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青の日記

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母と自分が体験した不思議な夢を記憶してきた日記を元に記憶に残っているところを書き起こしています。 お見苦しい文面 辛い内容のためご不快になられた方には、深くお詫びいたします。 […
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#日記

幼稚園_nori

[ 幼稚園 ] 1968年 昭和43年  ノリオ-4歳の頃の出来事です。 2022.11.5  今朝、幼いころの夢を見ました そして 男性のような女性のような、どちらともいえないハスキーな声で 「まだ」「まだいいの?」という声で起こされました。 それが誰だかわかりません、 身内や知り合いにそのような声の持ち主もいません。 これが、今日の夢です。 その、幼いころの事を思い出したので書き留めておきます。 [ 2年保育 ] 小さな町の小さな幼稚園に2年保育と言う形で入園いた

誰と話しているの?_sayo

[ 誰と話しているの? ]1967年 昭和42年 10月22日 (土)22:20 サヨ-32歳の頃の出来事 [聞き分けのいい子] 2階のベランダから落ち、辛うじて命を取り留めた息子 その時の不思議な出来事を書き留めておきます。 この子は駄目だよ、といえば言ったことを守る聞き分けのいい子。 しかし、思い起こせば、 この時は、何度となく危ないからベランダで遊んじゃだめと注意したのに遊ぶのをやめなかった。 その、 事故のあった何日か前に不思議なことがあった、 いつもの様に

あかずの日記_nori

[ あかずの日記 ] 1979年 昭和54年 10月6日 17: 45  ノリオ-15歳の頃の出来事である。 [ 押し入れから出てきた古い日記 ] お押し入れの段ボール箱の中からビニール袋にくるまれ開封禁止とガムテープで封印されている中学の頃に書いた古びた何冊かのノートを取りだした。 42年前に封印された中学の頃に書いた日記です。 たしかココに夢の事が書いてあったような気がします。 15歳の頃から書き溜めた日記、 苦悩する両親と少し普通ではない自分の 過去に起きた不

3歳_sayo

[ 3歳 ]1967年 昭和42年 9月29日 (金)10: 24 サヨ-32歳の頃の出来事 [ 息子3歳の秋 ]  この子が生まれてから何事もなく幸せな日々が2年ほどたちました。 つかまり立ちができたのも遅く一年以上かかりましたが、あんなに小さな赤ちゃんがここまで成長できただけでもホントによくがんばったとほめてやりたいです。 息子も3歳になり今では元気に走り回っている毎日で手に負えない事もありますが、それも楽しみの一つとして一日一日を大切に過ごしています。 少しの間

橙色_nori

[ 橙色の光 ] 1986年 昭和61年 7月1日 2:45 ノリオ-22歳の頃の出来事である。 夢を見た。 何だか体がだるい 頭も少し痛い 薄暗い部屋、 真上には、橙色の電球が光っていた。 ここは? ここはどこだ? 周りで誰かが、ごそごそ動いている、何してるんだろう、 声にならない声で「すみません!」と 声をかけた。 ・・・   目が覚めた 夢か・・・! 何だか体がだるい  頭も少し痛い・・・ 薄暗い部屋、

なまえ_sayo

[なまえ ] 1964年 昭和39年 11月2日 10: 24 サヨ-29歳の頃の出来事 今日は名前の由来について書いておこうかな。 29週目で生まれてきたこの子は、 出生体重が1820gしかなくて、とても小さな赤ちゃんでした。 一カ月が過ぎ 予定の退院の時期が来ていたけど、生まれた時があまりに小さかったため、なかなか予定通り体重がふえず入院が伸びてしまった。 あれから1カ月、退院の日が来た。 sayo「やっと一緒に家に変えれるね」 sayo「ほら、あなたも抱いてみて」

あれから2カ月_sayo

[ 2カ月がたった ] 1964年 昭和39年 9月30日 7: 30 サヨ-29歳の頃の出来事 29週目で生まれてきた この子は、 出生体重が1820gしかなくて、とても小さな赤ちゃんでした。 予定の8週間がたち退院の時期が来ていた、 生まれた時があまりに小さかったためなかなか予定通り体重が増えていない。 ・・・・・・・・・・・・・・ 「在胎期間が 37 週未満で出生した赤ちゃんを早産児といいます。また、出生体重が 2500g 未満の 赤ちゃんを低出生体重児といいま

名古屋からの疎開の道_sayo

[ 昭和17年*戦争がはじまりました ]2007年 平成19年 10月1日 17: 45 sayo-72歳の頃の出来事 走馬灯のような夢を見ました。 1942年 昭和17年 10月1日 7歳のころ、名古屋から田舎へ疎開する時の夢でした。 [ 物語のはじまり ] 私の父親は国鉄の職員でした、 暮らしているところは、愛知県名古屋市の鶴舞、 父・母・長女の姉・長男の兄・次女の私・三女の妹の家族6人で住んでいました。 ある日の夜、父からこんなことを言われました 父「サイ

あれから2日_sayo

[ 目が覚めた ]1964年 昭和39年 7月30日 22: 24 sayo-29歳の頃の出来事 目が覚めた、 何だか体がだるい 頭も少し痛い 真上には、橙色の電球が光っていた。 ここは? そうだ・・・病院だ、 あれからどうなったんだろう? ナース「旦那さん!さよちゃん眼覚めたよ!」と大きな声が響いた ナース「さよちゃん、途中で気を失って大変だったんだから~」 急にお腹が痛くなり そこから記憶があまりない。 sayo「あ あ 赤ちゃん 赤ちゃんは?と叫んだ

見守って_sayo

[ また苦しくなってきた ] 1964年 昭和39年 7月28日 1: 15 sayo-29歳の頃の出来事 ・・・・・・・・ まだだよ・・・ ・・・・・・・・ 今日は水を飲んでも吐いてしまい、 胃の中には何も入っていない、 苦しい     苦しい         辛い            助けて・・・ もう、   二度と、     辛い思いは、          したくない、 ・・・・・・・・ 『お願い・・・』    『見守って・・・』  

記憶_sayo

[ 記憶 ] 1964年 昭和39年 7月26日 22: 30 sayo-29歳の頃の出来事 今日は、ちょっとだけ楽になった。 ここの所、体調が悪く日記を書く気力がでない、 まだ初めたばかりだというのに、 [ 突然の腹痛 ]昨日も突然の事で日記を付けられなかった。 今日から、また日記を付けています。 日記を付け始めた理由も書いておかないとね、 [ 理由 ] それは、 消えていった小さな命、 「生」かしてもらっている命、 この奇跡と感謝を忘れないために、

わがまま_sayo

[ 入院になってしまった] 1964年 昭和39年 7月25日 20: 59 sayo-29歳の頃の出来事 今日は、ちょっと体調がよくない、 病院で見ていただいたら、 そのまま入院になってしまった・・・ [ 38.2度の熱と吐き気 ]38.2度の熱と吐き気が止まらず、 わがままを言って 看護婦さんを怒らせてしまったよ。 何をしてても気がまぎれず、 とても苦しい、 [ 何かあった時のために ]日記を書いておくよ。 将来、この日記を読む時が来たら、 笑われち

青の日記帳_sayo

[ 青の日記帳 ] 1964年 昭和39年 7月22日 10: 00 sayo-29歳の頃の出来事 おはよ、おきた? あなたに会えるのは、 まだ5週間も先なんだね、 楽しみ~。 これ見て~  [ 今日から日記 ]始めま~す。 どうこれ 青い日記帳 買ったんだ~ かわいいでしょ、そうでもない? 会えるのを楽しみにしてる、 あわてないでゆっくり来てね・・・ [ これからの事を]日記に書き留めておきます。 そうだ・・・ 今年は、オリンピックが開催される

86才の誕生日_nori

[ 母の86才の誕生日 ] 2021年 令和3年 7月1日(木)雨 ノリオ-56歳 今日は、母の86才の誕生日だ。 長く生きてくれてありがとう、 でも、もっと長生きしてほしい、父の分まで。 どんな事があっても。 生んでくれてありがとう。 育ててくれてありがとう。 面と向かっては何も言えないから、この日記に書いておくね、 まだ何も恩返しが出来ていないから、 もう少し自分のそばにいてください。 必ず恩返しするから・・・ もう少しだけ待っててください。 そう