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【エッセイ】なんかビビッときたもんで。



たいていの人は、
自分が本当はなにが欲しいのか
心の中でわかっている。
私もあなたも、例外なく。


本当に手にしたいものが
目の前を通り過ぎようとしたとき
人はとっさに手を伸ばそうとする。

それが彼方100キロメートル先の
夜空を駆け抜けようと、
わずか20センチ先の
お寿司のレーンを駆け抜けようと。

いわゆるそれが「直観」であり、
その手を止めるのが「論理」である。

『あれが欲しい』
と直観がつぶやけば
『だけど私には到底届かない』
と論理が言い放つ。

そうして伸ばした手を、
大人しく引っ込める。

時間をかけて考えれば考えるほど
勝つのはいつも、
直観ではなく論理の方だった。


ただ、私たちの脳は思ったより賢い。

イスラエルのとある大学の研究によると、
人間の「直観」の的中率は90%らしい。

何故そんな高確率なのか?
答えはとてもシンプルなもので、

これまでの人生の中で脳は
「挑戦」と「失敗」、時に「成功」という名の
無数の経験と記憶をきちんと整理して、
インプットしてきているからだ。

つまりはそれらが、
脳内に蓄積されていくほどに
データベースはますます充実していき、
「直観」という名の
スピーディーな意思決定にも
きちんと対応できる
精度にまで高まっているということ。

「直観」は無根拠な衝動なんかじゃない。
「論理」に勝ちうる根拠を持った
確かな頼れる存在だったのだ。


人生は迷いと決断の連続である。

この場所こそが私の居場所なのかな?
この仕事こそが私の天職なのかな?
この人こそが私の運命の人なのかな?

何が本当に正しいのか、
答えは誰も教えてくれない。

来たるべき人生の決断の瞬間に備え
私たちは何ができるのか。

引越しに転職に失恋。
小さな「挑戦」と小さな「失敗」を繰り返し
小さな「成功」を積み重ねる。

そうしてついに決断すべき瞬間、
ネガティブな「論理」に押し潰されず
ポジティブな「直観」を信じてみて
思い切って手を伸ばし掴み取れるよう
日々を備えるのみなのだろう。


「ん?決め手は何かって?
なんか、ビビッときたもんでね」


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