「それしか見えない」ときは、「それしか見ていない」とき

ヒトの言動行動には、常に潜在意識という大きな大きな「あなた全体を構成する組織」が動いています。そして、常にあなたの表面上の言動行動思考すべてにおける状態に大きな大きな影響を与え続けています。

そして、
ヒトの言動行動には、
それがどんな些細な僅かなものであっても、
どんなタイミングや内容であっても、
必ず、「目的」があって動いています。

その「目的」は、現代の日本人は、自分自身で気付いていないことが多いです。

こういう話をして行くとどこまでも広く深くあらゆる概念に繋がってくるので、今回の記事ではこういう例えをあげましょう。

あなたは、「〇〇しか見えない」というときがあるでしょう。
これは、ヒトのことでもいいし、物事のことでもいいし、可能性の話でも良いです。
大好き(だと自分が感じている)人のことでもいいし、「こうするしか私には方法がない…!」というような、切羽詰まっているときのあなたに見えているあなた自身の可能性の話でも良いです。
どちらも、実は同じなのです。

自律を育てて視野広く自分自身で自分の人生を見ているひとは、
これは例えばですが、
「あの人がいなかったら私の人生はどうなっていたことか…」
「あの人には感謝を伝えても伝えきれない」
「あの人は私の人生の師だ。」
と感じる相手が、人生の中にたくさんたくさんいます。

そして、もし本当に添い遂げたいと思うほどのたった一人の相手を見つけたときでさえも、
「この人がいないと生きていけない」とか
「私を支えて愛してくれるのはこの人だけだ」などではなく、
「私はこの人がいてくれたら一層強く、何があっても生きていける。」
「私は自分の人生を歩んで行けるけれども、自分の人生を歩むうえで、この人といられたら本当に幸せ。自分の人生の道を横で一緒に見ていてもらって、私もこの人の人生の道を見ていて、助け合い支え合い補い合って生きてゆくことが、私の人生を益々高め幸せにする。」
というような感覚。

どちらも、その人にフォーカスしている意味では同じなのですが、
前者は、「その人がいなければ」という、いわば条件であったり、「なければ~もない」という、自分(中の要素や可能性や人生、もしくは相手や環境も含め)を消す、否定する、という視点。
そして、それは後ほども書くところと繋げると、「これ<しか>見ない、見たくない」=つまり、本当に自分の人生に見えているあらゆるものや選択肢や可能性を自分で閉ざして見ないようにするために、「その対象」を見ることで隠している、という、実は本人には無自覚だけれどもその本人の確固たる「目的」があります。
自分が本当に見るべき(というよりは魂が本当に見たいはずのもの)を「見ないために」別のものやその中の僅かたったひとつのものだけで自分の人生より先・前・大きい状態にして「それしか見えないのだ」と思い込むことにより人生の進展や問題解決を自分で避けて阻んでいる状態。
これは、交流分析の人生脚本分析の角度からの言い方をすると、実はその人の人生にとって、その人が自分の人生の手綱をとって本当の意味で自己実現していく道において、とっても危険な状態。下手をすると命にもかかわるほど危険な状態でもあるのです…。

ちなみに、これは恋愛などの「ひと」が対象であっても、自分の人生の壁を打破する問題解決の可能性が対象であっても、自分の才能が対象であっても、同じことです。今は「ひと」が例えやすくわかりやすいと感じたため、この記事ではその例をあげています。

後者は、自分の人生には常にあらゆる選択肢があるけれども、その中で、敢えて自分は「これを見たいから見る」状態。
他の物を見ることもできるし、視点を変えてはまた戻って来ることもできます。

ヒトの顕在意識(脳)というのは、一度に情報処理できる能力(いわばCPU)のスペックは実は非常に低いです。
そのため、人生で甲乙つけられないほど感謝を伝えきれない、大好きな対象が何人も何人もいたとしても、その人たちを同時に頭の中に並べて思い浮かべることなどできません。

そのため、ひとはその時その瞬間その場面で、「自分の人生を解決していく(自分の人生を前に進めていく)」ために、必要なものを見ます。
しかし、常にそれは「自分が今それを見たいから見ているだけであって、視野の中には他のものも無数にあるのだ」ということを、ちゃんと認識はしておくことが望ましい。
それでなければ、いつの間にかひっくり返って、それしか見なくなりそれしか見えなくなり、自分の人生にはそれしかないのだといつの間にか錯覚して思い込み、自分の人生よりも先、前に自分の人生よりも大きいかのような気分になってきて、自分の人生をその対象に投げ渡してしまって支配されようとするプログラムパターンに入って行ってしまうひともいます。
実際、現代の日本人にはこれ、非常に多い。
幼い頃の人間関係でそれを学んで身につける人もいますし、世俗の中で現代的な小説や漫画やテレビ番組などでそういうシチュエーションやそういうプログラムパターンを持った登場人物を無自覚に見て、自分の中に学び取り入れる人も非常に多いです。


…それでも、
「私にはあの人しかいないんだ!」
「あの人(物)がなければ私は生きていけない!」
「そんなこといったって私にはもうこの可能性しかないよ、そうだろう!!」

…と、思いますよね。

…それでも、
絶対に、そんなことはありません。
あなたは、あなた自身であなた自身の人生を蔑んで見下しています。みくびっています。
あなたの人生、あなたの目の前には、実は、もっともっと無数の、しかも魅力的な可能性や存在がたくさんたくさんあります。

しかし、私は良く言うのですが、「人生の道」は、顕在意識さんには、目に見えません。
いや、実際の「目」ですら、あなたはちゃんと目が見えてあらゆるものを見ているようなつもりでいて、実は常に見え続けているはずの広い広い視野のうち、ごくごく僅かしか脳に到達しておらず「認識していない」ことをご存知ですか?
見えているつもりで、実は見えていないもの、眼球で網膜にうつすことのできる大きな物体でさえも、実はまるで見えていないもの、物凄く多いのですよ。
ヒトは、「何らかの目的のために」「見たいものしか見ない」ものなのです。

その目的さえ自分で自覚できるようになれば、(本来自分自身なのですから、わかるはずなのですが、現代はどんどん自分の潜在意識と顕在意識がまるで別人かのようにちぐはぐに疎通ができていない人が増え続けています)、あなたも、とても生きやすくなるはずです。
自分に自分が振り回されるのではなく、自分で自分を生きるようになるのですから。

必ず常に、「ああ、私には今これしかないわけでなくて、これしか見えていないだけなのだな。実は周りにもっといっぱいあるのだな」と思って感じておくだけでも、人生だいぶ変わります。

しかし同時に、「これしか見えない」「これしかない」「これはこうなんだ!!」と思い込み(決めつけ)がちなひとは、そもそも24時間365日、自分自身でもはや自覚できぬくらい当たり前に自分の脳の中で「自分はこれしか見えない、自分は~のシチュエーションになったら△△しか考えられなくなる」と言い聞かせてプログラム(暗示)し続けていますから、そのご自身でも気付かぬうちに行ってしまっているセルフトークをまず止める、ということが、もっと大きく人生変わります。


それでも、
「いや、私の人生にはそんな可能性なんかいっぱい転がっているわけがない」
「私は~がいなければ(なければ)生きていけない」

と感じてしまうひと、
実際それが肯定的建設的なあなたの魂が感じたがっている人生の感じ方ならば日常に不平不満も出ず幸せと感謝で満ち溢れて、もう溺れそうなはずなのですが、そうではなく、何か不満があったり苦しかったり生きづらさを感じていたりするひと、

何かが気になってこの記事をここまで読んでくださったかた、

一度、お声がけください。
何か生きづらくて口で言えても言えないようなもやもやしたことでも困りごとがあるかたはこちらから…


こういうことをメカニズムとして、理論として、学んでみたいかた、
対人支援の関係を目指しているかた、既にそういうお仕事のかた、
本当に対等で自立した関係性を感じたい、知りたい…というかたは、

こちらから無料事前個別相談へ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?