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『他者の靴を履く』〜エンパシーについての本〜

はじめに


この本はブレイディみかこさんの著書で前作の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本とも言える一冊。

前作に登場した「エンパシー」について深く掘り下げた本。エンパス気味な私としては聞き捨てならぬ、もとい、読み捨てならぬ本です。


エンパシーとシンパシー


エンパシーとシンパシー、どちらも日本語では「共感」と訳されがちですが、両者は似て非なるもの。

エンパシー…他者の感情や経験などを理解する能力。


シンパシー…①誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと。

②ある考え、理念、組織への支持や同意を示す行為。

③同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解。


シンパシーはかわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動。

エンパシーは別にかわいそうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業。


4種類のエンパシー


エンパシーは大きく分けると4つに分類されます。

① コグニティヴ・エンパシー
→他者の考えや感情を想像する力。

②エモーショナル・エンパシー
→「感情的」エンパシー。
 ・他者への共感
 ・他者の苦境へ感じる苦悩
 ・他者に対する慈悲の感情

③ソマティック・エンパシー
→他者の痛みや苦しみを想像することによって自分も肉体的にそれを感じる反応。

④コンパッショネイト・エンパシー
→他者が考えていることを想像・理解することや、他者の感情を自分も感じるといったエンパシーだけで完結せず、それが何らかのアクションを引き起こすこと。

本書で注目されているのは
①コグニティヴ・エンパシー。

自分を誰かや誰かの状況に投射して理解するのではなく、他者を他者としてそのまま知ろうとすること。自分とは違うもの、自分は受け入れられない性質のものでも、他者として存在を認め、その人のことを想像してみること。

この辺り私にとっては興味深く、本の中にぐいぐい引き込まれました。

コグニティヴ・エンパシーは相手のことを想像する力で身につけることができる能力でもあります。


利他的であることは利己的であること


コロナ禍において起きたトイレットペーパーなどのパニック買いは、利己的な行いのように見えて、まったく自分たちのためにならないことだと著者は述べています。

なぜなら、コミュニティ全体のためにはなっていないから。感染症のようなコミュニティ全体が改善されないと蔓延するような病気では、自らのミクロな行動がマクロにどういう影響を与えるのか想像力をもって行動しないと、最終的には感染症にかかって重篤化するなどといったミクロな不幸がダイレクトに自分の身にふりかかるというのです。

他者の靴を履き、自分以外の人々のことも慮って行動したほうが、結果的には自らのためにもなる。

これは日本経済にも言えること。

トイレットペーパーを買い占めて市場での流通量を減らす行為は、いま使わないお金を大量に銀行口座に貯め込んで経済を停滞させる行為とそっくり。

長期にわたる経済停滞とデフレを表現する言葉に「Japanification」という英単語があるのだということを初めて知りました。

お金を使うということは、他者にお金をまわす利他的なこと。回さないものは、自分のもとへも回ってこない。

また、災害時において利他主義者が増える要因となるのは、他者を助けることは、自分が必要とされていると、生きる目的を与えてくれるものであり、それは自己犠牲的な行為ではなく、むしろ、ギブとテイクが同時に起きる相互的な関係だとしていると、レベッカ・ソルニットの文が引用されています。

そして、平素、格差社会において弱者を助けなかったというアンハッピーな気分に曇らされずに人生をハッピーに送りたいという欲望が人を利他的にさせる。

普段、先進国の人間は、エンパシー能力が高い人ほど、罪の意識を感じやすい。しかし、コロナ禍のような非常時には、民間のボランティアなどが発足し、エンパシーが互いを生き延びさせるポジティブな力になる。

利他的であることと利己的であることは、相反するものではなく、手に手を取って進むもの。ほとんど必然的に一体であるといってもいいとの見解に、なるほどと思いました。



エンパスについて


本書の中で、サイコパス、ソシオパスといった反社会的人格の対極に位置する人格として「エンパス」が挙げられていました。

エンパスは、共感力が非常に高い人。周囲の人々の感情や考えを察知する能力が高く、他者の痛みのために自分を犠牲にすることもある。

●エンパスの長所
 ・他者にとって素晴らしい友人になる
 ・直感に優れている(他者が信用できるかどうかが瞬時にわかる)
 ・寛大で懐の深い人物

●エンパスの短所
 ・友人や周囲にいる人々が経験していることをリアルに感じ過ぎてしまう→本人はけっこうつらい
 ・不安や憎しみなど、他者が抱いているダークな感情に自分自身まで振り回される
 ・自己と他者の線引きができなくなって、無理じゃないかと思うことまで頼まれるとやってしまう

エンパスとは、エンパシーの中でも、エモーショナル・エンパシーが過剰な人。

世界の喜びとストレスをスポンジのように吸収してしまう人。ほとんどの人に備わっている、過剰な刺激から自らを守るための保護フィルターのようなものが欠如しているので、ポジティブなものであろうと、ネガティブなものであろうと、周囲の感情やエネルギーを吸い取ってしまう。


ここまできてあれっ?と思ったのは、エンパスの中には、感情に働きかけるエモーショナル・エンパシーが強い人たちだけでなく、肉体的な痛みを感じやすいソマティック・エンパシーが強い人たちもいるんじゃないかと言う点。

エンパスについてはあくまで感情に特化した人たちの記述のみで、ソマティック・エンパシーが強い人たちについての記述はありませんでした。

文脈にそぐわなかったのかな…。

エンパシーの危険性


エンパシーを使う側の人は、他者を理解しようとするときに、自分自身を希薄化してしまい、「自己を失う」可能性もあると言う。自我がなくなりやすい。

そういう人が強烈な自我を持つ他者と出くわすと、感情移入し過ぎて、自分を明け渡してしまうことがあるとのこと。

ストックホルム症候群DVがその一例。

また、エンパシーに満ちた社会は抑圧的な場所となるとの記述もありました。

エンパシーそれだけでは闇落ちしてしまう。
そうならないためには、アナーキー(あらゆる支配への拒否)という軸がしっかりセットされていなければならないとの見解。


他の人の感情にのめり込みやすい私は、自分と他者を同一視してしまいがち。自分と他者の間に線引きして、他者を別のものとして認識できるようになれば、もう少し楽に生きられるのかもしれないと思いました。

それは自分を手離さず他者との距離を保ちながら自分の靴を脱いで他者の靴を履くこと。

おわりに


予想以上に長文となってしまいました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

この本はエンパシーを軸に、近年の政治や経済の話も出てきます。日本に住んでいるのに、日本のことをよく知らない自分についても、改めて考えさせられました。

「エンパシーは一つのスキルであるから、それ自体には光も陰もない。光にするのも陰にするのも、その技術を使っている者次第」という言葉が印象に残りました。

エンパシー能力を普段から良い方向に用いて、生活、ひいては社会をより良いものにしていきたいと思います。






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