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SS『電車の中の平穏』

きぃきぃと音が鳴っている。低音が体の中を走る。視界は白とグレーの間。駅が現れては消え、また現れる。斜めに切れたようなマンションを見て、『日射権』というどっかで習った言葉を思い出す。色つきの不織布マスクをしてる人に高貴さを感じて心も視界と同じ色になる。

男の人が半ズボンを履いている。その足は年老いた大木を思わせた。隣に座るかつては老婆と言われ、社会が長生きすることに慣れたからおばちゃんと形容するようになった年頃の女性が紙のメモ帳を見ている。そこには名前と電話番号が書いてある。私たちにはない文化はまだ死んでいなかった。

高収入バイトの広告のピンクが目に痛い。世界の色はそこにしかないようだった。

そう混んでない車両、隣に座るおじさん。やたらに足を開けて座る。おじさんはそういうもの。許されてるって思っている。顔を上げた吊るし広告は迷惑行為ランキングを書いていた。やっぱり、一位は座席の座り方だった。だけど、それをする本人はこんな広告見ないんだ。被害者たちが「そうそう」って共感することで溜飲を下げようとしているだけなのかもしれない。

あたってるだろう!

と怒鳴る声が響く。私に向けてかけられた言葉。あ、すみません、と少し離れる。

執拗に膝が当たる。当てている。おじさんが。

また、怒号が飛ぶ。自己顕示欲が強いおじさん。ただ、若い女に威張りたいだけの人種。前世は昆虫かなにか。

さっきのおばちゃんが席を立ったから、一番端に移動する。人一人分の席を開けた、はずだった。だけど、それでも膝が当たる。詰めてきている。確実に頭がおかしいのだ。可哀想な人型。もう楽にしてあげる。

膝が当たったのを感じた後、彼は眠りにつく。ふと、糸が切れたように。

私は立ち上がり、別の席に座る。隣にはまた別のおじさんが座る。膝が当たる。何度も何度も当たる。怒鳴る。そして、眠りにつく。

また別の席に座り、同じことを繰り返す。今日は十人か。1人4000円だからだいぶいい方だ。終電になっても覚めない彼らはそのまま黒い場所に連れていかれる。平穏権の行使が私のアルバイト。日射権を妨げるマンションの部分を削るように、人間の平穏を乱す人間を削る。

彼らは女性に対してだけでなく、男性にとっても威張り散らす、残業を強要するなど害を及ぼす。そういう人物を排除する、ための誘導と判断を下しあの場に連れていくまでが仕事だ。彼らは居なくなっても意外と大丈夫。

今日もいい仕事をした。

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