子持ちの主婦が(全てを捨てさせられてまで)旅に出る理由。【後編】
幼稚園に通う子供を育てているわたしが突然「旅してみたいからラオスに行ってくるね」と言ったら、夫の父から「子供をおいて貴方だけ出て行きなさい」と言われた話の続きです。
わたしはそれまで夫の両親を自分の親のような感覚で思っていた。それは、良くも悪くもと言った意味で。わたしが「こうしたい」と言えば、「じゃあそのためには、コレとコレができるように努力しないとね」みたいに、反対はせずにアドバイスや解決策をくれる助けてくれる存在のように思っていたのだ。
わたしは思いも寄らない身内からの大反対を喰らって涙と震えが止まらなかった。飛行機のチケットはもう手元にあり、出発まであと10日を切っていた。荷物は何が必要か?ワクワクのカウントダウンと遠足の前の眠れない夜がもう既に始まっていたのだ。何故こんな強行突破みたいな段取りになったかと言うと、夫が自分の親をどういう理由か敬遠していていることが影響していた。
わたしは物事を決めるときには先ずは母に相談するようにしている。母は多方面から物事を見ることが出来る人で、本人自体は独創的なのだが長年男ばかりの環境管理の会社で事務を勤めてをしてきたので「社会ではコレは通用しないよ。それがしたいなら、先ずはココを固めるべきだね」と教えてくれるし、何も相談しないで決めたときにはいじけてしまうので、それはそれで面倒くさいことになる場合も大いにあり得るので、それを回避するためにもまずは母が何というか?で判断をつけることも多かった。
それが夫の場合はまるで逆だった。ラオス行きの件もチケットをとる前の段階で打ち明けて許可をもらわなければならないとわたしは思っていたので、夫に「いつこちらの両親に話したらいい?わたし一人で話しても良い?一緒に行った方がいいかな?」と言っていたのだが、「あー。うん。ちょっとまってー」といった感じに度々、言葉を濁した返事しかもらえなかった。わたしはその時は今と違い、変に謙虚で夫のこの何も進めない何も解決させようとしない性格を何か策があるのかも知れないから口出しせずにに彼のタイミングを待とう。と幻想を抱くことでイライラしないように努めていた。(これはどこの夫婦やカップルにも良くあることかも)
それで大反対されて、、、奈落の底って本当にあったのですね。。。足下ぱっかーんてなって穴に突き落とされたような感覚だった。怖くて涙と震えが止まらなかった。
「まあそう言うだろうね。。。」夫がポソリと言った。
わたしは泣きながら「行ったらダメだと思う?」と訊いた。
夫は「あそこまで言われて行くって事は、あなたは捨てる覚悟出来てるって事だね」と強い言葉で返してきた。
わたしはこいつらは敵。こいつらとはもう同族でいたくない。と怒りがこみあげた。
「お母さんに、いくの反対されたって話してくる。もう諦めるしかないって言ってくる」と言って実家に行った。山が趣味の母からは大きな大きな登山用に使っていたバックパックを「旅立つ君へ」と、譲り受けていたのに。。こんなのが視界にはいったらいつまでも今のこの苦しい気持ちがぶり返してしまうと思い、バックパックも返そうと一緒に持って行った。
夫の実家で反対され、夫に強い言葉で念押しされ、自分の欲求がもう叶わない。わたしは誰かに反対されてまで旅に出る度胸は無い。きっとこのまま諦めることになる。と頭の中で考えていた。何時間もずっと涙が止まらなかった。後にも先にもこんなに続けて泣いたのはこの時だけだ。わたしがこんなに泣けたのは、もう一つ理由があった。どうしても頭の中で「10日後にラオスにいる自分」のイメージが消えなかったからだ。それがある限り自分から諦めることなんて出来っこない。
実家に着くと母がわたしの泣き顔をみて、めっちゃ笑った。そして向こうのお父さんに言われたことを泣きながら話すと更にめっちゃ笑った。笑い転げていた。そしてこう言った。「そりゃマジやな。あんた、諦めい」と。母にそう言い切られるとわたしは怒りが鎮まり、静かな悔しさに変わっていた。そしてバックパックを母に返すと、「これはもうあげたやつだから、預かってはおくけれどいつでも必要になったら取りにおいで」と希望で包んでくれた。
そして泣き疲れて意識朦朧でへろへろしながらも運転して家に戻った。
「おかーちゃん。ラオスいけんがん?(いけなくなるの?)」
「おかーちゃん。あんなに楽しみにしてたのに?」
子供達がわたしに駆け寄ってきた。
「うん。もういかない。諦める」と言って、またぶり返して泣いた。
そして、夫が「向こうのお母さんなんていってた?」と心配そうな声できいてきた。
「諦めるしか無いね。っていわれてん」と答えるとまた涙が溢れた。
「あれから『もう一回話があるから来い』と父から電話があったから、あなたもきちんとした服に着替えなさい」と夫に言われた。夫はスーツに着替えていた。
怖かったけれど、夫が明らかにわたし寄りになってくれているのがわかったので怒りはもう殆ど消えていた。
歩いて2分の夫の実家に着くと、夫の母が玄関で私たちが来るのを今か今かと不安そうに待ち構えていて、普段は使っていない応接用の和室に通された。結婚して10年目にして初めて入る部屋だった。
「あらから、どう考えてもやっぱりあんたの言っていることは理解出来ない。そもそもあんたはこの家の嫁なんだぞ。家をバカにしているのか?」
みたいな会話から始まった。
渡る世間は鬼ばかりみたいだな。と思ってきいていた。
夫の実家を馬鹿にする?それでわたしは何の得があるの?不思議な思考回路だなあ。と思った。
夫はわたしの代わりに今回の旅でのわたしの使命を話し始めた。
「この人はいま、子育ての合間にフェアトレードのお店にアルバイトに行き始めました。そこで知ったフェアトレードのことや日本以外でのアジアの現状について興味を持ち始めたところです。学ぶ機会が欲しいと自主的に思っていると言われ、悪いことではないと思いました。JICAでラオスに滞在歴のある高校時代の同級生が同伴するので向こうでのことも大丈夫だと思います。この人は、普段子育てもきちんとしてくれています。留守の間、子供は私がみます。心配や迷惑をかけるつもりはありません」
こんな口調ではなしてくれた。夫の膝の上に置かれた握り拳が震えていた。
夫の父はそれをきいて更に更に更に逆上した。
「お前までそんなこといってるのか?今まで、見て見ぬふりしてきたけれど、そこまで常識を知らない恩知らずだったとは、情けない。もう話はおわりだ。帰りなさい」
その帰り道、今度はわたしが逆に夫を宥めた。
「わたしのことそんな風に理解してくれようとしてくれているなんて思ってもみなかった。ありがとう。頼りないと思っていました。ごめんなさい。こんな話し合いができて、今までよりもわかり合えた気がします。そういう意味では良かったです。けれど、疲れさせてしまってごめんなさい」
わたしがダメなやつなせいで、こんなにまじめに生きている心優しくて強い夫の事をなんで叱るのか?夫はとばっちりなんじゃないのか?
「あんた本当に諦めるん?オレあそこまで言ったのに?」
とまたポソリと夫が言った。
その2日後にわたしに家に来なさいと、また電話がなる。
夫の父が、わたしが部屋に入ると同時に
「いきなさい」と言った。
涙があふれた。膝から崩れた。
お父さんも、お母さんも涙目だった。
子供達はバンザイをしてくれた。
机のうえには、ラオスについてやフェアトレードについて調べた印刷物がたくさん重なって置かれていた。
この1週間後、わたしはラオスに到着した。
くりえ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?