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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2019年6月の記事一覧

蚊帳

小さい頃、夏になると蚊帳の中で寝るのが好きだった。 蚊に刺されるのもいやだったけど、 蚊帳の中は何か特別な空間だった。 オトナたちが居る世界とは別のこどもだけの空間だった。 夏布団が敷いてあるけど、いつもの寝室とは違う。 寝る時間には早い。まだ眠気はやってこない。 そんな時間にTVを観るより楽しみな蚊帳時間。 藍染めした麻の手触りも肌触りも心地いい。 ここは誰もが入ってこられる寝室ではないのだ。 好きは本を持ち込んだ、こどもだけの世界だ。 ここで本を読んだり、あれこれ想像する

信じること

「信じる者は救われる」と言います。 でも私は「信じることで救われる」 ではないかと私は思っています。 「信じる者は救われる」では どこかまだ他者まかせ、 依存している気持ちが残っています。 信じるから後は頼むよ〜救ってくれよ〜、 という感じ。でもそれでいいのかな? ちょっと違う気がします。 信じることで、自分を強く持てる。 そのことが自分を救うことにつながっていく ということなんじゃないか。 そう思うのです。

海・渡・風

なだらかな坂を下りて行けば 私の思いが波間にゆれて光る 定まらない心の行方を抱いて 静かに行き交う小舟のように 夏が光を噛みくだいてゆれる 昨日までを終えて明日の私に 残照は結びついて行くかしら しまなみを縫う軌跡のように 海を渡る風に浮きゆれながら あなたの心に結びつくかしら

やってみてから考える

否定から入るというのは ブレーキを掛けながら発進するようなもの。 それではスタートダッシュどころか、 下手すればエンストしてしまう。 トラブルの原因を抱えてやりはじめても 得られるのは失敗したときの言い訳だけ。 できると思ってやりはじめてこそ、 失敗しても前向きな原因を得られるのだ。 やりっぱなしはいけないけど やってみて考えることはとても大事なことだ。

言葉と料理

「言葉を料理する」と言います。 言葉は食材。それを、 どう料理するかは書き手の力量とセンス。 食材のことを知らないと料理法も間違う。 食材の鮮度も大事。 できた料理を食べてくれる人がいて、 美味しいと言ってくれることは喜び出し、 幸せを感じるときです。 書くこと、話すことを仕事にしている人は それを常に思わなくてはいけないですね。

恋愛成就のために必要なもの

恋愛を成就するには想像力が必要です。 結婚して、その先も ハッピーに暮らせるかと考えた時に、 想像力が働かない場合は大抵失敗する。 恋愛中はハッピーのサービス期間のような ものなので、その後もハッピーでい続ける ためにはどうなんだろうって想像する。 その想像ができないと「結婚は人生の墓場」 なんて言い出すわけだ。 二人だけで幸せになるわけではなくて、 家族や友人や、深く関わりある人たちとの 関係性の中で幸せになっていくわけだから。 そこを想像しようって思うな。 人の不

日常に戻るということ

日常に飽き飽きするとき、非日常に憧れを抱く。 非日常がやむなく日常に入り込んだら 日常でないことに戸惑いを隠せない。 それは計画したものでない限り、 耐え抜くのはかなりきつい時間を要する。 非日常は日常がそこにあるから際立つもので、 日常が壊れたままでは非日常も息苦しい。 暮らしのなかにある日常と非日常。 そのバランスが程よく保たれているときは 体も心も安定しているのだろう。 非日常と日常は、柳田邦男によって「ハレとケ」 として見出され、暮らしのなかに落ちてきた。 そこで

謙遜と謙虚

自分の価値を低く評価するという点で 謙遜は内向き、 相手の意見を素直に受け入れるという点で 謙虚は外向きともいえる。 どちらも、 おごらず控えめというところは似ているけど、 自分の価値を低く評価する言動はとらない というところは謙虚の良さだと思う。 相手にもよるけどね。

真夏の夜の夢

今日22日は二十四節気の「夏至」。 1年で一番日が長い1日である。 夏至の対面に位置する冬至と比べると 約5時間も日が長い。 その分夜が短いわけだが、ま、それはいい。 日がそれだけ長いということは、 陽のエネルギーがそれだけ充ちるとも言える。 あいにく日本はこの時季が梅雨最中なので なかなか実感はできないのが残念なのだが。 ところで夏至と言えば『真夏の夜の夢』だ。 シェークスピアの喜劇で読まれた方も多いと思う。 この話、夏至の夜の森が舞台になっている。 北欧では夏至の日は妖

時間密度

過去と未来をとらえるとき、私は時間密度を考えます。 50や60代の世代から見れば、 子どもから青年期は過去より未来のスパンが長い。 そうすると過去の思い出を振り返るより、 未来に向けて今の時間に詰め込む事柄が多くなる。 これが時間密度が濃くなることに至ります。 ところが、50や60代になると未来の時間スパンが 短くなるので、やりたいことよりやれることが 限られてくると考えるようになる。 がむしゃらに夢に向かっていた頃の詰め込みが できなくなる。 できるだけ無駄な時間の使い

うどん解禁(麺類解禁)!

今週月曜日に忌明けしたので、 ここにめでたく「うどん解禁!」を宣言します。 忌中の四十九日間は意外と早く過ぎた感は あるのですが、うどんを食べられない期間と 意識すると長かった。 うどん禁止令は、 讃岐人にとってやはり苦行の何物でもありません。 それも過ぎたら、無性に食べたくなるは必定。 で、次の日に早速隣町のうどん屋へ行くことに。 (町内のうまいうどん屋は定休日だったので) 開店直後の11時過ぎに店内へ。 お昼時になると混むんですよ、これが。 そこで、天ぷらうどん(小

人生のモノサシ

人がそれぞれ持っているモノサシは生きている。 だから育てていかなければならない。 親からモノサシの原型を与えられて、 それを自分の成長に合わせて モノサシ自体もよりよいものに育てて行く。 これがとても大事なこと。 未熟なモノサシをどのように成熟させていくか、 それはその人の人生を計るものだと考える。 絶対的モノサシは神様しか持ち得ないものなのと知り、 他人のモノサシを安易に借りず、 自分が使えるモノサシを自分で育てて行く。 人生はそうありたいものです。

人の幸福は何で決まるか

「人の幸福の9割は、人間関係によって決まる」 つまるところ、人は独りでは生きていけない ということをいい得ているんだと思う。 自己の存在は周りの人との関係性のなかで つくられるということなんだろう。 幸福感を感じない関係性のなかで暮らす とすれば限界が早くやって来るだろう。 そうなれば自分の存在自体を否定していく ようになる。つまり自己の死です。 世知辛い世の中が進んで行けば、 愛も消え、自己の死が増えていくだけの 世の中になる気がする。 僕らはそんな世の中をつくっては

未来の居場所

「未来などわからない」という人は、 未来に自分の居場所を見ていないから。 バラ色の未来でも、暗い悲惨な未来でも、 そこに自分の居場所見るなら、 未来を自分事として 見ることも考えることもできる。でも、 自分の居場所と切り離してみていれば 未来などわからないということになる。 未来は変化する。 それは自分が変化するからであって、 誰かが変化を起こすものではない。 そう思ったとき、 未来との関わり方が変わるはず。 いつになっても第三者的にみていれば、 未来はわからないまま。