催眠療法許容的アプローチからーそもそも「許容する」ということ

許容する、ということは、ただ受け容れる、受け止めるともとることができるのだが、実はその奥が底抜けに深い。

催眠療法においても、誘導をしながら裏で「それでも催眠に入るかどうかはあなた次第ですよ」「深く入ってもいいしこのままでもいいよ」などという意味を含ませた言葉をかけることがあるわけなのだが…

ここで言う「許容」とは、
「これでもいいよ、あれでもいいよ」「あ、そう来たか、いいよいいよ」という許容ももちろん含まれるのだが、実はそこではない。

「あなたの存在そのもの」を許容する。
いや、というよりも、クライアントが、
「ああ、これでいいんだ(条件や行動や言動ではなく)」「ああ、私はこのままで(このままというのは今の状態の維持ではなく、このまま進んでいてという意味)いいんだ」「ああ、存在していていいんだ」「受け止められているんだ(無条件で)」というような、言葉では表現することが難しいし寧ろ語弊を生んでしまっているかもわからないが…これらのように、”クライアントが感じることができるような”態度を、許容的態度、許容的アプローチと言うのではないか。

というのも、私はカウンセラーであっても催眠であっても、許容的アプローチや許容的文言をもらっているのにも拘わらず、「条件的許容だなこれは」と感じて窮屈であることがある。
これはクライアントとしての受け取り方の問題なのかとも思っていたが、どうやらそれだけではない。
というのも、私は今も、そしてクライアントとして見ているわけではなくても、そう見えるカウンセラーや催眠療法士が多いからだ。

条件付き許容をされてしまうと、クライアントは、常に「正解」を探してしまう。特に催眠下では、素直になる分、抵抗力も素直に強くなるため、そしてここでは一言で済ませてしまうがある言い方をすれば催眠下では顕在意識の判断力(ある種の判断力、とでも今は表現してみようか)は弱まるどころか寧ろ強まるものでもあるので、尚更セラピストに求められる「正解」を鋭く探って演じるようになってしまい、セラピーが深まらなくなることがある。

言葉で表すとひどく微妙な差になってしまうが、
「そうあっていいんだよ、こうあってもいいんだよ、そうあってもいいんだよ」という許容は良いのだが、
「どうあってもよいのだよ」ということを体感で悟ってもらうアプローチが、クライアントさんとのラポールを一気に深め、催眠の場合は被暗示性をぐんと高める重点のひとつである。


ただし、これは言葉で書くと逆説的にも聞こえてしまうが、無条件許容ではあるのだが、
しかしながらカウンセラーやセラピストは、しっかりと方向性(ゴール設定)は決して見失わずにいる必要がある。
そして、カウンセラーであれば話がばらばらになってとっ散らかってしまうクライアントさんには、真の許容を感じさせながらも同時にしっかりと方向付けをしてさしあげる(多くの場合はこちらはクライアントさんに気付かれずに)、催眠療法においても、自分は完全に何を呈しても大丈夫だし受け入れられているのだと揺ぎ無く感じさせながらも、どちらかというと潜在意識に対してダブルバインドなど、方向性を与えることは必須である。
(ちなみに、ダブルバインドもクライアントさんの顕在意識には気付かれないようにする。だからこそダブルバインドとしてうまく働く)

ちなみに潜在意識に入れると、潜在意識は実はセラピストよりも誰よりも全てクライアント自身のことや今後のセラピー方針など全てわかっている偉大な医師であるので、潜在意識には方向性を入れても(条件がある形)、「ああ、そうそう、それそれ、そうやって欲しいんだ」と、応えてくれる。
なぜなら、潜在意識自体は本来が無条件(条件という概念自体がなく、無条件という概念もない)であるから。


敢えて語弊のある表現だがこんな言い方をしてみると、セラピストの方がクライアントの顕在意識よりも外側にいたとしても、クライアントの潜在意識の方がセラピストよりは断然外側にいるのである。
(本来外側内側の概念もなくすべてなのだが)
許容する側とかされる側とか、そんなくだらない次元の話ではない。
敢えてこれもある面では語弊を招く例えだが、私の師は、そして実は私もたまにそんな体験に与るようになってきたが、深い催眠療法をしてクライアントが深い催眠下にいる時、クライアントの潜在意識が突然(脈絡がある中で暗喩的にということもあれば脈絡なしに直接的にということもあるようだ)、セラピストが誰にも話していないセラピストとしての悩みや個人的な悩みなどに指針やメッセージを与えてくれることもあるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?