自分、人間関係、世界…外界に対して疑問や不快を持ったことのある人たちへ

自身の五感の性質、システムを勘違いしているがために、人間関係や人生で嫌な思い苦しい思いを自分から引き寄せてしまっている人が、そしてそれを相手との関係のせいだ、相手がいるからこうなっている、環境に振り回されてこうなっているのだ、と思い込んでしまっているがゆえに更に本人に不利で不要な苦しみや不快な感情を引き受け背負いこんでいる人が、あまりにも、あまりにも、あまりにも多い。

…まあ…五感だけでなく、自身の心の性質やメカニズムを勘違いして(寧ろほとんどを真逆に解釈して)そうなっている人もあまりに多いのだが。


現代の世の中、なまじ、中途半端に情報が多くなって、外側からあらゆる認識が潜在的に入るようになってしまっている。

かつては、そんなことをわざわざ顕在意識で知る必要もなかった。”外側によって(自分がとらわれることによって)自分の顕在意識と潜在意識を分断することもなく、疎通が図れる状態で潜在意識が全て知ってくれていたから。
しかし、今では外側からの情報によって、いつの間にか「顕在意識が知ったつもりになってわかったつもりになって」いる時代になっている。

そして…本来の心理療法家や催眠療法士や科学者や…そんな人たちは、それが実は違うのだよ、どれだけ顕在意識には計り知れないか、顕在意識にはわかりようがないのだよということ、更にはだからこそ潜在意識に任せて委ねる道をと、広めている身であるはずなのだが、しかしあまりにもう表面的短絡的説明や理解で絡みに絡み過ぎている人たちには、同じ土俵で話しているようにしか見えず「また新しい理論が来た」「パターン化する(実は顕在意識にも”敢えて”わかりやすいよう言葉を紡いでいるだけで実は”あなた方が”それをパターン化して受け取っているだけなのだが)」「顕在意識で知ったかぶりをして知ったつもりになっている」と受け取られてしまう。
……というより、真髄の方をそういう受け取り方をされるようにされるように、近代以降ひたすら学習体系など仕組まれてきたのではないかと感じるが。
そして、殊に日本人は、元々かなり近代まで(江戸時代くらいまで)、動物に近い真髄と繋がる本能、五感を持っていた。
だからこそ、全て顕在意識に解る形に引き下ろし圧縮して支配したい勢力には脅威だった、だから現代日本人は殊に骨格からヒトとしての基礎的な部分から潰され破壊されてきた(この言葉による言い方もかなり語弊はある狭い表現となるのだが、もう逆にわからなくなるほど長くなるので仕方がない)。

結果、現代ほとんどの人が、顕在意識にて、五感の意味や仕組みメカニズムをまるで盛大に見当違いして捉えるようになってしまった。
それによって、実は自分自身の心の核である潜在意識を潰し抑えつけるようになってしまった。本来、そこにフタはなく、潜在意識がすべて知っていてくれたからこそ顕在意識は心地良くゆりかごの中でふわふわと揺られているかのように生きている(生かされ活かされている)ことができたのに。

たまに世界のそんな危機に気付いて、本当の心の仕組みや五感の仕組みを伝え広めようとSNSやYoutubeで説明拡散しようとする人もどんどん増えているが、彼らは彼らで、聴衆側にそもそも”その説明を真逆の意味で解釈してしまう土台が敷かれてしまっていること”に気付いていない。敷き直さねばならないのはまずここなのだ。
しかも専門家たちのやってきた基礎的土台すらあるわけのない不特定多数に、それも文字数制限時間制限などがある中で中途半端に拡散してしまうので、余計”情報”に混乱させられ振り回され、折角”自身の内側を視ろ”という発信をしているはずなのにどんどん外側に翻弄させる結果・世界の進みを助長させてしまう。


人間関係で、支配関係(カープマンの三角形)に入って、”加害者”(これも顕在意識に表面的にわかりやすく表現しているだけで、酷く逆説的で他のポジションともイコールで深いのだが)に対して、相手に抑えつけられ圧し潰されているかのように感じる、という人もいる。これはあくまで例え話だ。

確かに言語ではあらゆる表現の仕方ができるが、自分がなぜか苦しい時(相手に対して)というのは、どういう時かというと。
これは”自分の顕在意識で”苦しみを感じているから”自分の顕在意識が苦しんでいる”と思い込んでしまう人が本当にほとんどなのだが、実は苦しんでいるのは自分の心そのもの(つまり潜在意識)なのだ。
そして、自分の心が苦しんでいるというのはどういうことか。
相手がいて、相手に圧し潰されているかのように感じるという時は、しばしばの場合それは相手のプログラムである。相手(仮にAさん)の顕在意識が、あまりに堅固強固にAさん自身の潜在意識を抑えつけて圧し潰さんとしている時、相対しているあなたの潜在意識はそれを感じ、苦しくなる。と、同時に、そういう相手を前にすると、あなたの顕在意識も呼応して、あなた自身の潜在意識をも押さえつけ圧し潰さんとしているのだ。
だから、あなた自身の潜在意識(いずれにしても相手の潜在意識の同類どころか繋がっている部分の叫びで痛いわけだが)が潰されそうになって苦しいときなのである。

…これを、例えどんなに、いくら説明しても、それは相手がいるからでしょう、となって混乱してしまう人のあまりの多さを最近殊に殊に痛感している。
(まあ、そこで「相手」に主軸、論点をすり替えて持って行こうとどうしてもしてしまう時点で、まさに自分の潜在意識を圧し潰し潜在意識=つまり自分自身の苦しみに気付かないよう気付かないようにしている証拠、自分にディスカウントが働いているということなのだが…)

ああ、顕在意識は自分(顕在意識)の感覚だと感じてしまっている限り、それが自分の潜在意識の感覚であると感じることができないのか、と。
最近あまりに疲れるほどに感じ続けた。いや…考えたら幼い頃からだったのだが…

そして、同時に、それは、自分の「五感」に対する盛大な間違った常識(あまりに常識と思い込んでいるのでそこを疑わない)によるものが非常に大きいのだと気付いた。
「五感」というのは、外界から来た刺激を受け取って脳に伝え脳が解釈しているのではなく、”外界から来た刺激(音、光、匂い物質など微細なものも含めた物質的刺激)を受けて生じた自分自身の状態の変化”を受け取って脳に伝え”、それを更に”脳が脳に定着しているプログラム(認知パターン)を使って解釈(取捨選択、圧縮、記憶しやすいような継ぎ合わせや歪曲処理)”をしている。
この本当の意味に気付いた時、如何に自分の人生は自分自身の自由、自分自身のコントロール下であったのかということを知る。

そして、他人や環境に影響されて自分はこうなっているのだ!というゲームを如何に楽しみたい、表面的な落差(スリル)が好きな年ごろだったのかということを知る。
如何に、表現するならば本当は絶対安全安心なお父さんお母さんの車に乗って連れて行ってもらえている車内で、おもちゃの小さな車の中に乗って事故を起こしたつもりになるごっこ遊びをしたりして、それを本気で本物だと思う遊びに体力労力を使いたい年頃だったのか、を知る。


私は、幼少時から、顕在意識の感覚と潜在意識の感覚が、(自覚としてはもちろん顕在意識・潜在意識などという言語化された自覚ではなかったが)違うところにあった。
そのため、先程のような例で苦しみを感じた場合は、”相手の潜在意識の叫び(痛み)”を、顕在意識ではなく私の”潜在意識の感覚”で感じていた。

だからこそ、私も”潜在意識の領域”から相手の潜在意識に語り掛け、そうすると顕在意識は混乱したり興奮したりこちらに恨み憎しみを感じて攻撃してきたりすることまであるが(これらを心理学用語、専門家の領域では転移現象と呼ぶわけだ…これを私はひたすら相手にしながら、本当に後年になってやっと知ったのである…)、相手の潜在意識は必死で手を伸ばして来る。
そうすると相手の潜在意識がいつの間にか丸出しになり、トランス現象やトラウマ反応、あらゆる心身症状や解離現象になったりして表面化して現れてしまう。もはやこれがほぼ当たり前であったので、相手のトラウマ反応や心身症状の解除なども行ってきてしまっていた。そのうち、後年になって初めて(それこそ驚くほどに)同じ理論や方法を扱っていた催眠療法による深いセラピーと同じようなことまで当たり前のように本能的に行ってしまっていた。
(私は今までの記事でも書いているが、実はセラピストになりたいなどとは一度も思ったことがなく、今ですら思っておらず、私自身が間違って顕在意識社会のルールから逸脱した勝手な心理療法など行ってしまうことがないよう、もはや魔法の暴発をコントロールするためほどの目的で心理療法を学ぶに至ったのだった)

そして、その中で、自分自身の潜在意識と顕在意識もどんどん繋いで元に戻していき、自身の中にあった心と身体を縛るプログラムもどんどん解き放っていった。

私も本当の意味で人間関係や外界とうまく行かないことにラケット感情を感じることから抜け出したのは、本当の五感の仕組みを悟ったことと、顕在意識の感覚と潜在意識の感覚を区別する(相手のものと自分のものと合計4パターン以上)ことを自分で訓練してからだった。

大抵(これも表面的なパターンの話ではないので表現しにくいのだが敢えて言うならば)、自己肯定感が表面的に物凄く高く見える人は、実はもの凄く自己肯定感が低く、自分で外側から貼り付けてきて作り続けてきた壁のような”自己肯定感のハリボテ”で自分の潜在意識(本当の心)をとてつもない力で圧し潰している。
見た目(表面的に)、自己肯定感が非常に低いように見える人は、実は自己肯定感がひどく高く、それゆえに自己肯定感の低さという仮面で周りを振り回していたりもする。

顕在意識で潜在意識を抑えつけている人の場合は、表面的に見える顕在意識の表現と、潜在意識の持っているものは、実は真逆である。だから、相手(実は自分もなのだが)を振り回し混乱し混乱させる。
そして、私がしばしばそうなって相手の理解がおかしくなっている人に説明をしようとしてみても、その人もその人でもう相手への表面的感情に囚われてしまっているため、「そんな風には見えない!」となってしまう。相手の本音や相手の状態が知りたい、メカニズムが知りたいからと言って私の意見を聞くのにも拘わらず。
そういう人にも気付かせることのできる、多少時間はかかるが私の潜在意識からその人の潜在意識に語り掛け、その人が自分の潜在意識を経由して相手を知る・気付くよう仕向ける方法もあるのだが、それはセラピストのやることだ。なぜなら、それこそがもはやその本人のプログラムの解除過程であるから。私はセラピストとして依頼されてそれを聞かれているわけでもない限りは、セラピストとしての仕事をどこでも構わずやるいわれはない。(というよりも、それをついやってしまうと、収拾のつかない大変な事態になるので、やってはならない。)


そして、理論的にしかも極力単純でわかりやすい顕在意識の言葉を使って、こうこうこういうものがその人の底にあるから、だから顕在意識の表現としてはこういう風に表出されることになるのだ、そして自分ではそれに気付いていないから、だからあなたを混乱させ振り回すようになるのだと説明しても、大半の場合、それは通じない。何故ならその人の顕在意識は「どうしてそんなややこしいことが起こるの?私はそんなことないよ」と返して来るからだ。”自分では気付いていない”のだと言っているだろうが。
私には、そう言っているあなたのまさに今この瞬間、発してくるあなたの潜在意識の言葉も良く聴こえる。そして、いかにそれ(あなたの顕在意識の言葉と潜在意識の言葉)が矛盾していることか。

…顕在意識は、本当に自分の気付いている部分だけしか、”自分”であると思えないのか…。気付こうともできないのか、と。

……私は、幼少時より、寧ろ、潜在意識の言葉の方しかちゃんと解することができていなかったのだ。
顕在意識の言葉を解することができるように、自分で訓練してきたほどだ。


……そして、如何に現代が、潜在意識に拷問をかけ圧し潰して、平気な時代になってしまっていることか。
ここ10,20年ほどだけでも、世界的に、魂レベルでは随分な急激な変動が起こっている。そして、来年あたり、また、魂レベルでよほど覆るだろう。
潜在意識に拷問をし続けて平気な顔をしている…フリをしながら顕在意識は苦しい苦しいという、そしてそれが”相手の顕在意識”や”環境”のせいだと当たり前のように言うことができるようになっている。しかし、潜在意識はいくら圧し潰したところで顕在意識(顕在意識は潜在意識の一部なのだから…)に影響をするので、それによって更に顕在意識は息(生き)苦しくなっていく。
そしてそれによって、更に更に自分自身や他者を断罪し弾圧し攻撃していく…。

……もはや、大きな車の中で車の玩具に乗ってごっこ遊びをしている、どころのスケールではなくなってきている。顕在意識社会の火遊びは。


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