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記事『シェイクスピア「空騒ぎ」における疑問点』

【シェイクスピアの作品喜劇五作の中から一つ読みレポート】

[ドグベリーの言動]

 この戯曲を読むにあたり、基本的に難しい言葉であろうと理解することは可能であったが、ただ一つ意味が分からないシーンがあった。それが、ドグベリーの登場シーンである。彼の発言が何を意図しているのか、一切理解できずにいた。

 以下の例えに挙げる翻訳は白水社の『シェイクスピア全集I』の小田島雄志訳を引用している。

 一番初めに不思議に思った言葉は第三幕第三場の夜番たちとともに出てきたシーンで夜番の長に適切な人間について語った言葉だ。

「まず第一にだ、夜番の長たるに最もふさわしい人格喪失のものはだれだ?」

 大抵の長に適当であるとされる人間は『人格者』ではないか。しかし、ドグベリーは『人格喪失』の人あふさわしいという。

 『人格喪失のもの』とはどういった人であろうか。この言葉から連想されるものは『人格破綻者』『解離性障害』などではないか。

 解離性障害は、厚労省のメンタルヘルスのサイトで以下のように説明されている。

「解離性障害は、自分が自分であるという感覚が失われている状態といえるでしょう。たとえば、ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、いつの間にか自分の知らない場所にいるなど、様々な症状があります。 (解離性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_dissociation.html より)」

 このような人が人をまとめるべき立場になり得るだろうか。

 ドグベリーの言葉は、すんなりと入ってくるものではなく、真逆のようなことをのたまっているように感じられる。

 また、夜番の仕事内容も奇々怪々である。夜番とは「夜、番をすること。夜、火災や盗難などの用心のために、番をすること。また、その人。(精選版 日本国語大辞典 より)」のことであるため、ドグベリーの言う仕事のやり方(悪党を通す、酔っ払いを放置、泥棒には手を出さない)は正しくないのではないか。

 第四幕第二場なんて最たるものではないか。書記の「容疑者はどこにおりますか?」の問いに対して「ああ、私だ」とドグベリーは答える。実に意味不明である。

 容疑者であるコンラッド、ボラチオの犯行を聞くと「ええい、悪党め! きさまはそれだけでも永遠の罪障消滅に値するぞ。」と言う。これに至るまでにも取り調べのやり方を間違っている部分も滑稽であり、奇妙なのだが、この『罪障消滅』はいったいどういう意味なのであろう。

 英文では「 Redemption」と使われていたようだ。これは罪が許されることを示す言葉である。罪人の罪状がわかったとたんに「罪を許す」というのはおかしくないか。ここで使われるべき言葉は、「罪は許されない」「有罪」などを表す「guilt」「 Condemn」などが適切ではないだろうか。

 そして、最大の疑問として『阿呆』『ばか』と呼ばれたことに必要以上に執着していることがあげられる。しかも、その『ばか』を誉め言葉のように受け取っている。また、ここでも「役人であるおれに嫌悪の念を払わないのか」「年長者たるおれに疑念の念を払わないのか」という正反対の言葉を口走ってしまっている。ここでは正しくは「尊敬」などの言葉が入るべきだったのではないか。

 このように、ドグベリーの言動は実に奇妙であり、不可思議なものである。シェイクスピアはどういうつもりで書いたのだろう。

[道化としてのマラプロピズム]

 『から騒ぎ』の原題である Much Ado about Nothing は「なんでもないことで大騒ぎする」という意味である。故に、簡単に済みそうなことがことごとく拗れて拗れて、でもそれらはすべて空騒ぎであった、という話になるのだ。

 このドグベリーの言動もこの「なんでもないことで大騒ぎする」の滑稽さの象徴なのではないか。

 ドグベリーはこの作品の道化役である。シェイクスピアは、ドグベリーにマラプロピズムをさせていたのだ。音の似た言葉を言い間違えるのを面白がるマラプロピズムを、ドグベリーは登場して退場するまでずっと続ける。これが続くことにより、知事という偉い立場にあるレオナートを苛立たせ、話が進まない。そのせいで、ヒーローの件がレオナートに伝わらず、誓いの場で侮辱されたヒーローは気を失う。彼が簡潔に物事を言える人間であったなら、ここまで拗れることなく、素早くドン・ジョンがすべての黒幕であることがわかり、ヒーローとクローディオはすぐに結ばれただろう。

 しかし、そうなっては『から騒ぎ』というタイトルにはあっていないのだ。ドグベリーの支離滅裂な言動が挟まることによって、観客の頭を混乱させ、笑わせて、舞台に厚みを作るのだ。

 英語の中でもラテン語由来の言葉を理解できるようになり、原文でシェイクスピアを読まなければ、言葉の面白みを楽しむことは出来ないようだ。だが、このシェイクスピアの意図を感じ、言葉で遊んでいる様を少しわかることは出来た。

[その他]

 最大の疑問であったドグベリーの言動の理由は理解できたが、から騒ぎの表現の中で気になる語句はまだまだある。

 「神の色は神様の気に入る色」とあるが、これは何色を指すのだろうか。

 ヘソマ・ガリはなんの意味があったのだろうか。→これも道化のマラプロピズムだろうか。

 代理で告白するのはいったいどういう意味があるのだろうか。→貴族はそういう習慣だったのか。

 喜怒哀楽の比喩に傾向はあるのだろうか。→嬉しい感情に言葉を与えるより負の感情に言葉を尽くす

 褒め方やディスり方に何か共通点はないのだろうか。→暴れ牛という単語が多い。

 出産系の比喩が多い気がしたが何故だろうか。

などと色々考えてみたいことがある。しかし、それらについて調べるには私の知識と理解力が足りないため、今後勉強していきたい。

(参考文献)

空騒ぎ Much Ado about Nothing

https://shakespeare.hix05.com/comedies2/nothing.index.html(2020年10月30日)

踊る言葉 Malapropism:から騒ぎ

https://shakespeare.hix05.com/comedies2/nothing03.malapropism.html(2020年10月30日)

マラプロピズム・誤用語法 - atwebpages.com

http://balloon-rhetoric.atwebpages.com/example/malapropism.html(2020年10月30日)

ドグベリーの言い間違い―『空騒ぎ』4幕2場 http://shaks.jugem.jp/(2020年10月30日)

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