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CRで見つけた「失敗からすぐ前進できる文化」の魅力

今回インタビューしたのは、蓋閉ロボット(Futappy)を担当するセールスエンジニア。自身の「これが好き」という気持ちに正直に向き合い続けてきた彼がCRを選んだ理由、複数の職場を経験してきたからこそわかるCRの良さなどについて聞きました。
CRでエンジニアとして働く自分をイメージしたい方、何を軸に就職・転職活動すればよいのかわからなくなってしまっているという方にもぜひお読みいただければと思います。

機械・電気を中心に幅広く学んだ学生時代

—— まず自己紹介をお願いします。
セールスエンジニアをしています。CRに来てからもう1年以上経ちましたが、あっという間に時間がたった気がしています。今担当している製品は、食品容器の蓋閉め作業を自動化する蓋閉ロボット「Futappy」です。

東京都出身で、学生時代は同じく東京にある都立科学技術大学(現在の東京都立大学)の工学部に所属し、生産情報システム工学を専攻していました。

—— 生産情報システム工学では具体的にどんなことを学ぶのでしょうか。

機械や電気についてひと通り学びながら、経営学やプログラミングなども併せて学ぶという、網羅的にやってる学科でした。一つのことを深くやるのではなく、なんでもやれる、どこにでも行けるというのを目指していたような感じです。

—— そういった分野にもともと興味があったのですか?

単純に理系だったんですよ。算数と理科が得意でした。どこの大学に進学するかについては深く考えずに「いいところに入れればいいや」くらいでした。でも、幅広く学べる生産情報システム工学を専攻できたのは結果的に良かったと思います。というのも、大学生になってから車が好きになり、車に関わる仕事をしたいと思うようになったからです。運転するのも好きで、​​よく父親の車を借りて運転していました。働くようになってからは週末ぐらいしか運転しないですが、今も大好きです!

自動車メーカーよりも自動車部品メーカーを選んだ理由

—— 就職活動はやはり車関係を中心にしていたのですか?

はい。推薦枠が多い大学だったこともあり、自動車メーカーへの学校推薦を受けていたのですが、結局、一般の学生と同じように普通に就職活動して自動車部品メーカーに入社しました。推薦を受けておいて辞退って、大学では一番やってはいけないことをやってしまいました。

—— 自動車メーカーを蹴って、自動車部品メーカーに行ったんですか?

そうです。どうして?って思いますよね。大学の生産情報システム工学では、どうやって作るか、どういう製品を作るかなど、ものづくり全般について勉強していたんですよ。部品メーカーのしていることはまさにものづくりで、素材があって、その素材を削ったりして加工して、加工したパーツ同士を組み合わせて部品にします。僕はそうしたプロセスにおける、どうやって削るのか、どうやって組み立てるのか、どういう人員配置でやるのか、どうすれば自動化できるのか、どうしたらもっと安く作れるのか……みたいなところにすごく興味があったんです。ものづくりを支える部分、要は生産技術ですね。だから、はじめから「生産技術をやりたい」と言って就職先を探していて、その観点からは、より仕事が楽しそうなのは部品メーカーのほうだったんです。

—— 自動車部品メーカーではどういったお仕事をしていたのですか?

当時は自動車用エアコンのコンプレッサーに携わっていました。コンプレッサーというのは、エアコンの冷媒ガスを圧縮して押し出す部品です。生産技術エンジニアとして、1円安く作るためにどこをどう変えるかとか、ラインレイアウトを見直すとかしていました。たかが1円と思うかもしれませんが、1個1円安くなると全体としてものすごい金額が儲かるんですよ。不具合が出たらどうするといったことなども含め、製造業の基本はすべてそこで叩き込んでもらいましたね。7年間勤めましたが、最後の7年目には一人で複数の設備を受け持って、受けた投資をどこにどう使うかみたいな企画までやらせてもらっていたので、メーカーとそのものづくり全体を見ることのできた7年間だったと思います。

30歳を目前に一大決心!ブラジルへ

—— 自動車部品メーカー勤務に終止符を打ったのはなぜですか?

研修制度を利用してブラジルに1年間勉強しに行くことにしたからです。自動車部品メーカーで生産技術エンジニアとして働くうちに「いろんな国で活躍できるエンジニアになりたいなぁ」と思うようになっていたんです。ちょうど30歳になる手前で、30歳になったらもう引き返せないかもしれないという焦りみたいなものもあったし、音楽が趣味でボサノヴァの本拠地であるブラジルに興味があったというのもありました。それで、研修生に選ばれたら会社を辞めてブラジルに行こうと決心してテストを受けました。そしたら合格したんです。 

サンパウロでは研修生として、昼は日立製作所のブラジル事務所のマーケティング部門で資料作りを手伝うなどして、夜は夜学に通うという生活を1年間送りました。ポルトガル語も結構話せるようになりました。ブラジルでの1年は、僕のこれまでの人生の中でもっとも濃い1年だったと思います。日本に比べれば、経済的にあまり恵まれない人たちが多いです。そういった人たちがエネルギッシュに、野生的に、自分の力を信じてその日その日を精一杯に生きているのを目にして、凝り固まっていた固定観念のようなものから自由になれました。

—— ブラジルでの研修後は?

ブラジルでコンサルの仕事のお話をいただいたんですが、思い描いていたのはあくまで日本を拠点にしつつ各国で活躍できる人材だったので、日本に戻りました。そして帰国後は、また同じような自動車部品メーカーで、今度はトランスミッションの生産技術に携わるようになりました。トランスミッションというのは、エンジンで発生した力を回転力(トルク)と回転数を変えながらタイヤに伝える、歯車がゴチャゴチャッとついたお化けみたいな装置です。その会社には「海外部門で働きたいんです」と言って入ったのですが、国内部門に配属されてしまって……。でもまあ楽しく仕事をしていました。ただ、会社が静岡にあって、千葉に住んでいた妻に毎週末新幹線で会いに行くような生活をしていたんです。当時はまだ結婚前だったから、いわゆる遠距離恋愛ですね。それで将来を考えて、3年間くらい勤めたところで転職して東京へ戻ることにしました。転職した先は、電子部品などを専門に扱う商社でした。

エレクトロニクス商社でのロボットとの出会い

—— 商社ですか。それまでとは少し毛色が違いますね。

いや、それがそうでもないんですよ。商社って仕入れて売るのが商売ですが、品質が悪いものを売ってしまうとその後のビジネスに悪影響が出てくるので、仕入れる段階で品質を保証できているものだけを売るようにしなくてはなりません。 そのために、仕入れる製品を作っている工場に出向いて、技術指導や品質改善指導を行うんです。

—— 商社もまた、ものづくりにつながっているんですね!

そうなんです。だから商社はものづくりに詳しい人材を求めていて、僕はその流れで入社したわけです。あるとき川崎重工業のロボットを売るという事業がにわかに立ち上がり、そこにエンジニアとして入ってほしいと言われました。それがロボットとの出会いでした。そのロボットはこんな風に使えるよとか、このくらいのタクトタイムでこれくらいのものが作れるよとか、シミュレーションによると儲けはいくらくらいだよとか、提案書っぽいのをいっぱい書きました。それを5年間くらいやっているうちに、ロボットに詳しくなってもいきました。

偶然でつながったCRとの縁

ところが、その事業が徐々に縮小していって、ついにやめようかという話になったんです。それで「そうかぁ、ロボットの仕事とはお別れか……」と寂しく思っていた矢先に、アキレス腱を切って入院することになってしまって。

 入院中って暇ですからね。以前登録したことのある転職サイトから送られてきたメールをなんとなく見ていたら、その一番上に出ていたのがCRだったんです。募集内容を読んでみたら、なんかすごい楽しそうじゃん!って。

実は、CRがまだごく小さな会社だった頃に、当時Taikiさん(COO)が店長をしていた「変なカフェ」(ロボットがコーヒーを淹れるお店)に一度行ったことがあったんですよ。それで「あの会社が欲しがってる人材の中に、自分が当てはまりそうなのがある!」と。転職しようと思っていたわけではなかったけれど、ロボットの仕事を続けたいなという気持ちもあったし、面白そうだったので、一応履歴書を書いて送ってみたら……という経緯です。

—— 選考はいかがでしたか?

長かったし、選考途中のケース課題が結構大変でした。自分の場合は課題がいくつかある中から選べて、自由課題みたいなのもあったんですけども、検査装置の0次提案みたいなのを選びました。自動化システムがこうですとか、こういう風にすればできるんじゃないですかみたいなのを書きましたが、最後はエイヤーで提出しちゃったせいか、なんか納得いかなかったんですよね。それで人事の方に「提出したものを破棄してください」と言って、別のロボットの提案書を改めて書いて提出したんです。当時は仕事が忙しくて、課題に取り組むのは夜中。書き直したほうなんて期限ギリギリだったので、2晩徹夜して取り組みました。そのときのことは今もよく覚えています。

後から聞いた話では、課題を2つやってきたやつがいる!みたいになっていたそうです。やる気はありそうだということで採用してもらえたのかなと思ってます。

—— 実際に入社してみてどうでしたか?

もともと「面白そうな会社だな」「楽しそうだな」というところからの転職でしたが、予想通り楽しいです。いろんなことがすごく目まぐるしく変化していく中で皆んなが生き生きと仕事をしていて、そんな環境で自分もそのうちの一人として仕事をするというのが結構楽しいんです。

失敗できる、まっすぐに議論できるというCRのカルチャー

—— お仕事では、どういった瞬間にやり甲斐を感じますか?

先方に提案して、発注いただいて、そこから形になって……という長い期間があった後に、実際に現場に導入されて動き始めて、ロボットが蓋を閉めた商品が世に流れ始めたときには「あぁ、やっててよかったな」って。まあ、これは多分誰しも同じだと思うんですけど、頑張ったものが結果として出るのはやっぱりいいですよね。 

——— 複数社を経験してきたからこそ感じるCRの良さってありますか?

入社当時の旧コアバリューの一つに「承認より謝罪」っていうのがありました。その根底にある「言い訳してる時間がもったいないから、ちゃんと反省しているのであればきちんと謝ってサッと切り替えて、もっと良いものを作ったほうがいい」という姿勢は魅力的だなと感じています。

これまでに勤めてきた会社は大きな会社ということもあってどこか保守的で、しかも自動車部品メーカーと商社なんてもう謝罪ばっかり。しかも謝罪したところで、やれ誰に責任があるだのやれ誰がこれを選んだだのとなる。「できなかったらごめんなさい」が通用しなくて責任を取らされるから、前向きな検討というのができないんです。CRとは真逆でしたね。

CRでは、失敗してごめんなさいとなったら、その反省を活かしてすぐにまた前を向いて進む。これができる会社はそうそうないかなって思っています。

——— 失敗自体を咎められることがないということですね。

はい。また、CRにはそういう文化があるからこそ誰もが意見を言えるし、建設的な議論ができるんですよね。他の会社だったら、議論する前に「ここで収めようかな」っていうのがある。間違えないように、責任を取らずに済むようにという日本的な処世術みたいなのが必要で、結果として前に進んでいかないことも少なくない。必ずしもそういうのが悪いというわけではないですが、僕はCRの「謝って反省したなら前に進もう」っていう考え方がすごくいいなと思っていて、それがCRへの入社の決め手になったようなところもあります。

——— 議論ができる環境は意外と少ないのかもしれませんね。

熱があり過ぎたんでしょうかね、ほとんど喧嘩と思われるくらいの議論をしたこともあります。それでも嫌味というか後腐れが全然ないんですよね。それって結構、貴重な文化じゃないかなと。どこまで行っても喧嘩じゃなくて議論なんです。実際、まるで喧嘩みたいだったその議論の相手とも仲良いですから(笑)

最後に

—— オフの日はどんな風に過ごしていますか?

娘のバスケの練習や試合を見に行きます。それから楽器の演奏。基本は太鼓とかなんですけど、ギターもベースもピアノもやります。自宅の趣味部屋は音楽部屋みたいになってます。昨年末に会社であったクリスマスパーティーでは、僕と同じようにブラジル音楽好きなKoichiさんとセッションする予定だったんですよ。でも、準備万端だったのに直前に知人に不幸があって実現できず、本当に残念でした。絶対リベンジしたいですね。

—— こんな人と一緒に働きたいなというのがあれば教えてください。

つらい労働からの解放や、人手不足問題の解消といった「人が苦しんでいる状況を変える」ことに興味がある方でしょうか。仕事をしていれば難しい局面も出てくるはずですが、そんなときにも前向きに進むことができて、最終的には「人が苦しんでいる状況を変える」という根っこのところに戻って来られるような方だったら嬉しいですね。また、僕みたいに単純にロボットが好きで食べるのも好きという方もCR向きだと思います。ロボットと食ということで、僕、勝手に「夢の共演」って言ってます。

—— 本日はありがとうございました!

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