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名古屋からの疎開の道_sayo

[ 昭和17年*戦争がはじまりました ]

2007年 平成19年 10月1日 17: 45
sayo-72歳の頃の出来事

走馬灯のような夢を見ました。

1942年 昭和17年 10月1日 7歳のころ、名古屋から田舎へ疎開する時の夢でした。

[ 物語のはじまり ]

私の父親は国鉄の職員でした、

暮らしているところは、愛知県名古屋市の鶴舞、

父・母・長女の姉・長男の兄・次女の私・三女の妹の家族6人で住んでいました。

ある日の夜、父からこんなことを言われました

父「サイパンが落ちる、日本は今、戦争の真っただ中だ、東に三菱の軍事工場があるから、この名古屋もいつアメリカの攻撃に合うか分からない、様子を見て逃げる、その準備をしておけ!」

と小さな声で言われました。

長男「戦争? 何も起こってないのに?」

父「大きな声を出すな、必ずアメリカは攻撃してくるから準備を急げ!」

このころ、召集令状は届くものの現地の戦況は知らされず、

私たちの日本が戦争で負けていることすら知らなかったのでした。

[ ある日の夕方 ]

1944年 昭和19年 12月 午後

名古屋にB25爆撃機が接近のため自宅へ帰宅するよう校内放送がありました

夕暮れの中、同じ方面の友達と集団で家に帰る途中で警報が鳴ったかと思った瞬間!

焼夷弾が落ちてきて、あっという間に周りは火の海、

一緒にいた友達は火の中でした。

助けることもできず燃え盛る火の中で呆然としていたら、

兵隊さんが私を抱きかかえて安全なところまで運んでくれました、

もしあのまま、あそこにいたら私も焼け死んでいたと思います。

https://www.asahi.com/video/articles/ASM7D6FTLM7DUEHF00B.html?iref=video_ranking_rank15

[ 名古屋からの脱出 ]

その夜、

空襲が収まらない中、私たちは名古屋から岐阜方面へ疎開するため大八車に家財道具を積み夜中に家を出ました。

真っ暗な道

名古屋からの移動中、規模焦げた匂いと悪臭が途切れることはなく名古屋の空には、点滅する焼夷弾が花火のようにキラキラきらめいていました。

[襲撃された場所]----------------------------------------------------------

名古屋市東区 現在の名古屋ドーム付近

当時三菱の航空機エンジン製造工場にB25爆撃機による空襲があり、名古屋は、あたり一面焼け野原となりました。

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[ 疎開の道 ]

歩き続けて気がついたら6時間、小さな光が見えてきた。

私たちは、小さな橙色の電灯の下で休憩を取りました。

もうここまで来たら大丈夫だ、ここを下れば小さな水車小屋があるからそこで休むと父が言いました。

そこは、父が密かに作った避難場所でした。

疎開の道_01

明け方 日の出とともに私たちは水車小屋に付きました、小高い山の上から後ろを振り返ると焼け野原には、焦げた人の死体が重なり合い街はなくなっていました。

夢はここで覚めました。

母が見た戦争時代のころの夢を保存しておくため
青の日記帳に書き留めました。

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日本の当時の状況

太平洋戦争から第二次世界大戦までの出来事。

1942年4月18日(昭和17年)戦争は始まりました。

1945年サイパン陥落、そこからの一年間 日本全土にアメリカの攻撃が激化

[このころの被害報告]

アメリカによる無差別殺人テロ 愛知の大空襲で名古屋は壊滅

死者数 7858

負傷者数 10378

来襲機の種別および機数

名古屋にB25来襲機数 2機  

合計来襲機数 2,579機

主な被災地域

戦争資料には63回の爆撃はそれぞれ市内各区を爆撃、

1945年1月3日には全市が対象となっている-と記載されている。

豊明町、東郷村、三好村など当時の市外町村も含まれている。

被害の状況

63回の空襲のいくつかの爆撃目標として三菱発動機大幸、三菱航空機大江、愛知時計電機、愛知航空機船方、市街地中心部などの記載されている、

焼失家屋戸数 被害戸数のみ記載されており焼失したかは不明

焼失面積 記載なし


[ 青の日記帳 ] エンディングノート

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