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晩年・・

いくつか前からその気配が確実に感じられるようになったが、何よりも当人は己の身体が故にもっと明らかなる存在としての“それ”と共にあろう。
恐らく着実に畢りがそう遠くないところで訪れるのだろうからこその、やらなければならないことや、やり残したこと、その後悔の念のようなものを口にされるのだろう。

千夜千冊:オズの魔法使い

興行としてのOZの失敗は細心の注意を払って編集しなければならないところに粗く斫ることで、重要なピースが違う何かに挿げ替えられることにあったのだろう。その類はOZに限らず多くのところで散見されるが、これはもしや“擬”と“偽”の違いと言う案外に難しいところが何らか各々の各所で掛け違えられた結果なのではないかと僕は勝手に思ってみた。
しかし、ひとつからこれだけ壮大なリンクが張り巡らされた書評はとうに書評の域は軽く超えているのは周知の事実だが、これをもうひとつの書籍と呼んで然りなところが好きだ。
でもまだまだあらゆるところに引き出し線が引かれ、その先には数万数十万(実際はどのくらいの書物が頭のあらゆるところに入っているのかは窺い知れない)のリンクが存在しているのだろう。
知の塊、松岡正剛の知の全て、つまり収まったすべてとそのリンクを可視化することができるのなら、やってみたいものだが・・この文中にも出てくるが、仮眠を取りつつの作業で“うとうとしながら”の短時間に数冊の本が吸収されていくわけだからこれは僕などが到底近寄れるレベルにないのは重々わかってはいる。
でもだからこそ、魅惑の存在なのであるし、そんな分かる存在ならすでに興味を失っているに決まっている。

全ては何れ何時か、必ず終焉を迎える。しかし、こういう失うことが多大では収まらない損失・損害になる巨人には永く居続けて欲しいと、今までもこれからも願うのだが、それは避けることのできない絶対的なものとして突然起こるもの・・その時が来たら悲しく、淋しい気持ちに苛まれるのだろうなあ・・

随分高くなったお日様

今日も空は透き通る美しさ。
真夏とは違うが、想像以上に暑い五月晴れ。

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