エッセイ【ASD×不安障害の懊悩】私の心が嫌っている世界
私自身はこんなにも世界を愛しているというのに。
この心は世界を嫌っている。
noteを書くにも、美容院に行くにも、過去の友人に会うのも、大好きな祖父母の家に行くのも、大切な恩師に会うのも全部全部一筋縄じゃいかなくて。
どうしようもなく怖くて、どうしようもなく気持ち悪くなる。
私はそんな変わり映えのない心身のリアクションに飽き飽きしているのだけれど、どうも心と身体はそうでもないみたい。
別に怖いことなんて無いのに、胃の中身は空だというのに。
良いしれぬ恐怖と吐き気がやってくる。
この胸を、そして人生を腐らせたこの症状はどんな抗うつ薬も抗不安薬もちっとも効かない。
それでもまた毎度お馴染み、精神科に行く。
症状を話す。
「様子をみましょう。」
「不安は完全には無くならないんですよ。」
「良くなった症状に目を向けましょう。」
そんな当たり障りのない言葉はいらない。
“様子をみましょう“?
何回も聞いたわ。その言葉。
”不安は無くならない”?
分かっとるわ。軽減すらされていないんだよ。
”良くなった症状に目を向ける”?
・・・。了解です。
確かに良くなった部分もあるのだけれど、変わらない部分は何年経っても改善されなくて。
ずっと私の努力不足なのかなって思ってた。
本当はできるのに怠けているだけなんじゃないかって。
耐えられない恐怖なんてない。
吐き気に耐えられなければ吐けばいい。
そう考えて向き合ってきたのだけれど、事態が悪化しただけだった。
1つ1つできることを。
そう心の中で唱え続けて何年経った?
もう10年以上は経ったな。
いまだにできることはあの頃とさほど変わりない。
脱引きこもりに向けて動き出したことが、却ってもどかしさを感じさせる。
他人と比較して無力な自分に落胆する。
でも、私はまだ諦めきれない。
だって私は人が好きだ。
なんやかんや社会も好きだ。
そしてこんな腐りきった自分が好き。
だからなんだ?
じゃあどうする?
どんな私も全部、全部受容して私の心が世界を愛せるようになるまで「大丈夫、大丈夫。」って根気強く宥め続ける。
これが私が出した答えだ。
空腹で眠れず苛立った深夜に書いています。
さっきピザを食べたんだけれど、まだまだお腹はぺっこぺこ。
初見さん、いつもの私はこんなにちくちくしていないので良ければまた、覗きに来てくださいね。
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