あなたはあなたの人生、何を使って生きている?

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう。-岡本太郎

人生、その身体で生きているとき、あなたは一体、何で生きているのでしょう?
また、何を使って(賭けて)生きているのでしょう?

人生を生きるということ自体、いのちを使い、いのちを燃やし、いのちを賭けているということではありませんか?
私たちにはいのちしかないのに、その他のものでどうやって人生のすべてのたったひとつの瞬間ですらも、生きることができるでしょう?

…そう、思いませんか…?

まったく別の角度からちらりとだけ言いますが、文明開化以前の日本では、どうやら、日本人は当たり前のように自分の眼の前(寧ろ足元)の一瞬一瞬を、一瞬一瞬に全身全霊を投じて「生きて」いました。

またもまったく別の角度からちらりとだけ言いますと、私は、
「人事を尽くして天命を待つ」という表現を良く使います。
「人事」とは、今でき得ることをこの一瞬を無駄にせず全てやる、ということです。
「運命(天命)の女神は、準備万端整った人のもとにのみ訪れる。」と明言を残したひと…パスツールだったかな?…も、いますが。

言葉にすると非常に矛盾の塊になってしまうので表現がひどく難しいのですが、現代日本人、
なぜだか、その身体、そのいのちを使って人生を過ごしているはずなのに、なぜだかその身体、そのいのちを使わずに生きている…いや、生きていない…という言葉の方がむしろ近いのか、そんな、わけのわからない、あり得ない現象を起こしている人がひどく多い。急増し続けているように感じます。

生きたいひとにも、逝きたいひとにも、活きたいひとにも。

あなたは、今、その身体があり、そのいのちを燃やしているのですよね。

であれば、死ぬまでは、その人生の一瞬、あなたの目的のために使いませんか?それまでは、生きていませんか?
生きることができなければ、満足に、うまく逝くこともできません。
生きているはずなのに生きていない(命を使えていない)状態は、時間がとまっていることと限りなく近いですから。しかし、人生の時間がとまりながらも身体だけは大人の形になっていく。するとさらにあなたの中はちぐはぐになり、パラドックスの塊になってしまいます。
そして、いのち(身体)で生きているはずのあなたが、その人生の一瞬一瞬それを賭けていないというわけのわからないことが起きていれば、いのち(身体)・人生を使えていないのですから、身体(いのち)や心の不調が起こってくることも当たり前なのです。
もう既に、複雑極まりないパラドックスが起こりまくっていて人生の歯車がどうして良いかわからなくなっている人が、非常に非常に、急増しています。


このパラドックスに囚われているかたは、ぜひこちらへ。
一度、お気軽に、忌憚なく、お話聞かせてください。

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