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ドタバタ米国留学記 #15 失せていく体力

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

友達のホームステイ先へ遊びに行く

寮生活とホームステイ生活との大きな違いは「住まい」で、ホームステイは普通のお宅に下宿する感じ、寮はシェアハウスの感覚というとわかりやすいかもしれません。
キャンパスの外にある下宿先か、キャンパス内のシェアハウスか、どっちが良いかは人それぞれですが、ワタシは断然「寮」でした。

留学の申し込み時にどちらかを選ばないといけないんですけど、経験がないのでどっちが自分に合うかなんてわかりませんから、ワタシの場合「これだけは譲れない」っていう条件に合う方を選ぶことにしました。
実に簡単でしたけどね。
「学校へ行くのに、バスとか乗りたくない」っていうのが一番の条件。
ってことで、あっさり寮に決定です。
あとは、食事ですかね。
「食べない」ことを選びたい時が多々あるワタシは、ホームステイは無理だな、と思いましたから、寮の方が都合が良いと判断しました。
ホームステイも部屋を何人かとシェアする形なので「他人と同じ部屋にずっといる」というのは一緒ですから、そこは問題ないんですが、迎えてくれるホストファミリーは必ずしもアメリカ人ではない、っていう話があったので、それも決め手になりましたね。
フィリピン系やアジア系だったりすると、正しい英語の発音が身につきませんから。

友達のホームステイ先のホストファミリーは、もう何年も多くの留学生を受け入れている老夫婦で、私たちが遊びに行った時も「Welcome! 」と笑顔で迎え入れてくれました。
『住人が使える共同のプールがある』というので遊びに行くことになったんですけど、まさか留学先で水着を着ることになるとは思ってませんから、持って行っていなかったんです。
で、ショッピングモールへ買いに行ったんですが、合うサイズが見つからない、っていうね。
お尻のボリュームが全然違うため、 ボトムがどれもブッカブカなんですよ。

結局、ビキニタイプを買ってトップスだけ着ることにして、ボトムは履かずにデニムのショートパンツでプールに入ることにしました。

ほぼ水浴びのようなプール遊び。
いつでも、好きな時に入れるなんて。
なんて幸せなんでしょう。
プールって、学校とか施設に行って入るものと思ってましたけど。
アメリカって、スゲ〜。
マジ最高〜〜。

これは、友達のホームステイ先がたまたまこういう所だったからものすごくラッキーだっただけ、ですけどね。
ホームステイ先がどんな所になるかはわからないので、こればっかりは運としか言えません。
留学生を受け入れるのは「お金のため」っていう人もいるみたいですから。
ワタシの友達のホストは皆イイ人だったようで、悪い話は聞きませんでした。
「洗濯機は週1回しか使わせてもらえない」とか、いろんなルールはあるようですけど、自分の許容範囲なら問題にはならないんだろうと思います。

ある友達のステイ先のホストはおばあちゃんで、家での暮らしはのんびり穏やかだったそうです。
「茹でたスパゲティ水で洗っちゃう。しかも茹で過ぎ。15分くらい茹でてる」と、笑って言ってました。
また他に、『"母屋" にファミリーが住み "離れ" を留学生が使う』なんていうのもありましたから、お世話になる場所次第で生活は全然変わる、というのがホームステイの印象です。

学校に行かれなくなる

ワタシの場合、寮生活なら自分でコントロールしやすいからなんとかなる、っていうので順調に過ごせていましたが、だんだんと食欲がなくなっていきました。
暑さもそうですが、食事が合わないというのがだいぶ大きかったようで、ちょっとずつ食べ物が喉を通らなくなっていったんですね。
すると、一気に体力が落ち、カフェテリア (食べ物がある場所) へも行かれなくなってしまいました。
これは、マジでキツかった。
「ミルクを少しだけ飲みたい」となっても、カフェへ行かないと飲めません。
この時は丘の上の寮だったので距離があったため、カフェに行って部屋に戻る一往復が、もう無理なんです。
それでも、学校の授業は途中から行くとか、午後だけ出席するとか出来てたんですけど、体力はどんどん無くなっていきました。

すると、ワタシが「食べられない」っていうのを知った友達が、「何とかしないと」といろいろ助けてくれましてね。
ナオがホームステイ先でご飯を炊いておにぎりを作ってくれたり、ナッシュがカフェでベーグルを焼いてくれたりして、食べられそうなものを部屋まで届けてくれました。
寮の外から「アユミ〜、アイス食べれる〜?」と声がするので、窓から顔を出して「食べる〜」と答えると、わざわざカフェに行ってジュースのカップにアイスを山盛り入れて持って来てくれた友達もいて、本当に有り難かったです。

みんなの協力でエネルギーをチャージしながら食いつなぎ、体力はなんとかゼロにならずに済みましたが、そんな中、学校からはこんなインフォメーションが届きます。

『寮を移動してください』

マジか。

『9月に大学院生が戻るので出てください』ってことらしいです。
元の寮へ戻れ、と。
快適生活はもう終わり。
また、民族大移動ですよ。
暑い最中さなか、あの大荷物を運ばないといけないなんて。

で、週末、留学生全員でまた引越しです。
ワタシの移動先は、前に住んでいた寮ではなく、隣のこじんまりとした寮で、しかも3人部屋でした。
そのうちの一人が、ロシア人の問題児。
そのは、授業には全く出ず、街へ商売をしに繰り出しては「部屋に毎回違う男を連れ込む」っていうので有名でしてね。

マジか。
それだけは勘弁してくれ。

と、気が気ではありませんでしたが、彼女は間もなく帰国だったようで、知らない男の姿は見ることなくロシアへ帰って行きました。

正直、この部屋に移ってからの記憶が、ほとんどないんです。
この引越しもそうなんですけど、同じ頃学校ではクラス替えがあって、それがワタシにはものすごく大きなストレスになったようです。

8月下旬だったと思いますが、学校内が日本人だらけになったんです。
1週間〜10日だけの短期で来る日本人が、次から次へとワンサカやって来まして、ピーク時に特別な臨時クラスが編成されました。
要するに『すぐ帰国しちゃうヤツらだけ集めたクラス』で、担任も "非常勤講師という名の教育実習生" っていう、間に合わせで作られたものでした。
9月はじめには無くなるクラスなので、9月5日に帰国するワタシは、そこに入れられちゃったわけですね。

友達とは離れ離れだし、「ここは日本か?」っていうくらいクラス内は日本語オンリーで話しちゃってるし。
それで、完全に、電池が切れました。
気力も体力もすっかりなくなっちゃって、学校に行かれなくなったんです。

寮も大量の日本人で溢れ返り、夜中まで外でくっちゃべっているとか、マナーが悪すぎて最悪でした。
っていうので、睡眠不足も加わりまして、見るからに不健康で不機嫌な24歳 (ワタシ) が、とある夜中、部屋の窓を開け、寮の外で喋っている日本人に向かって叫びます。

「てめ〜〜ら、うるせ〜〜んだよ!いい加減にしろ!!」

静かになるわけ、ないんですけどね。
「は?何、今の 笑笑笑」
みたいな。
平和な寮生活が、日本人によって壊されるとは思いませんでした。
他国の留学生たちの表情も曇り、日本人に対しての印象が悪くなってしまったように感じましたし、ただただ、恥ずかしかったですね。

長期プランで来ている留学生のほとんどは12月で帰国するので、「一時いっときの我慢だ」とは言ってましたけど、なんだか、同じ日本人相手に何も出来ないことに歯痒さを感じ、申し訳なさといたたまれない気持ちでいっぱいでしたよ。

帰国の日まで仲の良い友達との時間を大切に過ごすことにして、日本人大学生集団とは接点を持つことはありませんでした。
完全に、授業にも行かなくなりました。
でも、担任の先生の所には挨拶に行き「体調が良くならなくて、この先も出席できそうにない。ごめんなさい」と謝罪しました。
教育実習生も気の毒だな〜と思いましたし、「日本人はこんなヤツらだけじゃない」というのを知っておいてもらいたかったので。


この辺りから、ワタシの中で、本格的に帰国までのカウントダウンがはじまります。


つづく・・・


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