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Juice WRLDの「WRLD」とセカイ系

昨年11月で閉鎖されたWebメディア「Soundmain Blog」に私が寄稿した記事のnote転載が終わりました。ほかの寄稿者の方々のnote転載分もあわせてマガジンにまとめているので、当時の記事を読みたい方は是非。

そんなSoundmain Blogの編集者だった方が、北出栞名義でライターとして著書「『世界の終わり』を紡ぐあなたへ」を先日発売しました。アニメや漫画のジャンルとして使われる「セカイ系」という言葉を再考し、編み直すような一冊です。高橋しん「最終兵器彼女」新海誠「ほしのこえ」といった代表的な作品から、スマートフォン向けゲーム、ボーカロイド、天使界隈……などなど、様々な対象からセカイ系文脈を読み取っています。サンプリングにも言及しており、そこはSoundmain Blogでの私の記事とも少し重なる部分があります。

一見繋がらなさそうなものがセカイ系で繋がっていく様が刺激的で、読みながら「もしかしてこれもセカイ系なのではないか」というものがいくつも浮かびました。その中の一つが、シカゴのラッパーのJuice WRLDです。これは単純に名前に「WRLD(worldの短縮=世界=セカイ)」が入っているためではなく、それぞれの章での論から想起するようなトピックが多くあったためです。

第一章では、デジタルテクノロジーが生み出した距離や曖昧で「半透明」な感覚などについて論じています。ここでその後も頻出する「切なさ」という言葉がキーワードとして出てきますが、Juice WRLDのスタイルもまさに「切なさ」を押し出したものです。2010年代後半から盛り上がったヒップホップのサブジャンル「エモラップ」の代表的なアーティストであるJuice WRLDは、ブレイクのきっかけとなったヒット曲「Lucid Dreams」を筆頭に切なさを歌った曲を多く残しています。また、オートチューンを用いたラップスタイルはデジタルテクノロジーと密接なものです。

第二章では、映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」から、「ヒト」と「モノ」の境界や「再構築」について考えています。また、第三章は新海誠監督をMV的な視点から論じたものです。第三章ではアニメの映像と音楽を組み合わせたカルチャー「AMV」に言及していますが、Juice WRLDもAMVの音楽としてかなり使われているアーティストです。中には「エヴァンゲリオン」シリーズの映像と合わせたものもあります。2019年に惜しくもこの世を去ったJuice WRLDですが、公式・非公式で二次創作(=再構築)が続き、その存在は長く愛され続けているのです。

第四章では、スマートフォン向けゲームを主な題材にしています。ここでは再び「切なさ」がキーワードになっており、私はやはりエモラップの代表格としてのJuice WRLDを想起しました。また、この章では「子ども」もキーワードになっていますが、Juice WRLDは以前はJuicetheKidd名義で活動していました。

第五章は(ポスト・)ボーカロイドをテーマにしています。ここでは「『人間/非人間』の境界をすでに超えた意識で活動を行う表現者の言葉を直接聞くことができるのが『ポスト・ボカロ』の時代」としていますが、この視点はJuice WRLDが多用するオートチューンにも言えるものです。以前は「ロボ声」として受容されていたオートチューンですが、Juice WRLD世代の使い方と受容はもはや「ロボ声」ではありません。このことについては以前こちらの記事で書きました。

第六章は、TikTokや天使界隈のほか、nyamuralazydollといった国内アーティストなどについて論じています。Juice WRLDは「999」という数字を右腕にタトゥーで刻み、SNSやグッズに使ってきました。これはサタンを示す「666」を反転させ、「どんな病気でも、どんな悪い状況でも、どんな苦境でも、それをポジティブなものに変えて自分を前進させることを表している」ものとして使っていたといいます。サタンの反転ということは、これも一種の天使と言ってもいいのではないでしょうか。

第七章では、現代アート作家の布施琳太郎を中心に据えて「切断」や「作る」行為について考えています。「まずは作ってみる」ことを推奨するような語り口がありますが、私はこの視点にブラウザ上で使えるDAWとサウンドパックストア、メディアが一体となったSoundmain関係者らしさを感じました。そして、Juice WRLDは遊びでラップを始め、友人からの勧めで本格的にラッパーの道を歩んだ人物です。創作を深刻に考えずに「まずは作ってみる」からスタートし、その後大きな存在になることは往々にしてあります。

ラストの第八章では岩井俊二監督や「最終兵器彼女」をこれまでの論を踏まえて再び論じ、セカイ系を総括しています。ここでは破滅願望と踏みとどまる倫理について書いていますが、Juice WRLDが生前最後にリリースしたアルバムのタイトルDeath Race for Loveはそこにぴったりなタイトルのように感じました。

Juice WRLDの「WRLD」の部分はセカイ系とは関係ありませんが、この本を読んで繋がるようなトピックをいくつも考えることができました。それはこの本が論じる対象と参照の幅広さ、それらを繋げる語り口から伝わってくる熱意に刺激を受けてできたことです。私はJuice WRLDについて考えましたが、この本からはきっと皆さんも何かしらの刺激を受け取ることができると思います。


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