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SS『アルテミスにはなれなかった』

雨が降る月夜、私は空を見ていた。雲に隠れていたのに少しだけ見えた。こんな綺麗な月があっただろうか。新月になる前の細くて折れそうな月がそれでも私を照らしていた。
アキラはもう家に戻っただろうか。
さっきまで一緒にこの高台から残業により光る街を見ていたのに、私は1人傘もささずにいる。
あいつの浮気癖は治らなかった。私のことを大事にしていないことなんて知ってたし、それでも一緒にいたいなんて思ってた私が馬鹿でしかないの。わかっている。
だからって、簡単に切れるもんでもなくて、彼にとっては都合のいい存在だったわけだから切られるわけでもなく、ズルズルと、ズルズルと。
後悔しかない人生なのだから、これから何があってもいっそ後悔することなど無い。
お金はなくなった。
その分働いたけど。
私の体温を雨がじっくりと奪っていく。まるで楽しんでいるようなその嬲りは、アキラみたいだった。私の人生はこういう冷たさの中にあった。
思えば受験に失敗したのがいけなかった。レベルの低い高校はレベルの低い人間しかいない。自分自身もその程度の人間だって知ってたけど、もっと楽しくいきたかった。
プリーツの乱れなんかよりスカートの短さが大事で、文化祭と体育祭ではシャツの端を結んだ彼女たちとは上手く付き合えなかった。一人でいることも出来ずに私は流された。でも、足の細さには自信があった。体さえよければ男はちやほやしてくれるとあの時知ってしまった。
でも、それを掴むことも出来ずに生きてしまった。謎の倫理観に阻害された生き方は、もっとアホなら幸せになれた気がした。
別に家庭環境が複雑という訳でもない。ただ、お互いにみんな興味がなかった。お姉ちゃんと喋ったのはいつだったか。もう覚えてもない。きっとお姉ちゃんも覚えていない。
小さい頃お姉ちゃんと一緒に押し入れの中で遊んでいた。真っ暗な中2人だけで声を抑えて話した。お母さんの呼ぶ声がする。私たちはケラケラ笑いながら、引き戸が開くのを待っていた。少しだけ外の光が漏れてきて、その前をお母さんが歩いていく。そのたびにお姉ちゃんと笑った。息を止めた。開いた時、世界の明るさに目をつぶった。
土は水を含んで重かった。次第に水たまりができて、私を覆うようだった。ぽつりぽつりではなくザーッと音を立ててるはずなのに、私の頬には木々の葉を伝って来たものがあたるだけだ。
もう月は見えない。
月はなくなってしまった。
痛みはもうなかった。きっと月が全てを受け取ってくれたんだ。
体はもう無くなった。
私はもう終わりらしい。
アキラの腕を掴んだ時の温度を思い出す。温かかったかな。反動で落ちた崖は思ったよりも深くて、きっと誰にも見つかることは無い。アキラが黒い服が好きだったから、黒のタイツが好きだったから。本当は私は黄色が好きだった。月のように明るくて美しいあの色が。
もう全ては遅い。大事な人に触れたのが生き物との最後の関わりだなんて素敵なことじゃないか。
ああ、ごめん、君のことを忘れちゃダメだね。ごめんね、名前もつけることが出来なかった。今からでも遅くないかな。温かさを知る前に冷たさを知ることになるなんて、私はなんて酷いママだったのだろう。
一緒に死んでくれてありがとう、ツキ。

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