帝王学の書 ⓪貞観政要から学ぶ組織運営のヒント
別の記事で、私は日本の古代史と高句麗の関係について取り上げてきました。
高句麗を滅ぼしたあげく、倭国の安全保障に重大な脅威を与え、日本国家誕生のきっかけをつくったのは唐王朝。
その二代目の皇帝で、中国史上有数の名君と言われた李世民は太宗ともいわれます。
その太宗が政治に関して部下と問答した内容が後世、貞観政要という書にまとめられました。
貞観政要は帝王学の書とも言われますが、皆さんは帝王学ってどんな内容だか想像できますか?
日本人が今でも漢字を使っているように、東アジアにおいて中国文明は私たちの思想や文化に強く影響してきましたが、貞観政要は政治思想の分野で日本社会に影響を与えてきました。
徳川家康が伏見城にいて天下人豊臣秀吉を補佐していた頃、家康はこの貞観政要を大量印刷して家臣たちに配布したそうです。
帝王学の書を家臣に読ませるのは、それを徳川家の運営方針として勉強させるためでした。
徳川家に属していない人たちもそれを読み、家康の基本方針について理解したでしょう。
「徳川ってすごい。豊臣とぜんぜんちがうじゃん。」
と多くの人たちが驚き、密かに徳川家に期待した可能性を想像します。
それは家康にとって天下取りの布石でもあったし、結果として江戸時代の基盤となる思想を定めたということでもあります。
貞観政要の特徴を上げるとするなら、徹底した<本音の問答>です。
部下は国家のために思ったことを遠慮なく皇帝に伝えなければならない。
ならば皇帝はどうあるべきか。
単純ですがとっても難しい課題だということが、読んでいるうちにわかってきます。
私利私欲で皇帝のご機嫌を取ろうとする者、
保身のために沈黙する者、
ライバルの足をひっぱるために讒言する者。
そういう人間模様に対して適切に対応することが皇帝に求められた能力だとされたのですが、難しいテーマですね。
私のような凡人には無理は話ですし、現代の企業でこれが完璧にできている経営者って実在するのでしょうか。
徳川家康は貞観政要を読んで、「そうだったのか」と思ったのか、それとも「これが言いたかったんだよ」と思ったのか。
私の推測では、おそらく後者の方。
家康が徳川家を育てるうえで実行してきたことの多くが、たまたま貞観政要に通じていたのだろうと思うのですが、家康は歴史研究家でもありました。
徳川家康の行動から醸し出される臭いみたいなものが、なんとなく貞観政要と相性がよかったような気がします。
<戦国乱世を勝ち抜いた組織の原理>と貞観政要とで共通の原理があるのなら、それは現代の組織運営においても参考になるのではないか。
日本人が無意識に模範としている欧米的思考が、日本社会の諸問題を解決するうえで不合理に作用していると感じている私としては、日本人の身の丈にあった考え方を模索したくなるのです。
ハラスメント問題や心理学とも密接にかかわる内容なので、しばらく貞観政要について考えてみたいと思います。
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>