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#3 新卒2年目が会社役員の本音を聞き出しました!~取締役(開発事業担当)編~

みなさんこんにちは!
株式会社シーアールイーで採用担当を務める 高藤(たかふじ) です🙋🏻‍♀️

シーアールイー役員ブログ第3弾は、取締役(開発事業担当)である小泉さんにお話をお伺いしました!

このブログを公開するきっかけはこちらの記事をお読みください!

また、この記事にはシーアールイーの歴史が度々登場します。よければ、下記よりシーアールイーの歴史をご覧ください💭

高藤)小泉さん、よろしくお願いいたします!
小泉)お願いします!

ーまずは、小泉さんの新入社員時代についてお伺いします。
大学卒業後はどのような仕事をされていたのでしょうか。

小泉)土木工学科を卒業後、ゼネコンに入社しました。最初の7年間、現場管理を経験し、その後、1年間内勤で見積・積算を経験しました。

ゼネコンにて計8年間勤めましたが、会社がバブル崩壊で受けたダメージや談合など業界のイメージ低下などもあり転職を決意しました。現場は協力会社含めて真面目に仕事しているにも拘らず、一部の善からぬ輩の行為により業界全体が疲弊していくことに不合理さを感じると共に、それまで現状維持が当たり前だった自分自身の将来性にも不安を感じたことを覚えています。

当時、転職活動は、不動産業界に可能性を感じて、あわせて「不動産証券化」の波が来ていることに将来性も感じました。ただ、業界未経験で知識もなかったため転職活動は大苦戦。80社ぐらい受けたのを覚えています・・・。そこで、ようやく決まった企業が、高級マンションの売買を行う会社でした。

―その会社ではどのような仕事をされていましたか。

小泉)振り返るとこれまでで一番きつかった時期だったと思っています。いわゆるブラック企業というか・・・(笑)。
外回りや飛び込み営業、チラシ配りなどが通常業務であり、自分の経歴を考えたり学生時代の同期の活躍など耳にすると、土木という自分のドメインを捨ててまでして飛び込んだ不動産業界で、自分はいったい何をやっているんだ、と自分自身精神的に辛い時期でした。

ただ、踏み出したからには嘆いていてもしょうがないので、次の転職の為に仕事の合間を縫って宅建の勉強をしたりしてましたね。ある意味「修行」と割り切っていました。。。

そんな中でも、社長のトーク力や雰囲気づくりが上手く、参考にできたことも多々ありましたし、実際に今でもその教えに基づいて営業することも有ります。結局その会社は1年3ヶ月で退職しましたが、これでもその会社ではかなり長く務めた方で、数少ない円満退社だったんですよ、、、(苦笑)

ー続いての会社にはどのような経緯で入社されたのですか。

小泉)前職在職中に再び転職活動をスタートし、過去に一度応募して不合格となった企業(上記80社の内の1社)から「人が足りてないので、もしよかったら・・・」と声をかけてもらい入社を決めました。この会社がCREの前身の企業です。

―ここではどんな仕事をされていましたか。

小泉)入社後は、有効活用事業の物件の仕入れを担当していました。
業務の流れとして、我々が仕入れてきた物件情報を別部署のリーシング担当へ繋ぎ、リーシング担当の査定により賃料設定の上で収支を作成し、オーナー様へ提案する、という流れになっていました。
しかし、リーシング担当が設定するコンサバな賃料単価では当然収支が合わず、オーナー様への提案も勿論できず、失注することが殆どでした。

複数回こういった状況が続き、社内リーシング担当の設定賃料に疑問を抱きはじめ、こうなったら「自分でリーシングまでしてしまおう!」と思い立ちました。結果として物件情報の取得からテナントリーシングまで、人任せにせず自ら動くことで結果を出すことができ、現在もマスターリース継続中の息の長い物件も含めて契約を成立させることができました。

このころから「人任せにせず、よく考え、自分で動かないと・・・」という仕事に対する意識が変わってきましたね

―現在は取締役として開発事業を統括していますが、どのようなきっかけで開発事業に携わるようになったのでしょうか。

小泉)当社の現社長である亀山さんが当時ファンド事業部長のとき、中小型物件の私募ファンドを組成するということで、既存物件の仕入れを担当する部署が新設され、そこに配属となりました。
しかし、ファンドに組み入れる物件は、遵法性を満たしていることが大前提である一方で、既存の中小型倉庫はその殆どが遵法性について何らかの問題を抱えている物件が多く、投資対象となる物件を探すのにとても苦労しました。
それだったら「自分たちで開発しよう!」となり、結果的に開発事業をスタートする形となりました。その後、開発事業の専門部署が立ち上がり、そこで7物件ほど担当したのがそもそものきっかけです。

開発事業をスタートした当初は物流不動産開発の黎明期であり、国内で物流施設の開発を行っている企業は外資系企業の数社に限られ、国内企業ではほとんどなく、物流不動産開発の走りと言っても過言ではないですね。

ただ2007年のサブプライム問題に端を発し、リーマンショックで決定的となったマーケット急落の影響で、開発事業にストップがかかりました。開発した物件は長期契約のテナントが確定していたにも拘らず、私募ファンドはもとより、投資家の動きがピタリと止まり、その時は一気に経済活動が停滞しました。
その際、当時としては大型の開発物件が完了した時期でもあり、ゼネコンへの工事代金の支払いもあり、八方ふさがりになりましたが、最終的に入居予定のテナント企業に開発物件を購入して頂いたときは本当に救われた気分でした。
その後は、もちろん開発投資はできず、他部署の手伝いや、投資を伴わない仲介業務(成果は全く出ませんでしたが)等を行っておりました。会社の経営も傾きはじめ、仲介やオーナーに対しての減額交渉など、先が見えない中での業務は精神的に厳しかったことをいまでも覚えています。

―この時の経験から教訓にしていることはありますか。

小泉)現状マーケットは非常に良いですが、またリーマンショック級の波が来た場合の想像がついてしまうので、正直踏み込みが甘くなってしまうときもあります。
物流不動産事業はこのコロナ禍における巣ごもり需要等により世の中的にも注目されていて、新規のデベロッパーが多数参入してきており、マーケットが過熱しています。昔を知っているがために現マーケットにおける土地の価格高騰に驚くこともありますが、利回りや各種指標等、机上の計算に惑わされることなく、不変の価値である立地、テナントに支持される施設プラン・スペックを優先して開発事業を取り進めて行きたいと考えています。
大きい声では言えませんが、どちらかというと投資家よりテナント企業に支持されることの方が、この事業の発展、会社の成長に繋がる一番の近道であると考えています。

また、「自分に恥ずかしいことはしない」、「ごまかさない」、「お天道様は必ず見ている」などはこれまでの経験から自分の信条にしています。

―開発事業の責任者として心がけていることはありますか。

小泉)どうしても部門の売り上げ目標を意識してしまいますが、目標達成のために無理して開発物件を増やすことはしたくないと思っています。その立地・スペック・賃料のバランスが良い、時代の要請に見合った適性な物流施設をつくることを心がけています。やはり、不動産は利用してくれる方々があってこそなので、その方々が長期的に安心して利用できるものをつくり続けていきたいと考えています。

―CREが低迷している時にも他社に移らなかった理由はなんですか。

小泉)CREに対して可能性を感じていたからです。当時は業界自体も発展途上で、様々な可能性を持って事業に取り組めると感じ、今も働き続けています。
知名度や会社規模・安定性に惹かれて同業大手へ転職する人間も周りにはおりましたが、私自身、会社の規模や知名度にはあまり興味はなく、どちらかと言えばこれから大きく飛躍する会社であり事業である(その可能性がある)方が魅力的に映っていましたね。
もちろん大手だと給料も上がるでしょうし、知名度もありますが、裁量を持って働きにくいだろうなと感じていました。私にとっては、誰にでもチャンスがあるCREの方が遥かに魅力的でしたね。

―ありがとうございます。
最後の質問になりますが、今後どのような学生と一緒に働きたいですか。

小泉)勘違いすることなく仕事が出来る人ですね。開発に携わると、大きいお金を動かして「稼いでるんだ!」と意識してしまいがちですが、他事業部のストックビジネスが有って、リーシング・PM部門の協力が有って、会社の看板が有って、会社の信用力により借入れができることによって、開発投資事業ができています。当本部はその役割を全うし、仲間を代表して利益を計上させて頂く、というような謙虚なスタンスで仕事ができる人と一緒に働きたいです。多少の山っ気は必要ですが。。。

高藤)ありがとうございました!

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