クニノミヤツコ)磐井の反乱」というのを習ったような記憶があるし、そのマンションの近所には全国的に有名な須玖岡本遺跡もあり、春日市には、新しい建物を建てる時には、まずその土地を発掘調査しなければならないという条例まである。「それで、磐井一族に反抗する人を集めて処刑してた処刑場だったようだね、そこは」と山村さんは言った。

 そういえば、マンションの隣には大きな総合病院(福岡徳洲会病院)があるのだが、ここでも「外部からこの場所に連れて来られた人」が毎月何人かずつは亡くなっている。十数年前にこの病院が病棟を建て増しした時、条例に従って現場を発掘調査したら、首を切り落とされている胴体の骨や、頭に槍がささったような穴のあいた頭蓋骨が大量に出土したそうである。マンションの敷地から病院の敷地にまたがって処刑場があったのだろう。

 山村さんが「後は私がやっておきますから」と言ってくださり、「よろしくお願いします」と言って僕は辞したのだが、山村さんが何をしてくれたのかは知らないが、それ以来10年以上飛び降り自殺は起きていない。



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