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自分探しと自分を知ることと価値観と

私は20代の頃、自分探しの負のループに陥っていました。私は、何がやりたいのだろう。どんな仕事が自分にあっているのだろうと。本心なんて全く気にしなかったし、将来安心な業界、高い報酬が見込める仕事、見栄えのいい仕事、みたいな世界でどう自分が楽にはまるかを考えていた。しかし、自分が完全にはまる仕事がなくて、やる気も湧かない、そして再度自分にあった仕事を探し始めるという悪循環にいました。
 でも、自分に向き合ってから、この悪循環から抜け出せたと思います。なぜなら、自分の心が何で満足するか、どんな時に心が沈んでいくかって、パターンがあるのを知ったから。そして、どんな状況・環境で自分が満足するかって、仕事の種類よりも、他人と社会とどう関わっていきたいかってことだったし、そこに自分の価値観があったかなと。
 仕事だって、人との関わり。その辺を真剣に受け止めず、とりあえずのイメージで職業選択をしていた自分が未熟だなと感じる。だから、価値観を大切に生きる道を選んだ方がいいと強く思っているし、自分探しから自分を知るに成長できたと思った。
少し話は外れますが、社会学者のマックス・ウェーバーの本の話で、近代資本主義の精神を発展させたのは、神様に救われる人は生まれた時から決まっているというキリスト教のプロテスタント的な考え方なんだそう。資本主義は、禁欲的に仕事をする労働者たちの努力によって実現されて、その禁欲的な精神は、天国に行ける人は生まれた時から決まっているという聖書の説に支えられたと。
正直、本当かと思いました。だって、天国か地獄か最初から決まっているなら、努力したって無駄でしょって思うから。でも、見方を変えると、何となくわかってくる気もする。
自己暗示的な解釈になるけども、つまり、自分は既に救済される人だと思うことで、自分は救済される素質をもった人間なのだから、勤勉に働く人だと意識する。真面目に働くのが自分の本性というか、性格みたいに思う。勤勉に働く=自分の存在自体となる。そうすると、働く自分が自然だから、日々真面目に働く。
でも、仮に、努力したら救われるという考えが根本にあると、どのくらい努力すればいいのかわからないから、いくら頑張っても、満足感がなく諦めてしまう。
だから、目的とか生き甲斐みたいなものって、自分の内側に持たないとダメなんだなと思う。
まあ、昔は、人が関われる仕事の種類って限りがあっただろうし、目の前の仕事しか天職になり得なかったかもしれないけど、現代では職業なんてなんでも良いから、神様とか救済ではなく、自分の大事な価値観につながって、自分が日々実現したい価値観に信仰心を持つしかないのだと思う。それが、生きる意味につながるのだと。日々、価値観という抽象的なものを実装していく。そのためのスキルを身に着けていく。そんな、感じで毎日生きられたらなと思います。


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