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ドタバタ米国留学記 #16 帰国へのカウントダウン

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

帰国の用意

だんだん元気がなくなっていくのは、気力と体力を消耗したからではなく、「帰国が近づいているから」というのが最も大きな理由だった気がします。
ワタシが仲良くなった友達は皆、まだアメリカに残るんですよ。

4ヶ月なんて、あっという間。
結局、英語はなんとなくわかる程度のレベルにしかならなかったし。
もうちょい、いたかったな〜。
カリフォルニア、気に入ったのにな〜。
超、帰りたくな〜〜〜い。

帰国1週間前は、毎日こんな感じでした。
こんなに帰りたくなくなるなんて、思ってもみませんでしたね。
体調は良くないし、食事もろくにとれなくてヘロヘロなのに、「ここにいたい」と思うなんて。

帰国数週間前、町の中を散歩していた時のこと。
アップタウンにある、町の図書館に入りました。
日本でも図書館は好きでよく行くんですが、アメリカではまだ行ったことがありませんでした。
というか、町に図書館があるってことを知らなかったんですけどね。
たまたま見つける形で、なんとなく入って、そこで "図書カード" を作れるか聞いてみたんです。
ワタシは留学生なので無理かと思ったら「学生証があれば大丈夫よ」と言われ、それならと作ることにしました。
もうすぐ帰国だったので利用することなんてないんですけど、図書カードをもらった時、なんだか町の住人になれたような気がしてすごく嬉しくてね。
学校も、友達も、町も大好きだったので、「町に住んでいた証として何か持っておきたい」と思ったのかもしれません。
紙をパウチしただけのとてもシンプルなカードでしたが、大切に、財布の中にしまいました。

ヘロヘロでも、超帰りたくなくても、帰国する準備はしないとならず、荷物をまとめる作業の段取りをそろそろ考えないといけない日が来ました。
全てを自力で持ち帰ることはできないので、送るものと手荷物とを分ける必要があり、特に郵送する荷物に関しては費用の面で船便をチョイスすることになるので、到着まで数ヶ月かかることを考慮して荷造りをします。
アメリカで購入したものは捨てていくつもりで買ったんですが、ここにきて悩むわけですよ。
思い出がいっぱい過ぎて。
船便で運ぶ荷物は、衣類や雑貨、書籍類でしたかね。日本で洋書を買うと高いので、何冊かを本屋さんで買ったんです。読めるかどうかわからないですけど、読めるようになりたいと思いまして。
アメリカを出発する日の数日前には発送できるようにしたいので、3泊分の着替えと日用品、お土産やすぐに開封したいものだけをスーツケースに入れ、他は段ボールに詰めました。

9月4日 (金) が学校最後の日、5日にはアメリカを発つので、たしか3日に郵便局へ荷物を出しに行ったと思います。
車を持っているケンが郵便局まで連れて行ってくれるというので、お言葉に甘えて手伝ってもらいました。
荷物も発送し、いよいよ帰国の日を待ちます。

誕生日

そんな中、ワタシの誕生日が9月5日だったので、友達がお別れ会を兼ねて誕生会を開いてくれましてね。
以前、ワタシはコカ・コーラが大好きだと書いたことがありますが、コカ・コーラではないんですけど『コーラ』のイメージカラーの赤が店内にふんだんに取り入れられたレストランが町にあったんです。
それが『Rocky Cola Café』。

ワタシは量が食べられないため、行きたいけど行かれないって感じで一度も入店したことがなかったんですけど、友達が予約してくれまして、ここが誕生会の場となったわけです。
注文したものがテーブルに並び、盛り上がってきたところで
「サプラ〜イズ!」
ケーキの中央にブッ刺した花火をバチバチいわせながらスタッフさんがテーブルへ運んできてくれるんですけど、火花がデカすぎて全員ビビる、っていうね。

消すことも出来ず、ただ花火が消えるのをのけ反りながら待つ、っていうおかしなビジュアルのまま数十秒。
火薬のニオイに満たされ、ケーキには灰が降り注がれ、それを食べたかどうかは記憶にありませんが、ドラマや映画で見る光景が目の前で起きたことに皆で歓喜したのは覚えています。

こんなうれしい誕生会をしてもらい、留学生活最後の時を楽しく過ごしました。
当時、カメラを持って行っていなかったことを本当に悔みますね。
こういうのこそ、写真に残しておくべき記録なのに。

更に残念なのは、学校で使ったテキストも、ビザを取得したパスポートも、学生証も、せっかく作った図書カードも、取っておいたはずがどこにいったかわからないんです。
引越しが多かったわりには、それらはちゃんと荷物に入れて運んでいたのであったはずなのに。
最後の最後 (今住んでいる家に移る時) に、もういいかと処分してしまったのかもしれませんが、どこかにある気がしてならなくて、今でも探しているんですけど見つかりません。

修了証 (出席証明書) は残ってましたけど。


16週間のプログラムが終了


この証書を受け取った日、学校長から呼ばれ封筒を手渡されました。
その時の校長はやや深刻で、申し訳なさそうな表情をしながらすごく丁寧に何かを言ってくれてたんですけど、全然理解できなくてね。
とにかく、封筒の中を必ず見るよう言われたのはわかったので、「I enjoyed my school life. Thank you.」とだけ挨拶してその場を去りました。

で、中を開けてみると、なんと "50ドル" が入っていましたよ。
「お〜〜〜、50ドル案件!」
同封されていた手紙の文字が、筆記体なのか?まぁまぁなクセ字で書かれていたので解読が難しく、なんとなくわかったのは、50ドルを返してくれた理由が運転手がらみではなく、全く別の理由 (←これが何なのかがわからない) みたいなんです。

ワタシが事務局で壁を蹴り怒られたあの時以降、実は半分諦めていたんですけどね。何度事務局へ行っても、全く進展がなかったので。
とにかく、お金が返ってきたのは良かったんですが、なんで戻って来たのかわからないっていう、超謎のまま学校を後にすることになりました。

学校最後の日をどんな感じに過ごしたかは、全く、何にも、覚えていません。
先生や友達には、お別れを言って回ったような気はします。
笑顔だったか?涙を流したか?
寮で過ごす最後の夜も、どんな過ごし方をしたんでしょう?

辛く苦しい思い出は記憶に残っていないことがほとんどなんですけど、それと一緒なのか、よっぽど帰るのがイヤだったんでしょうね、ワタシ。
帰りたくないと強く感じはじめた頃から、ツラくなってしまったんだろうと思います。
あれだけ細かく覚えている毎日の出来事がウソみたいに、帰国前の時期の記憶だけすっかり抜けてしまっているわけですから。

帰国当日は、数人の友達が空港まで見送りに来てくれました。
チェックインを済ませ、荷物を預けて、残りわずかな時間の別れを惜しみます。
最後の最後に、友達が『タイタニック』のDVDをくれました。
ワタシがアメリカを発つ前日だかが発売日で、わざわざ買いに行ってくれたんだそう。
留学して映画館ではじめて見た映画がタイタニックだったので、感慨深いものがありましたよ。

時間ギリギリになり、みんなにハグをしながら挨拶をして、後ろ髪を引かれる思いで搭乗ゲートへ向かいました。

さらば、留学生活。
ありがとう、みんな。


つづく・・・


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