違和感
先日、松岡正剛が亡くなったことを受けこんな記事をアップしたのだけども・・
実は、もうひとつ言いたいことがある。
いや、僕如きが発言して良いかどうかは関係性を読者や信奉者?としてしか持たない者としてという意味で迷うのだが・・言いたいのはこれ。
松岡正剛事務所が発表した逝去に際しての文面だ。
“松岡正剛は唯一無二である。代理の利かない存在であるという言葉をいただいてきました。確かに、松岡がやり残してしまったことの中には、これから誰も継承できないだろうもの、実現できないだろうものがあります。
けれども一方で松岡は、多様な人びととチームを組みコラボレーションをしながら計画を実現するという仕事も数多く手がけてきました。そういう機会を通して、松岡の編集哲学や方法論を共有してくださっている仲間たちが、すでに各地に、各世代に、各分野に多くいるのです。たとえば、2000年の開講以来、松岡が校長として慈しみ育ててきたイシス編集学校、故郷である近江から「日本という方法」を発信する近江アルスプロジェクトは、松岡と志を共にしてきた皆さんの手で、すでに揺らがない地盤が築かれつつあります。
私ども松岡正剛事務所、そして松岡と長きにわたり歩みをともにしてきた編集工学研究所、さらに松岡にとって一番若いプロデュース会社「百間」は、唯一無二の松岡正剛の方法を、イシス編集学校を始めとする皆さんとともに、これからも共読し、研究し、精進しつづけます。それとともに、松岡が何よりも大切にしてきたコラボレーションの「場」と「縁」を大切にし、さらに充実させていくような活動に邁進していく所存です。”
というこの内容に僕は驚いてしまう。
いや、当の本人たちはそう思っているかもしれないが、松岡正剛に到達した人材などどこにいただろう?そして、そんなことは未来永劫起こり得ないのは周知の事実であり、またそれを知ることこそが重要である。“唯一無二、代理の利かない存在”でしかないし、彼しかできないことしか彼から発せられていない。
故に悲しのだと改めて言いたい・・
それにしても、人は育っているものの彼のような人はこの世界・社会背景からは生まれてこないとも言える気がする。彼が生きた50年代からのあらゆる出来事が彼を形成しているわけだ。僕も80年代頃からの記憶はある、がしかし50年代など種もまだ存在していなかったから経験できない。でもその経験があるかないかがとんでもなく巨大なのだ・・
こんなことを言うのもまた恥ずかしいが、松岡正剛という巨人を知ったその日から目指したいと思って切磋琢磨しているが、大きすぎて捉えることさえ出来ていないというのが現実である。が、少しでもそういう思考ができる大粒の大人になりたいとこれからも切磋琢磨するつもりです。
一度、サシでお話ししてみたかった・・それは大いに心残りであります・・
改めてご冥福をお祈りします。
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