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ショートショート31 「奉行になったサラリーマン」

私は、焼肉を愛している。

明治維新万歳。食肉文化が日本に持ち込まれていなければ、私のような庶民はこの幸せを知ることなく暮らしていたかもしれないと思うと、今の日本の礎を築いたという偉業なんのその。肉を喰らうという至高の喜びを日本に根付かせるきっかけをくれたという意味で、維新志士達に感謝している。

焼肉は自由である、と市井では考えられている。私はこれに反論はしないが、そこに作法はあるべきだ。

その贅沢な時間を存分に謳歌するためには、作法を知らなければならない。儀礼なき自由は、暴虐であるとあえて断じよう。

肉の旬は短い。網の上に数十秒置く時間が長かっただけで、タンパク質が熱によって変質し、舌の上で脂と共にほどけおちるはずだった繊維は萎縮し、凝固し、その運命を呪うかのような硬い食感と共に、口内で不快な感覚を放つ異物へと変貌する。

私は、大好きな肉にそのような運命を辿らせたくない。そして、食卓を共にする盟友達にも、肉のポテンシャルを最大限楽しみ、この世の至上の楽しみを共有したいと思うのだ。

故に、職場の飲み会では、私が持っている知識を惜しむことなく披露する。

不慣れな人がいるならば、すすんで助言を行い、間違った焼き方をしている者があれば、相手が上司だろうと心を鬼にし、それを諫める。

全ては、至上の幸せのため…なのに、なぜ皆疎ましそうな目つきで私を見るのだ。

釈然としないわだかまりを一人のどの奥につっかえさせながら、私は日々を悶々と過ごしていた。

そんなある日のこと、常務に呼び出され、私は役員室の前にいた。なんだろう、何かまずいことでもあったのだろうか。私のような一介の社員が役員室に呼ばれるなど、凶事しか頭をよぎらない。緊張する面持ちで、役員室のドアを叩いた。

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「あぁ、来たかね。君の噂は聞いているよ。」

「はぁ、私が…何か?」

「いやはや、素晴らしい焼肉への愛だ。そこを見込んで、君を焼肉奉行に任命する。」

「焼肉…奉行、ですか? それはものの例えであって、実際の役職で存在するという話は聞いたことがありませんでしたが。」

「あぁ、私の権限で新設したのだよ。いや、何。君の業務は普段通りで構わない。ただ、焼肉奉行の初仕事として、得意先のA企業との会食に同行してほしい。君の知識と愛情を持って、最高の焼肉を食べさせてくれ。」

「そんな重要な場面に私めが!? 粗相があっては事ですから、ご指名いただいたことは大変な名誉ではございますが、辞退させていただく方が社のためかと…。」

「では、君は私の人選が間違っていると言いたいのかね?」

「いえ、決してそのようなことは…。」

「では、決まりだ。来週の金曜日、よろしく頼むよ。」

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とんでもないことになった…と思っていたのは最初の数日だけで、あとはようやく誠意が報われたという心地がしていた。

やはり私は正しかったのだ。疎まれていたのは周りに恵まれなかっただけ。常務のように教養のある方に、私の価値が認められたことが何よりの証左だ。

最高の焼肉を食べていただく、その日から私はイメージトレーニングを繰り返し万全の体制を整えていった。

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そして当日。常務の秘書が運転する車に同乗し、繁華街の高級焼肉店に到着。先方が到着し、形式的な挨拶が交わされた後、肉が運ばれてきた。

なんと、雅な…。

このような光り輝く肉を私は見たことがない。

それは、食べ物というより宝玉だった。

あぁ、見惚れている場合ではない。私は、最高の焼肉をご賞味いただくために、この場に同席しているのだ。さぁ、準備を・・・・。

意気込む私を尻目に、先方の専務はおもむろに肉をトングでつまむと網の上にのせた。

あぁ、まだ網が十分に暖まっていないのに!!

思わず悲鳴を上げそうになってしまった。

が、大事な得意先の重役のすること。まさか一介の社員である私が咎めるわけにはいかない…。

私は唇を噛み締めて、その場を見守った。


なんと!!? タン塩がまだ終わっていないのにカルビを!

そんなことをしては、網にタレがついてしまい、タン塩の爽やかさが台無しに!!

あぁ、そんなこまめにひっくり返すなど!!

カルビは、玉のような脂が表面に浮き始めてからひっくり返すのが、作法!!

あぁ!!! あぁぁぁぁ!!!!!

私の中で何かがプツンと音を立てて切れた。

そもそも私がここいる意味はなんだ? 常務より私は、”最高の焼肉を”という使命を賜ったのだ。

相手におもねり、真の焼き肉を召し上がっていただく機会を献上できずして、何が焼肉奉行か。

そうだ・・・、私は奉行! 焼肉奉行なのだ!!!

トングを取り上げ、

「恐れながら講釈を述べさせていただきます。カルビの最も美味なるお召し上がり方は…」

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役員室に秘書が入ってくる。

椅子を回転させ、常務はその方へと向き直り、問う。

「どうだ。先方の機嫌は。」

「えぇ、当の社員は海外へ出向させた旨をお伝えし、ようやく矛をお納めいただきました。」

「そうか。よくやってくれた。」

「しかし、常務の策略通りに事が運んだとは言え、少々危ない橋でしたな。」

「まぁ、結果よしとしようじゃないか。あの専務の焼肉の無作法ぶりには、一度文句を言ってやりたかったんだが、私が直接言っては、この程度では収まらなかっただろう。あの社員の融通の利かなさは有名だったからな。まったく、期待通りの働きをしてくれたよ。

嫌われ者の問題社員を遠ざける口実もできたことだし、一石二鳥だ。」


「げに恐ろしきは、"焼肉将軍"と言われた常務ですなぁ。」


おどけるように肩をすくめて見せ、秘書は役員室から出ていった。



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