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【エッセイ】シャッターボタン

今日も私は小走りをして、
生き急ぎながら、生きている。

私の目の前に広がるこの世界は、
恐らく誰のそれよりも美しい。

あまりに美しいこの景色たちは
一秒ごとに色や形を変え移ろうものだから、
毎秒シャッターボタンを押すのに忙しい。

ああ、この世界を完璧にフレームに収めて、
あなたにも見せてあげられたならどんなに素敵だろう

スマホのカメラはいつもバッテリーが切れそうだし、
一眼レフは少し荷物になる。
いつ空からリンゴが落っこちて来ても良いように
両手は空けておかないといけないし。

そうだ、筆を執ろう。
私というフィルターを通して見るこの世界が
こんなにも愛おしいことを今、
言葉を遣い、愛おしいあなたにも伝えよう。


2020年、世界は謎のウイルスに襲われ、
人と人とが物理的距離を置くことを
美徳とされる世界に変わった。

「オンラインで繋がればいいじゃないか」
そんな前向きな打開策の元、
世の中はリモート社会へと急速に姿を変えていった。

だがしかし、その物理的距離は否が応でも
私の身の回りの人々との精神的距離すらも
着実に離していくように感じていた。

故郷に暮らす家族には一年半、
東京に暮らす親友には二年も会えなかった。
あと、片思いの彼にはもう三年も。

隣に座って
「ねえ、あの雲見て、リンゴみたいな形してない?」
そう言って指させば、私の方に体を寄せて
同じ角度から雲を眺めてくれたあの頃は、
想いを言葉にする必要など
別に感じはしなかったのに。


二十五歳といえばもう落ち着いた
いい大人だと思っていたのだが、
その頭の中は本当に気まぐれで移ろいやすい。

昨日あれほど欲しかったシャネルのリップは
今日の私にはただの
紅い油のかたまりにしか感じられなくて、
ついさっき鏡の前で気に入ったコーディネートが
ショーウィンドウに映ったのを見れば、
よくもまあこんな格好で出掛けられたなと
数十分前の自分を酷く憎むことだってある。

ただ馬鹿みたいに、
「今」を輝くのに必死な二十五歳の等身大がこれ。
小説家なのかライターなのか可愛いお嫁さんなのか
何になりたいのかまだはっきりしない。

ただ二十五歳の私は毎秒毎秒、
シャッターボタンを押すのに忙しいのだ。

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