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短編『離れがたい』【1週間限定無料公開中】

【おにロリ(お兄ちゃんとロリータ)アンソロジーに寄稿した作品】

 愛情なんて知らない。僕の愛情なんて、他者からしたら気持ちの悪いもので、犯罪として扱われる。別に普通にその子のことが好きなだけなのに、世間的に居場所がないから僕の愛情は消し去ったほうがいいらしい。

 幼い女の子が好きだ。

 小学生以下の女の子。ランドセル姿だって素敵だと思う。でも、それよりももっと幼い子になんとも言えない感情が湧く。そう気づいたのは、小学六年生の頃の幼稚園への課外学習だった。きっと覚えていないだけで、理解してなかっただけで、昔から感じていた感情だったに違いない。あの時、自分の半分にも満たない女の子が僕にすり寄ってきたあの瞬間、体が熱くなった。何かがはじけたように白く黒く、薄暗いようでフラッシュを焚いたような感覚が僕に襲い掛かってきた。

 その日から頭は彼女らの姿にとらわれている。学校に入学体験に来ると聞いたとき、僕は率先してスタッフに名乗りを上げた。彼女らと給食を一緒に食べるだなんて、幸せこの上ない。

 繰り返し繰り返し思い出しては一人布団の中で慰める。記憶が擦り減らないうちに、近くの幼稚園に行く。「この前交流に来てくれた」と先生に覚えられていたから不審がられることもなく、見ていられた。彼女たちの笑顔、つたない歩き方、スカートの中なんて気にしない振る舞い、それらすべてが僕を刺激した。そんな毎日だった。

 けれど、歳を経るにつれ周りの人の年下好きとは違うレベルなのだと分かり始めた。高校生の時、中学二年生と付き合っていたクラスの男子がロリコンと罵られていた。三つぐらいでロリコンと言われる世界で、僕は自分の好きを語るわけにはいかない。

 僕はペドフィリア。ネットで小さい女の子を探しては保存していた。手は出していない。断じて一回も手を出したことはない。ただ、SNSで子どもの写真をあげている人をフォローしては、それを思っては一人で、誰に迷惑をかけなかった。

 でも、それも成人したときに危機を感じた。僕のこれが明るみに出たら、きっと児童ポルノ云々で逮捕されてしまうだろう。そういう罪でテレビで騒いでいるのを見ると馬鹿馬鹿しく思う。もっと完璧に隠し通せよ。どうせ、人間は批判をするものだ。少数派の僕なんて、社会から抹消されるべきな存在らしい。大学生になった時には、三人と付き合った。同い年、先輩、後輩。色々試してみた。誰でもよかった。同世代に興奮はしなかったけれど、子どものころの写真を思い出すことでどうにかなった。なってなんかないな。バレて罵倒されたこともあった。だめだ。幼い子にしか興奮しないのはダメなんだ。

 もう、どうでもよかった。自分の中の幼児性愛を出来るだけつぶして、つぶして僕は何も考えなくなった。性欲をなくした。僕は人間じゃない。そう、僕は無機物だ。性欲なんて消え去り、愛情なんてなく、ただ淡々と日々を過ごす。

 淡々と、そう、ただただ淡々と、生きていく。

 電話がかかってきたのはそれらが日常になった二十八歳の夏だった。野田清が死んだそうだ。母は冷淡にあいつの家を片づけてこいと言った。電話の向こうでは男児が騒がしく遊んでいた。母はもう全く別の家庭を作り上げている。それでいい。

 物心ついた頃にはとっくにいなくなっていた野田清のことなんて、父親だなんて思っていなかった。けれどまあ、形式上は父であることは間違いないのだから、息子としての義務だけは果たさなくてはならない。

 知らされた住所は奈良の山奥、車を走らせて五時間ほどの場所だった。人っ子一人いない。限界集落、という言葉が頭に浮かんだ。大きいとは言い難い家は散らかっていた。晩年の酷さを感じさせられた。所詮そんな人だろうと思っていた。落胆もしないけれど、その血が自分の中に流れていると思うと嫌になる。けれど、自分の末路のようにも思えて乾いた笑いを漏らさずにいられない。

 全て廃棄。全てごみ袋に詰めて、粗大ごみとして、廃棄する。そのため、脳の疲労はなく、ただの肉体労働でしかなかった。夜になり、明日で作業が終わるめどが立った。きっとあいつが寝起きしていたのでだろう部屋で寝ようとは思わなかった。布団も出しっぱなし、押し入れの中には箱が二つあるのみだ。

 ほこりの被った箱の中身は。ぎっしりと写真のアルバムが入っていた。ひとつ手に取る。

 あいつってこんな顔だったんだっけ。子どもに囲まれて笑う父親。クソが。

 ページをめくる。何故、この家にこんなたくさんの子どもがいるのだろう。
 ページをめくる。この子たちはどこの子なんだろう。
 ページをめくる。
 心臓がギュッとした。
 目が奪われる。

 体が熱くなる。脈拍が早くなり、一つの場所に血が集まる感覚。久しぶりの、それ。

 そこに写っていた女の子は、赤いワンピースを身にまとい、カメラに弾けるような笑顔を向けている。次のページにも、同じ女の子。しゃがんでザリガニを持ち、つたないピースをしている。太もものむにっとした部分が見える。硬くなるのがわかる。

 理想の女の子。この子こそが僕が思い描いていた最強の可愛い女の子だった。無邪気で、幸せそうに笑う、何にも敵意がなく、誰にでも笑いかける、そんな女の子。人を疑うことを知らない子ども。愛おしい、暑い、熱い。

 貪るようにアルバムをめくり続けた。こんな女の子がいただなんて、あいつは幸せものだな……。うらやましい、腹が立つ。もしや、あいつも同じ好みを持っていたのかもしれない。他の子に比べてこの子の写真が多い。この子は誰なのだろう。あいつはこの子にとってなんなのだろう。妾の子か? それともどこかから誘拐でもしてきたのだろうか。この人数の子どもということは何かをしていたのだろうか。この子の名前はなんというのだろう。

 この子に会いたい。けれど、ずいぶん昔の写真のようだ。六歳か七歳か、かわいい、20年は前の写真だ。

 そっと腕の中でこの子を包むことが出来たら、きっととてもふわふわしていて気持ちがいいだろうな。にこにこと笑う彼女は太陽のような匂いがしているだろう。体温が少し高くて、心臓のドクドクという音は人よりちょっと速い。

 ふと、その熱が限界まで高まり、冷めた。いや、冷めてはいない。まだ体の内側から巻き起こる熱と衝動が僕の思考を鈍らせる。
 彼女の口角を指でなぞる。この子はこの家にいた。
 アルバムからあの子の写真だけを抜き出した。他の写真は全部ごみ袋に突っ込んだ。あの子の写真は丁寧に転がっていたクリアファイルにいれた。
 夜は深まっていた。ここに来るまでに買っておいた弁当は温めずに食った。車の中で一人。あの子が目に入るたびに熱くなる自分に腹が立つ。長くつづけた禁欲生活、全てを消し去ったつもりの自分の日々を否定するように思えた。あの日々はいったい何だったんだろう。自分の感情を消し去り、人間であることを手放したつもりだった僕は、所詮は自分の熱をコントロールすることすらできない人間だったんだ。

 そう思うと悲しくなった。
 でも、この子に対する熱量は他とは違うという確信があった。僕は幼女以外愛せない。歳を重ねた人間に興味はない。そう思っていた半生で、きっとこれからもそうだろうと思っていた。でも、この子なら。この子なら大人になっていたとしても愛せる気がするんだ。この子の手は、永遠にこの子の手であるはずだ。だからその手に触れることは、僕の幸せになるのではないか。この子なら、大人になった姿でも子どものような純粋無垢な笑顔を向けてくれるに違いない。

 この子はいったい誰なのだろう。
 今どこにいるのだろう。
 どこで何をして、生きているのだろう。
 しかし、僕はそれを知ることが出来ない。この子の写真を撮ったであろうあいつはいなくなった。あいつの妾の子、だとしたら、ここに現れてもおかしくないだろう。でも、きっとあいつはろくでもない別れ方をしているに違いない。

 母に聞いてみたいが、きっと母はこちらで夫がしていたことなど知らないし、興味もないだろう。そして、僕が何故この子に執着するのかと不審がられる。そうなったとき、僕の癖は明るみに出されてしまうだろう。こんなことは、母には言えない。きっと辟易されるし、今よりもより距離が出来てしまうだろう。もしくは、一切の興味を持たれない可能性もある。母からしたら、僕の存在などあいつとの関係があったことを消し去れない汚点であろうから、距離を置く以外の選択肢はない。

 故に、僕にはあの子にたどり着くすべはないのかもしれない。
 理想的な女性になっていなかった時のことを考える。嫌悪することになるぐらいなら、会わずに、知らずにいたほうが写真にだけ思いをはせることが出来るだろう。

 山の中から見る空はこんなにも暗いのか。満天の星空、なんてこともない程度の星が光っている。バサバサと木が揺れ葉が擦れ合う音がする。ここには誰もいない。窓を開けないと息が詰まるような暑さであった。風が吹くと自分の中にたまった熱が洗い流されていく気がした。他者に執着してはいけない。僕は、やっぱり人間ではないのだと思い込むべきだ。急に僕みたいなのが現れたら、気味が悪いだろう。通報されても文句は言えない。嫌悪されてしかるべき人間である。

 こんな疑うことを知らないような子に、恐怖を与えてはいけない。
 中学生になる前のあの時、僕は一人で家にいた。いるつもりだった。母はとっくの昔に出掛けたはずで、部屋の中でダラダラしながらパソコンでアダルトサイトでも見てた。そういう日常の一コマだった。突如帰ってきた母の目をもう思い出すことは出来ない。きっと直視できなかったんだ。吐き捨てるように「所詮はあいつの子だな」と言った言葉にはもはや熱を感じなかった。覚えているのは、母が去った後の開けっ放しのドアと僕の後ろで揺れるカーテン越しの水色の空だった。あれ以来、僕の好きな色は黒だった。

 コツンコツンという音で目が覚めた。蝉は必要以上に鳴いていた。窓をのぞき込んでいたのは老婆だった。死体だと思われて髪を抜かれるのだろうか、と脳裏に浮かんだが羅生門の老婆は女の髪を集めていたはずだ。残念ながら引っ張っても抜けない程度の髪はワックスがとれて乱れているだろう。

「ご近所さんですか?」

 笑顔を作って、不審がられないように振舞った。畑に行く前にこの車に気付いたそうだ。目の端で写真の入ったファイルの位置を確認する。

「あの人の息子さんねぇ、清さんに男の子なんていたんだねぇ似てるわ」

 自分の眉がぴくっと動いた。間の伸びた口調に合わせて、えぇともねぇともつかない相槌を置く。もう警戒心はなくなったようだ。それだけ、あいつのことを知っているということか。

「父はここで何をしてたんでしょう? 幼いころに別れたきり連絡も取っていなかったものですから」
「あーあの人ね、仏教だか神道だか忘れたけどそういう活動してたのよ。信者集めてこの家で暮らしててねぇ。離婚して行き場がない子連れを集めて共同生活みたいなねぇ。怪しくはなかったよ、愛想のいい人だったのにいつの間にか一人になってたようだねぇ」

 この人は元からおしゃべりという特性を持っているのだろう。写真との合点がいく。何故、あいつがそんな活動をしていたのかははだはだ疑問ではあるが、変な人こそそういう人たちに好かれる、なんてよくあることだ。そして、そのあと使い捨てられる。滑稽さに笑うことすらできなかった。

 これはチャンスかもしれない。あの子だけでなく、複数の子供が写っている写真をファイルの中身が見えないように取り出した。

「さぁねぇ……。あぁ、でもこの子なーちゃん、かしら。ごめんねぇ、私もう、目が悪くって」

 いえいえ大丈夫です、とすぐにひく。僕はこれでこの先この子のことを「この子」ではなく「なーちゃん」と呼ぶことが出来る。

 どこかの誰かと別れを告げ、残りの片づけをする。なーちゃんのことが頭から離れない。けれど、どこか隅に追いやって黙々と作業に徹する。
 なーちゃん。
 ナナ? ナツ? ナオとかもあるか。ナナミとかナナコ、夏美とかも世代的に多い。夏生まれなのか? それなら僕と一緒だ。親近感どころか運命を感じてしまう。

 さっぱりと何も無くなった部屋たちは、もう家主のことなど覚えていないだろうと思えた。この世にあいつの事を覚えている人は少しずつ居なくなるんだろう。なーちゃんにも忘れていて欲しい。ああ、でも君にとってあいつはどんな存在だったか分からないな。どちらにせよ、ろくな人間じゃなかったんだから、きれいさっぱり忘れてくれ。

 ゴミを焼却場に持っていく道中、何を見ても僕の頭にはなーちゃんが出てくる。あの子もこの風景を見たのだろうか。ここで走り回ったりしたのかな。食べ物は何が好きだったんだろう。きっと、ショートケーキとか甘いものが好きだったんだろうなぁ。いや、意外とさつまいもを好きだったりしそうだ。ほくほくと食べるなーちゃん。一度でいいから見てみたい。

 その日から、僕の中にはなーちゃんがいた。ずっと、なーちゃんがいた。それは幸せであった。彼女が喜ぶことがしたかった。無味乾燥な日々はそのままなのだけど、彼女が遊び回る姿を思い浮かべると幸せだった。都会のビル群を見たらきっと驚いて目を丸くするだろう。そして、その目はキラキラと光る。愛おしいとはこのことだ。

 頼れるものは写真しかない。探すことはやめた方がいい。現実を見るのは辛い。ただ、写真の子を好きでいるだけの話、その子が今どうなっているかなど、考えてはいけない。

 インターフォンがなったのは冬になるころだった。ずかずかと入ってくる母の背を追いかけるしかないのは、僕の悪いところだ。彼女の傍若無人なところが嫌いだ。横暴で、他者の気持ちなど考えない。こんな人間でも結婚が出来るのだとある種の希望になるだろう。

「出張が長引いて、もう帰るのがめんどくさくてさ、別にいいでしょ。あんた、趣味の一つもないの? 何この部屋、人生楽しい? 何もないじゃん。あ、ビールある? お風呂借りるね」

 言葉が並ぶ。父はこんな人でも傷つけることが出来たのだ。相当ひどい。なーちゃんは傷つけられることなかったかな。そのせいで男性不信になっていたらどうしよう。その恐怖を溶かしたいけど、血の繋がりがある僕じゃダメだろうな。ビールを冷蔵庫に補充する。

 僕が一本を飲む間に母は五本目に手を出していた。げらげら笑いながら、昔話をしている。いつの間にか怒り始めて、あいつはクソだと喚いていた。

「くそ野郎はなぁ、変な宗教にかぶれててなぁ、男子は魂が弱いから悪霊に連れ去られるだのなんだの言って、女装させてたんだよ。子どもの感性なんだと思ってんだよ」

 こめかみがピクリと動いた。

「あんた覚えてる? あんたも初めはあっちにいたんだよ、私より生活安定すると思ってたのにさ。なのに、いつのまにかあんな場所であんな格好させられてたら奪い返さないとじゃん」

 手の中の缶が音を立てた。
 母は急に立ち上がり、容赦なくベッドに向かった。

「あんたー、この写真どっから持ってきたの。今思えばかわいいわ。ほんと、ひねくれたあんなやつみたいにならないでよかったよ」

 ハッとして追いかける。にへら、と表現したくなるような笑顔を僕のほうに向けて写真を振っていた。そこにはなーちゃんしか写っていない。

「夏樹あんた、かわいいよ」

 そういった母はベッドにダイブするように倒れた。酔っ払いの手で強く握られたなーちゃんの写真は歪んでいた。指先で拾って太ももの上で伸ばした。ゆっくり。こするように伸ばす。体のすべての熱が奪われた気がした。

 体を温めなければ。風呂に入ろう。母に布団をかけて、電気を消した。あの写真たちを持って部屋を出た。しっかりとドアを閉める。
 脱衣所の鏡に自分の姿が見えた。何の変哲もない、男の体。自分の嫌なもの。
 風呂の水面に自分の顔が映る。僕のことも水仙にしてくれ。いっそそっちの方が楽になれる。
 そう、僕の名前は、野田夏樹。残念ながら、男だった。

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