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ショートショート45 「❇︎ (アスタリスク) 第3話」

※これは2018年の筆者いぼ痔治療実体験を掌編小説に再編したものです。品性に欠ける表現 / 痛々しい描写もございますので、苦手な方はご遠慮ください。

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運命のXデー。

無機質な白い病床が三つ並ぶ簡素な入院設備の中で、

我々3人は、その瞬間を恐怖を押し殺して、ただ待つしかなかった。


❇︎


「手術そのものはすぐ終わるけど、術後の経過を見なあかんから、1日は泊まっていってもらうことになるわ。」

入院と呼ぶにはあまりに短く、外泊と呼ぶにはあまりにも色気がない。

我、唯、尻を裂かれるため、そこに在り。

「病室は狭いから、大荷物を持ってくるな。」

と言う先生の指示に従い、リュック一つにまとめた荷物で病室へと案内される。

S肛門科は小規模な医院で、一度に入院できる人数は3人だ。

私の手術日は、満員御礼。

そこには、二人の盟友が鎮座していた。

最初のうちは、それぞれに持ち込んだ本を読んだり、スマホを触ったりして思い思いに時間を潰していたが、ポツリポツリと小さな火が灯るように、誰からともなく会話が始まる。

それは、ある種自然な成り行きだったのかもしれない。

我々は、共通の悩みを抱えているのだ…尻に。


ここにいると言うことは、そう言うことなのだ。

お互いに気を遣う必要など、無い。

穏やかな笑みをたたえ、隣人が問いかけてくれる。


「あなたは…何痔ですか?」


「私は…いぼです。」

「私もです。」

「お…私もです。」


3人とも病状も同じ。そこに細く…だが、光を放つ確かな、つながりが生まれていた。


「ご職業は何を?」

「私は…小学校で教師をしています。」

会話を往復させる度、黒いシルエットに少しずつ光を当てていくように、相手の輪郭が色を伴って浮き上がってくる。

私はそのやり取りが、映画”プライベート・ライアン”の中で、トムハンクス演じる主人公が「俺は、戦争が始まる前は教師をしていた。」と言うシーンに重なり、一瞬 不安が心の中の占有面積を拡げたのを感じた。


(まるで戦いに来たみたいだ。)


いささか自嘲気味に、心の中で呟きを漏らす。

否、私たちは共通の敵に勝利すべくこの場にいる。己の中の恐怖に打ち勝ち、病魔を克服する。これは、戦いなのだ。私たちのお尻に平穏は戻ってくるのだろうか? …そんな不安を抱えて待つのはやめよう。我々は、勝利を掴むため、志願してこの戦場にいる。

そんな風に、自分を鼓舞し不安で心が折れぬよう、精神の火を焚き続けた。


❇︎


人の心を折るには1秒あれば十分だ。

私の闘志は、無惨な同胞の姿を見ると瞬で萎え果てた。

最初に手術室に呼ばれた同胞は、20分ほどの時間が経った後

内股になって、亀のような歩みで病室に帰ってきた。

小刻みに膝が震えるその様は、恐怖に直面したチワワのような物悲しさを感じさせる。

さっきまで、あんなに笑顔だったのに…。

私は、自分たちの運命を…いや、生活習慣の悪さを呪った。

二番目の同胞も表情がこわばっているのが見て取れる。


そして、二番目の同胞の名前が呼ばれ

彼は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出し、

「いってきます。」

と覚悟を決めて旅立っていった。


彼は、奥さんが妊娠中で、程なく父親になると言う方だった。

その後ろ姿は、勇ましく、すでに父親のそれだった。


そして20分後。


…その背中が、情けなく婉曲し、内股で小刻みに震える様を見せつけられるのは、名前を付けるなら、なんと言う拷問なのだろう。


私に喋る秘密があるなら、尾ヒレをつけて、望まれない情報まで、知りうる限りを洗いざらい吐いたことと思う。


そして…私の名前が呼ばれた。


❇︎


「そんなに拳握ったら、点滴が落ちないでしょうが!」

初老の看護師さんにどやされながら、私は手術台の上にいた。

手術前の麻酔が異常に痛い。注射の中で、一番痛いと言われる筋肉注射を秘部に直接、ぐるりと一周分12回ほど突き刺される。

薬液が注入されるたび、襲いくる激痛に思わず声が出る。

早く麻酔が効いて感覚が麻痺してほしい…でないと、心の方が壊れてしまう。


「放っておいた罰や。ガマンせぇ!」


先生からありがたいお言葉を頂戴しつつ、私は自分への罰に耐えきれなかった。

ようやく麻酔が効き始め、痛みが忘れられた記憶の欠片へと変わった頃、電気メスによる執刀が始まる。

人肉は美味しくない、というのはモラル的な観点でそう言われているだけで、実は美味である、という説があるが

私は、その説を支持する。

焼き切られていく私の肉の匂いは…焼肉のそれだったからだ。


❇︎


私は、同胞たちの元へ戻ってきた。

彼らと同く、内股で小刻みに震える。

それは、術後の嗜みであり、ドレスコードのようだった。

同じ苦しみを味わった同胞の間に言葉は要らない。


私たちは、言葉を発さず、

ハイタッチのように、お互いの拳で乾杯をした。


〜つづく〜

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