私は、本来は医療関係者や心や身体の専門家などがお互い同士で使う専門用語、もしくは専門家と”その”クライアントがお互いに話をわかりやすく早く通じやすくするために使っていた目的のはずの言葉が、現代はいつの間にかYoutubeやら漫画やらスピリチュアルやらいろいろなツールで広まり、その概念が深く理解されないまま流行語になってしまっている、というような記事を何回か書いています。
「トラウマ」だとか「投影」だとかいう言葉は、心に問題課題を抱えた人たちクライアントさんたちに、随分と誤解のある印象やこの言葉があることで逆に苦しい影響を与えてしまっている用語のひとつです(また、誤解の多い表面的な理解のために、本当に必要な説明が通らなくなったり、説明しにくくなったりという非効率や二度手間を非常に多く感じさせられる用語です)。
医療関係者ですら、いつの間にか一般的に広まった方の表面的な理解で流行語のように使ってクライアントさん方や一般にも軽い口癖のように広めてしまっている現状があります。

そして、「依存」という言葉も、そのうちのひとつです。

…とはいっても、この記事では、定義は別に説明しません。
定義を説明したところでそれは結局表面的簡易的理解と誤解を生みますし、結局こういう専門領域の言葉というものは、”臨床”にだいぶ携わる者でなければ、本当に必要な意味で必要な角度からの理解はできないものだと感じさせられます。

ただ、「依存」という言葉が流行ってしまっているがために、苦しんでいるクライアントさんたちがいます。


「依存」というのは、クライアントさん(自身の人生に問題・課題を抱えていたり、対人関係に困りごとを抱えていたり、自身の潜在意識と疎通が円滑でない人たち)にとっては、非常に難しい概念です。
ですので、どんなに少なくとも、この言葉を気にしたりこれは依存だ依存でないなどととらわれない方が良いです。
まず、そういう言葉を気にしたりこれは依存だろうか依存でないだろうかという問題にはまりこむこと自体が、依存症の始まりとも言いかねない”問題”です。

また、私のクライアントさんで、「依存依存って良く言うけど、いつもこんなにがんばってるのに何が依存なの?どうして依存なの?って思う」と、気持ちを明かしてくださったクライアントさんがいらっしゃいました。
その通りです。
そんなことを感じて、当たり前ですよね。
依存というのは、世間一般飛び交っていてどうこうなる話ではないし、依存せざるを得ない状況に自分自身を追い込んでしまう(人生脚本プログラムを持っている)人や、依存関係でなければそもそも人間関係を築くこと自体ができない人にとっては、自分に依存症状があるかどうかなど、わかりません。わからないのに依存依存という言葉ばかりが日常一般に飛び交ってばかりいたら、苦しいです。
その言葉は、本来は支援者側が、クライアントがいつの間にかだんだん自律性の獲得と共に本当の意味で依存ではない関係性を自分で構築できるようになっていくために、利用する概念です。
…ただ、支援者側が、クライアントに「症状」を脱するために、「依存症状」という言葉を出したりする場合はあるとは思います。が、それは一般に放り出された状態で不特定の人に言われるのではなく、「克服するという目的を見据えるために、寄り添ってくれている支援者が」使うため、クライアントさんにとっては「ああ、症状なのだ。だから苦しいのか」と自分の問題がはっきりし、克服するための支援者との共通認識が作りやすくなります。というより、そうなることがわかっているシチュエーション、クライアントさんにのみ使います。

クライアントさん(人生や対人関係に問題を抱えた人・自身の潜在意識と疎通がとれない人・自律性が未獲得で自分の人生の舵をうまく握っていられない人)は、本人にとって「がんばらねばならない状況」であるがゆえに、依存状態に自分を追い込みます。
そのため、もし、あなたが、「自分のこれは依存なのだろうか、依存ではないのだろうか」というような迷いや思い悩みに嵌り込みそうな状態にあるなどする場合は、「それが依存であるかないか」だとかいうことが問題ではなく、「今あなたがそのような(その言葉によって苦しみや生きづらさを感じたり依存だろうかと嵌り込みそうな)状態自体」が問題ですから、カウンセラーやセラピストに相談してみましょう。


また、敢えてもうひとつだけ説明を加えるならば、
どんなものであれ<概念>というものは、その概念に嵌り込んでいる人、その概念の内側にいる人には、その概念はいくら説明されても理解しづらかったり表面的理解しか及ばなかったり、自分が概念の外にいるか内にいるかがわかりません。
ある意味で最たるものが、<潜在意識>や<催眠>という概念です。
潜在意識は私たちの意識の9割以上(9割以上、という数字や比較の概念を更に重ねて作らねば理解できない、ということもどれだけ外側の概念であるかを表すものですが)、土台として常にある、そして私達自身まるごとそのままの存在です。
そして、催眠という状態は、実は特別な瞬間に現れたり移行するものではなく、実は日常、常に隣り合わせにいつもあり、そもそものベース、潜在意識の存在そのものの状態であるため、だから人は<催眠状態>に入ったとき、催眠状態に入ったことも今催眠状態であることも、認識することはできません(催眠状態にいることを、顕在意識は絶対に気付くことができないのです)。
地球が丸いだとか超高速で回っているだとか、宇宙は真空だとかいう概念も、頭で表面的にわかったつもりでいることはできても、実際理解できていませんよね。自分の可聴域を超える超音波は、存在を頭で表面的には知っていても理解できませんよね。
自分(己が己である領域)を超えた概念は、人は知ることができないのです。

それと同じで、そもそも、対人関係というものを依存関係でしか構築することのできない(できなかった)人たちは、「依存」という概念、外側から例えどれだけ言葉で説明されたところで、理解できようがありません。
依存でない関係を、体感したことがないのですから。
先天盲の人にいくら見えるという概念を説明したところで、見えるというのがどういうことか、わかりようがありません。あなたに鷹の見え方が理解できますか?

ただし、もしひとつ言えるとすれば、
依存、というのは、悪い意味のように飛び交うことが多いですが、決して悪いものではありません。
そもそも「言葉」に善し悪しはありません。
(少々余談かもしれませんがこの「”言葉”に良し悪しはない」という言葉に驚いたり、言葉をすべて良い悪いにいつの間にか振り分けて考えてしまっている人は、ご自身に制限をかけ人生かなり苦しんでいらっしゃる可能性があります。一度相談されることは、人生を心地良く運ぶための手かと思います。)

しかし、苦しい依存と、健全で可能性のどんどん拓けていく心地良い依存があります。

もし、あなたが、対人関係をすることによって苦しさやうしろめたさ、罪悪感、居心地の悪さ、怒り、悲しみ、孤独感などがある場合は…もしくは「私のは依存だろうか、依存ではないだろうか大丈夫だろうか」などといつの間にか15秒以上考え始めてしまっているような場合は、人生、苦しんでおられるかと感じます。これ以上、苦しむ必要はありません。あなたはきっかけを得て良い方です。もっと健康、健全に心地良い可能性の道を拓き、本当のご自身の人生の自由を謳歌して良い方です。ぜひ一度、お声がけください。

ご自身の人生に不適切な苦しい依存ではない方の、健全な依存によって対等な人間関係を築いて生きている人は、対人関係を行う度に心地良いばかりでなく建設的で効率良く、そして自分の人生の可能性が(実は同時に相手の人生の可能性も)どんどん拓けて人生が好転していきます。
そして、そもそも依存という言葉自体、大抵の場合思いつきもしませんし少なくとも「依存であるかないか」など頭の中をぐるぐるしたりしません。

気がかりのある方は、いつでも遠慮なく、お気軽にお声がけくださいね。


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