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徒然 私は愛されてる、カメラを貰う
なんやかんや、私って愛されてるのかもしれないな。
先日、フォロワーさんにとても良いフィルムカメラを頂いた。
いや、意味わからんて!何でこんなにいいものを私にくれるのですか?!
しかもお古ではなく、ちゃんと購入してくださった。
もう意味がわからない。
感謝しかないけれど、それよりも「何故?!」が勝つ。
私はカメラが分からない。
何も知らない。
今年制作した写真詩集だって、全てスマホのカメラで撮ったものだ。
そんな私にマニュアルのフィルムカメラなんて、猫に小判のレベルだろう。
しかも、モノクロだってよ……。
期待されている。
何故か。
フォロワーさんは、私の大学に所属してた方で私と同様文芸学科に怨みがある。
そして、私の文章が良いと思ってくださっている。それだけでなく、私の写真詩もセンスがあると思ってくださっている。
だから、『小柳とかげなら文芸学科にひと泡吹かせれるんじゃないか』って期待してくれてる。
正直笑ってしまうような理由だけど、
私も文芸学科に抗いたいし、怨みがあるし、一泡吹かせたいから、有難い言葉だ。
いやぶちのめしたいやんね。
私は基本スタイルが戦闘態勢だ。
売られた喧嘩は買いたい。
私は実力でのし上がりたい。
だから、この方の期待は有難い。
写真を始めるにあたって、改めて私は何も知らないと感じたし、そして感覚でやっていたことが正しかったのだと学んだ。
手元にあったカメラを見る。
1番右がフォロワーさんがくれたものだ。
私は、あと2台カメラを持っていた。買ったものでは無い。自分でカメラを買ったことなく生きてきた。
この2台は、兄がくれたものだった。
真ん中のカメラは我が家の美しいねこナギを撮るために私に授けられた一眼レフである。
美しすぎる猫を収めることが出来る。
元々は兄が使っていたものだったのだが、「あんまり使わないから」と持って帰ってきてくれた。
友人に5万で譲り受けたとか。
いいカメラじゃないですか。
しかし、やっぱり私はカメラが分からない。
機能の大半を使えていない。だが、それで意外と十分なのだ。だって猫を撮るためだけだもん。
そして、右のカメラはオートフォーカス付きのフィルムカメラだ。
高校二年生の冬に兄が私にくれたものだ。
「カメラやって欲しい。フィルム1本使い切ってみなよ。現像代も出すから」
私は「わーい」と受けとる。
フィルムをつけてもらって、高校に持っていって使っていた。
あまり何も考えず、ただ撮りたくなった時に撮った。
すごい素敵な写真が撮れるもんだなと思って、放置していた。
あの頃は特に写真に興味もなく、ましてや、写真詩集なんて自分が作ることになるとは思っていなかったから。
そして、今、新しい写真詩集を作りたいと思っている。
前回の文フリでも写真をやってる方はフィルムカメラが多かった。
やっぱり、私もフィルムでやってみたいな、高校生の時に撮った20枚ぐらいがあるんだし。
前回の『はみ出す青』は、夏から秋にかけて、をテーマにしていた。
だから、高校の時のフィルム写真を使えばベストじゃないか。正直もったいないと思っていたから、活用ができるのはありがたい。
その為には36枚分のフィルム写真が必要だ。
兄に「どのフィルムを買えばいい?」とLINEで聞くと、説明と共にこれ使ってたよと返事が来る。
ありがてえなぁ。説明がざっくりでわかりやすいわ、と思っていた。
すると、
「このフィルム1本あげるわ」
と言うのだ。
フィルムは最近高騰しているというのに、それをわざわざくれるという。
なんと優しいことだろう。
私ってもしかして愛されているのではないか?
みんな、私に優しい。
私にカメラを与えてくれる人が何故こんなにもいるのだろう。
本当にありがたいことだ。
初めに言ったカメラをくれたフォロワーさんは、写真詩集用に「フィルムカメラやりてえな」と書いたツイートを見て、プレゼントしてくれた。
私はずっと所属している環境の中で浮いてきた。嫌われて、都合よく使われて、そして、捨てられる。そんな日々をずっとすごしてきた。
友達も少ない。
親友なんて呼べる人間いたことがない。
担任などの当たりも悪い。
自分を生かせる場所に行けてないと思っていた。
愛してくれる人、大事に思ってくれる人がいないと思っていた。
だけど、どうだ。
愛してない人間にカメラなんて高価なものをあげるだろうか。
いや、あげないよ。
好きでもない人に500円のものをあげるのも惜しい。もったいないと思う。
私は心が狭いので、ケチなので、お金をかけたくないと思う。
だけど、きっとみんなもそうだろう。
私は、今、優しくされているんだ。
期待してもらっていて、私という存在に課金したらいづれ何かいいことが起きる、と思ってもらえているんだ。
愛はあっても無駄になるなら人はお金を惜しむだろう。
愛というのは、恋愛感情という狭義ではなく、もっと人間的な話だ。
私は気づいてなかった。
高く評価をしてくれる人が私にはいるんだと。
そんなことをカメラを通して理解した。
だが、正直不安だ。
期待されればされるだけ、それに答えれるような作品が作れなかったらどうしようと考えてしまう。
才能なんてなかったらどうしよう。
もう尽きてしまったのではないか。
私に微かにあった創作の才能が途切れたのではないか。
私が見ている世界なんて大したことがないのではないか。
色んな不安が駆け巡る。
大した人間じゃないから。
でも、そんなことを言うのは早すぎる。
私はまだ何も残していない。
賞も取ってないし、本も出せてない。
誰にもまだ見つけられていない存在だ。
世界からしたら無いに等しい存在だ。
そんな奴が、才能がなかったら、なんておこがましいにも程がある。
才能を恐れるのは、プロになってからだ。
デビューしてから、継続することの恐怖を感じればいい。
私に才能なんかないのは大前提だ。当たり前のことだ。
当たり前のことに怯えるなんて間違っている。
無いから無いなりに上手くやっていくんだ。
思考して作り出す。
勉強するんだろう。
愛してくれている人がいる。
期待してくれる人がいる。
それだけで儲けもんだ。
その人たちをびっくりさせ続けるために頑張るしかない。
頑張るべきなんだ。
読んでくれる人を獲得するためには書き続けないといけない。
写真も上手くなろう。
私は今まで頑張ってきた。そして、今、カメラを頂くぐらいに成果を残していると言えるだろう。
言えたらいいな。
癒えたらいいな。
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