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生と死と、写真とわたし

こんにちは*cotonowaのyuniです。
出産妊娠のことはたくさんお話ししてきましたが
今日は「死」についてお話をしたいと思います。
どうしても死についてはタブー視される傾向にあり
暗い・重いというイメージを持たれる方も多いかもしれません。
それでも生と死は隣り合わせに存在し
誰しもが経験することで、辿り着くものだということは、紛れも無い事実です。
重くていいじゃないですか。
だって、命は重いものだもの。


わたしと、永遠の25歳である兄の話

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昨日、無事に兄の十三回忌を終えました。
兄が亡くなったのは、2009年9月24日。
彼が26歳になる直前のことでした。
この日を境に「兄弟いる?」というありふれた質問が
正解のわからない質問になるとは思いませんでした。
「いない」とは言えなくて。
「いる」と言うのも苦しくて。

兄が亡くなった、と電話を受けたのは
忘れもしない関西国際空港の朝一のロビー。
北海道への一人旅で、飛行機を待っていた時でした。
文字通り「頭が真っ白になる」経験をしたのはその日が生まれて初めてで、正直、どうやって空港から実家に帰ったのか、全く覚えていません。

突然の訃報でした。

実は、わたしは、兄が嫌いでした。
彼は高校、わたしは中学に入学した頃から家族がおかしくなり始めたものの、誰にも知られたくなくて、兄のようになりたくなくて、とにかく必死で生きていました。
こじれにこじれた家族関係に疲れ果て、20歳で家を出て仕事をはじめ、家族と距離をとって生きていたあの頃。
最後に家族写真を撮ったのは、いつだったか思い出せないほどです。

ただ、その時のわたしは信じてやまなかったのです。
今はお互い全く分かり合えないけれど、30歳を越えたらわたしも兄も落ち着いて、お酒を飲みながら笑い話にできるはずだと。
結局その夢が叶うことはなく、彼は亡くなり、今、わたしは35歳になりました。

そこからわたしたち家族がどうなったかというと
皮肉なことにお互いがきちんと向き合うようになり
共に生きる同志、仲間として、改めてちゃんと家族になれた気がしています。


「お兄ちゃんの分も生きる」をやめた日

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彼が亡くなって12年。
この間にいろいろなことがありました。
何度も転職をしたし、めちゃくちゃな恋愛もしたし笑
いろんな病気にもなったし、結婚して子どもも二人、授かりました。

今でこそ穏やかに暮らせているけれど
兄が亡くなってからというものの
「お兄ちゃんの分も生きる」
「お兄ちゃんのために頑張る」
と自分にあらゆるものを背負わせ
無我夢中で生きていました。
そしてどこかで
「わたしは幸せになってはいけない」
と思っていて、幸せだな、と感じることへの恐怖を抱き
なんなら自分でぶち壊したこともあります。

そんな風に生きながら、7回忌を迎えた頃
ハッと気づいたのです。

兄を生きるのではなく
自分を生きなければならないのだと。

肩の力がふっと抜け、わたしはその時、
「ごめんね。先に進むね」と兄に声をかけ
今、自分の人生を歩んでいます。


日常の尊さを伝えたくて

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自分が経験した「ある日突然失われる日常」。
その経験より、日常というものは当たり前ではなく
尊く、儚く、時に泣き出したくなるほど愛しいものか
少しでも伝わればいいなと思い写真を撮っています。
そして、自分でもその気持ちを忘れないように、
自分たちの家族の写真も撮り続けています。

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兄を含めた家族全員が写った写真は
おそらく我が家は小学生の時が最後でした。
夫と子との家族写真、父と母に会った時には集合写真と
ことあるごとに写真を撮っているのですが
これは娘たちに「もう嫌だ!」と言われるまで(言われても?笑)、撮りたいなと思っています。
みんなで生きた証を残しておきたいから。

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生も死も、誰もが平等にやってくるもの。
妊娠出産、子どもたちの成長していく姿など
生きる力でみなぎっているものを残すことも
先の見えてしまった今を残しておくことも
写真でできること、デザインでできること
わたしの持っているものでできることがあるならば
なんだってお手伝いしたいと思っています。

と、いろいろ書き綴ってきましたが
今日もみんなが元気で笑って過ごせていることを
心より祈っています*
れっつはっぴー♡
(締めがいつも雑でごめんなさい。笑)

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