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メリークリスマスと福音

1.
仕事帰りに通る駅前のアーケードは一年に一度の華やかさを見せていた。

ジングルベルの音がそこかしこから聞こえてきそうな浮かれた通りは、まるでプレゼントを待ち侘びている子供のようだった。

あれが欲しい、これが欲しいと目を光らせる娘の期待に今日はちゃんと応えることが出来る。

街は団欒に灯る明かりのように優しい光で包み込まれている。

今更ながら海外の文化が海を超えてここまで身近なイベントとして馴染み深くなっているのを不思議に思う。

けれど大手を振って贅沢することになれない島国の人間にとっては、気持ちを切り替えるための良いアシストとなっている。

財布の紐や緩むのに合わせて気持ちの昂りが迫り上がってくるのを感じていた。

今日は特別。

それは子供にとっても親にとっても魔法の言葉に違いなかった。

両手に息を吐いて温めると、年末の冷たい空気を鼻先で感じながら携帯電話の画面をチェックしつつ、賑やかなパーティーが催される自宅へ足を急がせた。

「ただいま」

古いアパートの扉を開いて靴を脱ぎながらそう言うと、急いで近づいてくる小さな足音が聞こえて来る。

「おかえり〜」

ワクワクと喜びが体の中に収まりきらない様子でくねくねと身体を揺らしながら嬉しそうな顔で出迎える咲喜は寄り掛かるように足にくっついてくる。

生きるべき理由が柔らかい熱で冷えた足を温めて、日々を戦う活力を与えてくれる。

おかえり、リビングから顔を覗かせるようにして妻の菜美も出迎えてくれていた。

けれどその表情は華やか飾り付けに似合うものではなかった。

「ただいま、どうかしたのか」

咲喜が離れるのを確認してから小さな声で菜美に尋ねる。

「さっきね電話があったんだけど、お店側のミスで予約を見落としてたって謝罪の連絡があって。だから後日在庫が準備出来次第すぐに送らせて頂きますって・・・」

厚手のコートを着たまましばらく動けないでいた。

「何だよそれ・・・。すみませんで済む問題じゃないだろ。後日届いたって今日の期待を裏切ることには変わりないんだぞ」

「ちょっと声大きい。それに私に怒られても困るよ。とにかく今は咲喜にどうやって伝えるべきか落ち着いて考えようよ。何よりも大事なのはそこでしょ?」

こういう時に菜美はいつも必要なことを整理してくれる。

「・・・すまない。菜美を責めるつもりはなかったんだけど。つい気が昂って。だけどやっぱりどうしてそうなったのかはっきり聞かないと収まりがつかない。咲喜にはあとで二人からちゃんと説明しよう」

少し待っててくれ、そう言ってからメールボックスを開くと受信の欄から店舗のメールアドレスを探して店の番号に電話を掛けた。

2.
狭いアパートの一室がいつもより広く感じるのは、今日が幸せを象徴するような特別な日だからだ。

こういう時にそんなことをしてはいけないと分かっていながら背の低い本棚の上に置いてある写真立てを手に取ってしまう。

ここに確かな顔写真があると言うのに思い出されるのは泣き顔ばかりで、背中にのしか掛かる業の深さを思い知る。

スペースを持て余すようになったダイニングテーブルの上には綺麗な包装紙で梱包されたプレゼントが行きどころのない迷子のように佇んでいる。

「あなたから貰ったものをあの子にあげるわけにはいかないの。今更になってこんなことして都合が良すぎると思わないの?」

わざわざ自分の手で送り返して来たところを見るに余程伝えたかったメッセージだったのだろう。

返す言葉もなかったけれど、喜ぶ顔を見るために仕立てられた華やかなプレゼントがただ不憫で仕方なかった。

因果応報、自業自得。記憶に埋もれた娘の笑顔を今一度見ることが叶わないのは全て自分のせいだった。

今宵は願いを聞き届けるサンタがやってくる特別な夜。

けれどそれは子供たちのためのものであって、とうの昔に期限の切れた私にとっては何一つ変わらないただの週末の夜だった。

キッチンで火にかけていたケトルがけたたましい音で沸騰を報せる。

それとほとんど同じタイミングで壁の向こう側から割れんばかりの泣き声が響き出してきた。

それは失意の底で悲しみの限りを尽くしたような痛いまでの泣き声だった。

声の主はお隣の咲喜ちゃんだろう。玄関先で見かけるといつも元気よく挨拶をしていた華やかで可愛らしいお子さんだ。

それが今絶望の声をあげている。良くない事と知りながら壁に耳を当てて息を殺した。

「ごめんな咲喜。でも何日かしたらお家に届くから、その時までこのモンスター図鑑をパパと一緒に読んで待ってようよ。ね?」

「その次はママと一緒にお絵描きしよっか。すぐ届くから大丈夫だよ」

優しく声を掛けるお父さんお母さんの言葉はまだ娘に届かないようで、泣き声は一向に止むことはなかった。

話の合間に聞こえた商品の名前は聞き覚えのあるゲーム機とカセットの名前だった。

「ずっとずっと待ってたのにぃ。今日がよかったのぉ」

溺れるように泣きながら声を詰まらせて幼い声は切実な音を響きかせる。

その声を聞いた時、身体は勝手に動き出していた。

今日だけは出来る限り幸せであるべきだ。

3.
家に着くまでに想像していたクリスマスとはかけ離れた惨状が目の前に広がっている。

大人気の商品の在庫確保がすぐに出来る筈もなく、次に入荷するのはある程度先になってしまうと店の責任者から慌てた声で伝えられた。

ネットにある販売情報はどれも定価以上の値段になっていて、まともな値段のものは見る限りSOLD OUTの文字が付けられてしまっている。

こんな幼い子にサンタの不在を悟らせる訳にはいかない。

泣き止まない咲喜を宥めながら頭の中はその解決策を探すことで一杯だった。

すっかり冷めてしまった料理の横で涙の熱を溜め込む咲喜は体力を削りながら顔を赤くしている。

そんな重苦しい熱が充満する部屋の中を突き抜けるようにインターホンの音が駆け抜けた。

菜美が腰を上げると小走りで玄関へと駆けていく。

「あ、どうも奥野さん。うるさくして申し訳ありません。どうかされましたか?」

「こんばんは。夜分にどうもすみません。いやさっき帰って来ましたらね、お宅の玄関先にこんな物が落ちていたものですから報せた方がよろしいかと思いまして」

「これは・・・」

「そりゃサンタさんからのプレゼントでしょう。クリスマスですからね。中身は娘さんが欲しいと思っていたものに違いないでしょう。娘さん泣き止むといいですね。それでは失礼いたします」

どこかの部屋からクラッカーの弾ける音が楽しげに聞こえてくる。

「あのっ・・・お気持ちは有り難いですけれど、これは頂けません。お返しいたします」

「森川さん、サンタはね子供に笑顔を届けるものなんですよ。ですから救える笑顔があるなら、それはその為にある物なんです」

部屋の奥に感じる人の気配は静かに玄関の方へと向けられている。
声のボリュームに注意しながら話を続けた。

「だからそのプレゼントはあなたのお子さんに相応しい。サンタは年に一度だけ喜びを届けてくれる存在です。そのプレゼントは渡すためにあるものであって、持っていても何の意味も無いものなんです」

押し返そうとしていたプレゼントの箱をゆっくりと手の中へ戻していく。

「そのプレゼントを届けたサンタの願いをどうか汲んでやって下さい」

そう言って201号室の扉から離れると静かな202号室へと帰っていく。

部屋に入る前にほんの一瞬隣に視線を移すと、201号室の前で森川さんが綺麗に包装された箱を胸に抱きながら深く深く頭を下げていた。

4.
今日は静かに幸せが降るクリスマス。

相変わらず一人ぼっちの部屋はスカスカで少し寒いようにも思えるけれど、悲痛な泣き声はすっかり止んで、今はジングルベルのような明るい声が鳴っている。

それは雪のように少しずつ降り積もって部屋の隙間を埋めてくれるような気がした。

メリークリスマス。

笑いかける写真立てに向かって唇だけでそう言った。






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