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帝王学の書「貞観政要」から学ぶ組織運営のヒント ~ ⑧ルールをゆがめたときが終わりの始まり

現代の組織運営でも役に立つ貞観政要の話です。
貞観政要は7世紀の唐王朝で名君とされる太宗の問答の記録。

現代人にもわかりやすいよう原文にこだわらず、私の勝手な判断で表現を作り替えておりますことご容赦ください。

唐王朝の宮廷で、政府高官がうっかり佩刀したまま宮中に参内してしまい、それが発覚して問題になりました。

武器を携帯したまま皇帝と面会するのは、確かに危険な行為ですから、死刑相当の重罪であってもおかしくありません。

問題を起こした高官は皇后の兄、つまり政界のナンバーツーですから、警備担当者としては、ルール違反に気がついてもそれを咎めるには勇気と覚悟が必要だったでしょう。

警備担当者が油断していて気がつかなったという罪状ですが、当の高官は軽い罪、警備担当者には死刑が妥当だと担当大臣が言いました。

太宗も大臣の意見に従おうとしたところ、司法担当官がこんな反対意見を述べました。

警備担当者を本人(高官)よりも重い刑にすることは法としてできません。
どうしても死刑にするのなら、法でなく皇帝陛下の責任で行ってください。

以上

すると太宗はこう言いました。

法は私一人のものではなく天下のものであるから法をゆがめることはできない。
以上

こうして警備担当者は死刑を免れました。

権力の頂点にあるからこそ法をゆがめてはいけない。

これは現代でもなかなか難しいことです。
政治家、検察、警察、メディアほか、あらゆるところでおかしなことが起きています。

太宗にしても、本来死刑であるべきところの高官を死刑に処したわけではありません。

権力の座にあると、太宗ほどの人でも身内に対して甘くなってしまうのです。
そして、あれほど忖度するなと部下に言う太宗に対して、こうした忖度をする大臣がいたのです。

経営者が真剣にきれいごとを行っているつもりでも、実態はたかが知れているのか。これは心理学的に興味深いテーマです。

そして、権力者に対して真実を語る官僚には勇気が必要ですが、事務官僚の勇気は賞与に影響しません。

だからこそ、トップにいる者だけでなく国民も、忖度しない勇気を常に褒めたたえ奨励しなければなりません。

しかし現実には、私たちはありとあらゆる場面で諦め、その言い訳を探しています。

さて、この国は本当に法治国家でしょうか。
日本の政治家や官僚は唐王朝と比べてどうでしょう。

そしてメディアと国民はこれに対してどう向き合っているでしょうか。
私には、現代も古代も、たいして違いがないように思えます。


ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>