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生きる覚悟と死ぬ覚悟を持って生きること
突然ですが、わたしには兄がいます。
でも兄は、もういません。
わたしが写真をやっている一つの理由として
彼の存在があることを2年前のnote
「生と死と、写真とわたし」で触れています。
今日で亡くなって14年経つけれど
その日のことは鮮明に覚えているし
未だに9月という月が苦手でやっぱり憂鬱になるものです。
それほど身近な人の死というものは
遺されたものにとって大きな痛みを伴い
正直、完全に癒える日など来ないと思っています。
もちろん時間が経つことで和らいでは行くけれど
ともに生きた日を忘れることなどできないから。
![](https://assets.st-note.com/img/1695556143306-SMoltYNhHX.jpg?width=800)
そんな憂鬱な9月に
大切な友人の訃報が届きました。
同じフォトグラファーでご家族写真も2回撮らせてもらい
彼女のスタジオにも遊びに行き
わたしのアトリエにも来てくれ
その時は飽きることなく
朝会って夕方別れるまでずっと話していて
8月東京にも一緒に行ったり
「ちょっとゆにちゃん大丈夫なん?」と
よくDMやLINEをしてきてくれる
お姉ちゃんのような人の訃報。
10月に会えるよ!この日に会おう!と
つい先日連絡をもらったばかりだったので
「え?」と頭が真っ白になっのは言うまでもありません。
それでも彼女の死は
信じられないけど、信じたくないけれど
紛れもない事実でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1695557054972-DsGdJf0ttm.jpg?width=800)
ママのために何かをしたいと同じ志を持つ仲間で
同じ母として、フォトグラファーとして
ともに悩み、ともに歩み
いろんな心配をしてくれ、受け入れ、認めてくれていた
姉のような友人だった彼女の死は
本当に「悲しい」の一言に尽きます。
共通の友人と彼女のことを今朝話していて
会いたいな。もっと話かったな、って
叶わない願いを思わず溢してしまうほど。
そして彼女のご家族のことを考えると
若くして亡くなった遺族の立場を知っているが故に
胸を締め付けられる思いでいっぱいです。。
でも、どうやっても
わたしにできることはないのです。
悔しいけれど、悲しいけれど
わたしは、わたしを生きるほかないのだと。
「ゆにちゃんが撮る写真が好き」
「ゆにちゃんが撮ってくれる自分の姿は
すごく素敵に見える、嬉しい」
といつも言ってくれていた彼女。
頑張るね。
頑張るから、どうか見守っていて。
![](https://assets.st-note.com/img/1695559497583-JANDOgMB7Q.jpg?width=800)
どこで、どう生きてきたか
今ここにある日々を写真に残そう。
写真に写る姿は
生きた証・生きてきた軌跡そのものだから。
なんでもない毎日の写真は
自分が頑張ったという自己肯定
自分が愛されていたという安堵
遺された人たちの支えとなると思うのです。
そんな写真を大切に撮ってゆきたいし、
ついうっかり当たり前だと捉えがちだけど
日々は奇跡の連続の連なりで
生と死は隣り合わせに存在するからこそ
生きる覚悟と死ぬ覚悟をともにもち
感謝を忘れず生きてゆきたい。
ありがとう。大好きだよ。
惜しみない言葉とハグを
大切な人たちに贈りたい。
今を抱きしめて、写真を撮りたい。
出会ってくれてありがとう。
わたしは、あなたに出会えて幸せでした。
また、どこかで、巡り巡って出会えますように。
何にもできなくてごめんね。
ずっとずっと、大好き。忘れないよ。
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